一日一猫
鈴椋ねこぉ
一日一猫
一日一猫。僕の座右の銘だ。
これは一日一度は猫を愛でて、それを積み重ねるようにしなさい、という意味だ。
一日一善に似て非なるもので、しかし豊かに生きようと心がけている点では共通している。
他にも、仏教を調べると、善い行いは六度万行という、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つにまとめられている。日本の猫もキジトラ、茶トラ、白、黒、ミケ、ハチワレ、サビ等の柄、模様に分類できるから、まぁ、同じようなものだろう。
だが、善に偽はあるが、猫にハズレはない。疑うことが必要ないのだから、猫の方がよいではないか。
そんなことから僕は、一日一猫をスローガンに活動するようになった。友達がいなくても猫がいてくれるので、一日に充実感を覚えることができるのだ。
一日一猫の条件は、猫を愛でるだけの簡単なものだ。見て愛でるもよし、触れて戯れるもよし、引っ掻かれるもよし。飼い猫でも野良猫でも、その日、猫に遭遇できたなら、なんでもありだ。
朝、学校へ通学中にたまたま出会うこともあれば、放課後、帰路についている最中に出会うことだってある。休日は、そのガラスの瞳を探し求めて冒険する。そこら辺のスマホをいじって一日を終えているような、怠惰な奴らとはまるで生活が異なる。
その日は、六月の中旬で雨が降っていた。傘を差して雨を凌いでも、湿気が纏わりつくから嫌らしい。幸いにも、学校から自宅までの距離は近く、この多湿地帯を越えてエアコン地帯へ早く行こう、とばかり考えていた。だから、玄関に到着するまで、内心ばかりに目を向けていて猫探しをおろそかにしてしまっていたことに気がつかなかった。
しまった、と思った。言い訳として、今日は雨だから猫が少なかったのだ、と思ってみたが、何の効力も成さなかった。
今から猫を探しに外へ出るべきか。一日一猫の継続日数は今までの高校生活一年と二か月をゆうに超えていた。今更、諦める訳にもいかないし、ここで辞めたら今までの猫たちが水の泡となる。選択の余地はない。
僕は外へ飛び出した。幸いにも雨は止んでいて、視野を広げるために傘は持たなかった。
まずは住宅街をくまなく探す。いない。次に路地裏。やはりいない。吉村さんちの窓際によく茶トラ猫が鎮座していた筈。カーテンが閉まっている。権田神社で猫の集会が開かれてはいまいか。雨天中止。公園のベンチでラブラブしている二匹のカップル猫は。どうやら最近破局したらしい。河川敷でミケ猫を散歩させている謎のお兄さんは。流石に来てない。猫を飼っている友達。僕には友達がいない。
僕は思考を回転させて、次から次へと猫の居場所を思い浮かべてそこへ向かうが、今日はどこに行っても見当たらなかった。
「くそっ」
ぽつぽつと、また雨が降り始めてきた。折りたたみ傘くらいは持参するべきだったと後悔する。まさか、こんなにも猫がいない日があるとは。前回、雨の日はどうしたんだっけ。
二時間以上は探していた気がする。時計がないから分からなかった。雨の中、一向に出会えない猫を求めて随分遠くまで来てしまっていた。ずぶ濡れの僕は疲労と途方に暮れていたのもあって半ば開き直り、同じく水浸しの公園のベンチに腰かけた。
猫が一匹もいない日だってあるだろう、という諦めと、ここで辞めたらお前の努力はなんだったんだ、というプライドのようなものが拮抗していた。ベンチが濡れているからお尻の感触が気持ち悪い。ワイシャツが肌にくっついて鬱陶しい。
これからの行き先を考えあぐねていると、不意に、頭にかかる水が消えた。とはいえ、髪はもう濡れに濡れていたから、顔に滴る水滴が明瞭に感じられた。
いつの間にか下げてしまっていた頭を上げると、そこには傘を二つ、一つを僕へ差した猫田美憂が不審そうな面持ちで立っていた。
「何してんの? 風邪引くよ?」
猫田美憂は隣の席の女子だ。猫目、猫背、猫舌で、女子のくせに愛想がなく誰ともつるまない猫みたいな奴。そんな不愛想な彼女が僕に傘を差し出すというのは珍しくて気味が悪い。
「傘、自分で持って」
「いいの?」
「二つあるし。明日返してくれればいいから。それより、こんな所で何してんの?」
依然として制服のままでいる彼女から察して、どうやら、この公園は猫田美憂の帰路に含まれているらしい。帰り道にたまたま僕を見つけたということか。
「実は、探せど探せど猫が……」
言いかけて、僕は名案を思いついた。猫みたいな彼女を猫として、今日の猫にカウントしてやろう。
「いや、たった今解決した。傘ありがとう」
猫田美憂は相変わらず訝しげな視線を僕に注いでいたが、やがて興味を失ったのか、猫のように僕を置いてさっさと行ってしまった。
僕は可愛げがない筈の彼女に、少し見惚れてしまっていた。
一日一猫 鈴椋ねこぉ @suzusuzu_suzuki
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