義弟が犬になりました

鳩藍@『誓星のデュオ』コミカライズ連載中

 


たけるさん。今日一日僕の犬になるか、僕を犬にするか決めてください」

「……ひぇっ」


 ソファーに並んで座る義弟の瑞樹みずきくんから、ヤバい二択を迫られた。

 何だこのどっちを選んでも地獄でしかない選択肢。


 いや、予感はしていたのだ。

 瑞樹くんの部屋に招かれた時からローテーブルに置かれていた、やけに精巧に作られた犬耳カチューシャと根元に大きめのリングが付いた犬のしっぽ。


 まさか俺に付けろと言う気かと身構えていれば、出て来たのは予想を上回る要求だった。


「えっと……何で犬?」

「十一月十一日で犬の日なので」


 瑞樹くんの曇りなき笑みに、俺――健は顔を覆って天井を仰いだ。


 妻を事故で亡くしてからもうすぐ二年。一周忌を境に始まった義弟の瑞樹くんからのアプローチは、月日を重ねて押しの強さを増している。


 想いを告げられてから、瑞樹くんとは既に何度かデートを重ね、流されるままにキスも受け入れた――けれども。


 それまで同性と付き合うなんて考えもしなかった俺は、瑞樹くんから想いを告げられた今も、彼に明確な恋愛感情は持てないでいる。


 ならばきっぱりと断るのが最良なのだが、残念ながらそうもいかない。


 何せ想いを遂げるために初手で俺を監禁するという暴挙に走り、直近では衝動的に俺を殺しかけた瑞樹くんだ。


 俺の貞操を守りかつ瑞樹くんを犯罪者にしないためにも、現在は恋人になるのではなく義理の兄弟という関係を見直すことで妥協してもらっている。


 ――我慢させてる自覚はあるけど、流石にこれはさあ……


 犬になるか犬にするか選べ……つまりはそう言うプレイの要求だ。


 帰りたい。今すぐここから逃げ出したい。妻の弟を犬にするとか、字面も絵面も酷すぎる。


 だからと言って犬になると言えば間違いなく俺の貞操は終わるし、断ったらどんな風に暴走するか分からない。


 にこにこと笑う瑞樹くんは、先程から瞬き一つせず俺の返事を待っている。

 俺は盛大に溜息を吐き、気力を振り絞ってどうにか答えた。


「じゃあ……瑞樹くんを、犬にする方で」

「分かりました」


 瑞樹くんは満面の笑みでローテーブルの犬セットをいそいそと装着し、一旦自室へ向かった。


「フフ……前に作った健さんの分とお揃いなんです」

「そっかあ」


 戻って来た瑞樹くんは、以前彼が俺を監禁した時に付けたものと同じデザインの首輪を差し出しながらはにかんでいる。


 俺は完全に諦めの境地へと至りながら首輪を受け取り、後ろを向いた瑞樹くんの首に付けようとした。


「あの、健さん」

「何?」

「僕がちゃんと言う事聞けたら、ご褒美下さいね」

「ご褒美? 何か欲しい物でもあるの?」


 そう尋ねてみても、瑞樹くんは振り向きもしない。俺は今までにない態度に戸惑いつつも、首輪の金具を留める。


「……わんっ!」

「うお!?」


 首輪をつけた途端、瑞樹くんが一声鳴いたかと思うと、振り向きざまに飛び掛かって俺をソファーに押し倒した。


「瑞樹く……っン!」


 勢いのまま瑞樹くんが顔を埋めた首筋に、生暖かい舌が這う。両手が俺の脇腹をまさぐりながら、シャツの下へと無遠慮に伸びてくる。


「ダメっ、ダメだ! 瑞樹くん……っ、!」


 口を開けてはだけた俺の胸元に噛みつこうとしていた瑞樹くんの動きが、その掛け声でピタッ、と止まった。

 瑞樹くんはゆっくりと身体を起こし、物欲しげな目で俺を見下ろしている。


 ――ご褒美って、そう言う事か……。


 襲われたくなかったら、俺から『何か』をしろと。


 恐る恐る仰向けのまま手を伸ばせば、瑞樹くんは頭が俺の掌の下に来るように屈む。

 そのままカチューシャが外れないように後頭部をそっと撫でてやれば、瑞樹くんの顔がトロリと蕩けた。


「わうわうっ。わうわうっ」

「おーよしよし、いい子いい子~」


 ついでに背中も撫でてやると、瑞樹くんは満面の笑みでぐりぐりと俺の胸板に額をこすりつけてきた。ズボンの後ろのベルトループに付けた犬のしっぽが、身体の動きに合わせて揺れている。


「瑞樹くん~ちょっと俺そろそろ座りたいかな~」

「わんっ!」


 元気のいい鳴き声と共に退いてくれた瑞樹くんは、俺がソファーに座りなおした途端、俺の膝の上に仰向けで転がって、両手両足を曲げて腹を見せて来た。

 口の端を引きつらせている俺を、期待に満ちた眼差しでじっと見つめてくる。


 ――これは成人男性じゃなくて大型犬これは成人男性じゃなくて大型犬これは成人男性じゃなくて大型犬……!


 俺は必死に心の中でそう念じながら、瑞樹くんの腹を無心でわしわしと撫でくり回した。


「よ~しよしよし。よ~しよしよしよし!」

「わんわん! わんわんわんわん!」


 ――もし万が一俺が犬になってたら、この奇行を強要されていたのか……?


 わんわん言いながら身体をくねらせて喜ぶ瑞樹くんを見てよぎった恐ろしい仮説をそっと闇に葬り、俺は日付が変わるまでひたすら瑞樹くんを撫でる事にした。


 ◆


「はぁー……楽しかったー……ありがとうございます、健さん」

「うん……まあ、満足したならよかったよ」


 げんなりした顔でソファーに座る俺の肩にもたれかかった瑞樹くんは、大変ご満悦な様子だった。

 因みに犬セットは首輪も含めて、再びローテーブルの上に鎮座している。


「今日一日、健さんからいっぱい触ってもらえて、嬉しかったです」

「……そっかあ」


 何気ない彼の一言に、何となく瑞樹くんがして欲しかったことが分かった。


 デートに誘うのも、キスをするのも。いつだって俺からではなく、瑞樹くんからだけ。

 以前衝動的に俺の首を絞めたのも、俺から触れてくれない事への不満が爆発した結果だ。


 好きな人から触られたい。好きな人から触ってほしい。

 ただ、それだけのことだ。


「瑞樹くん」

「はい」

「普段からもう少し、撫でたりした方がいい?」

「……わんっ」


 瑞樹くんは頬を赤らめて一声鳴くと、俺の肩に顔を埋めた。


 




 年明けの一月十一日。俺の首輪と犬セットを持った瑞樹くんが「今度は健さんの番ですね!」と笑顔で言い放ってくる事を、俺はまだ知らない。


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