第2話

 それから俺は暫くバレエを続けていた。運動系のサークルに入ったと思えばいいし、下心抜きでスクールの女性とも親しくなった。なんだかんだ言って結構楽しくレッスンできるようになってしまったのだ。


 友達にバレエをやっていると言うと大抵驚かれるが、そんな事かまわない。特に籐太は「何が楽しくて続けているか分からない」ともらす。


 何より男の身で続けていけたのは、田村としゆきの存在が大きい。としゆきさんはあまり無駄口を聞かない。もくもくと真剣にレッスンに励む。何がとしゆきさんにそうさせているかは俺には分からないが、としゆきさんには何か鋭利な刃みたいな雰囲気があって近寄りがたかった。五年バレエをやっているだけあって、体も筋肉質で、でも細い。男であってもダイエットしているのかもしれない。


 俺はというと、適当にレッスンして、女友達としゃべって、バレエを楽しむ、という感覚だ。

 今日レッスンに行ったら、玉枝先生から発表会を開く事を聞かされた。演目は特になく、一人一人にあった踊りをひとつひとつ踊っていくものだった。三ヶ月後の発表会に向けて、踊りをマスターするように、という事だった。


 しかし発表会は金がかかる。衣装代やら化粧をしてもらうのにも金がかかる。俺はまだ始めたばかりだったので、今回は見送ろうと思っていた。

 何気なく、としゆきさんに発表会に出るのかと聞いた。当たり前だと言われた。


「俺はこの為に踊ってきたんだ。それを見せなくてどうするんだ。大人から始めたバレエダンサーが踊れる場所はここしかない」


 相変わらず、真面目すぎる答えだった。本当に何がとしゆきさんを突き動かしているのか、分からない。はっきり言って俺は発表会に出るのはかなり恥ずかしい。それこそバレエは女性の踊りという感じがして、男が入り込む余地がないように思う。


「バイトでたまった貯金もあるし……発表会の資金もあるにはあるんだが……」


 踏ん切りはつかなかった。女友達のまり江さんにも聞いてみたが、出て当たり前だと言われた。まり江さんくらい踊るのが上手ければ、発表会にでても楽しいだろう。

 結局、今ぐらいしか舞台にたって踊る事はできないだろうと思い、発表会には出る事にした。せっかく習っているのだから記念として出てもいいかと思った。就職してしまえば、バレエなんて踊る暇もなくなるだろうから。


 それからのレッスンは発表会の練習だった。

 女性をリードしてパ・ド・ドゥを踊るなんて俺には出来ない。パ・ド・ドゥとは女性と組んで二人で踊る事を言う。パ・ド・ドゥは、リフトと呼ばれる、女性を持ち上げる動作が多く入る。そんな事はバレエを始めたばかりの俺にはまだ無理だった。

 しかし、腰に手を添えたり、手を取るくらいなら、技術もいらないので俺はまり江さんと簡単な踊りで組む事になった。


 としゆきさんは弓子さんと組む。

 この二人は本格的なパ・ド・ドゥで、最初に一緒に踊るアダージョからソロを踊るヴァリエーション、最後に一緒に踊るコーダまできっちりやるらしい。

 男性ダンサーは俺ととしゆきさんだけなので、長年レッスンしているまり江さんには俺が下手すぎて悪い気がしたが、まあ、いいだろう。


 俺は他にも「海賊」という演目の奴隷アリという役が踊るソロのダンスを簡単な振付で踊ることになった。

 練習はそこそこ厳しい、といった感じだった。レッスンが終わるともう、汗も出尽くしてへとへとになってしまうのだが、次のレッスンは翌週なので体力も回復する。

 そう繰り返している内に、なんとか形になっていく。


 まり江さんとの踊りは、俺は本当に腰を取る程度か、手を添えるくらいで、踊りの中心はまり江さんだった。まり江さん自身踊りが上手いので、添え物のような自分が少し恥ずかしい。

 奴隷アリの踊りはピルエットと呼ばれる一本足の回転や、足を高く上げる動作、アラベスクが入るが、見ているほど簡単な動作じゃない。俺はピルエットを一回しか回れなかった。アラベスクは腰どまりだ。


 でも、とにかく奴隷アリの踊りははげしく、躍動感をもって、全身をバネにしろと玉枝先生に言われていたので、踊る時は技術うんぬんよりも飛んだり跳ねたり、走り回るというふりつけだった。

 一週間に一度のレッスンで奴隷アリの踊りはなんとか形になった。

 

 弓子さんととしゆきさんの踊りは素人ながら、俺からみてさまになっていた。プロみたいだと思った。特に一人で踊るヴァリエーションは二人とも決まっていた。レッスンが終わって、帰る支度をしている間に俺は弓子さんに話しかけた。


「弓子さんはいつからバレエをはじめたんですか?」


 それに帰ってきた言葉は多少、俺をびっくりさせた。


「五歳くらいかな」

「え?」

「五歳から十五歳くらいまで別のスクールに通ってたの。でもこれ以上レッスンを続けてもバレリーナになるわけじゃないし、受験もあるしで辞めてしまったの」


 少しさびしげな笑顔で弓子さんは言った。


「本当は辞めたくなかったけど、特別上手くもなかったから。将来を考えて辞めたつもりだったんだけどね、やっぱり踊るの好きだった、私」


 こんどは嬉しそうな笑顔だった。


「大人向けの教室があるって聞いて、二十歳からまた初めて、で、だから踊ってる年数でいくと十五年くらいね」


「やっぱり上手い人は年季が違うんですね……。としゆきさんもそうなのかな」


「小さい時から踊ってたかってこと?」


「そう」


「としゆきは違うと思う。ここに入ってきた時、初心者だって言ってたから。私、としゆきとは同じ年にここに入ったのよ」


 としゆきさんはバレエを始めて五年といっていたから、二人は二十五歳くらいなのだろう。


「発表会、何回目ですか?」

「五回目よ」


 毎年出ているのだろう。


「俺、初めてだから結構緊張してるんです。失敗して恥ずかしい思いをしたくない、とか」

「失敗しないようにレッスンするしかないわね」


 弓子さんはにっこり笑った。


 一方、まり江さんとのペアレッスンは順調だった。もっとも俺は添え物状態なのでとくに技も披露しない。本当はペアで踊る時は男性ダンサーにも見せ場はあるのだけど、俺とまり江さんの実力が違うので、玉枝先生は俺に踊らせなかった。もっとも俺の踊りがまり江さんの踊りと比べられては俺もみじめすぎる。


 まり江さんは、踊りについて俺に何も言わなかった。

 もっと上手くなれとも、真剣になれとも言わなかった。

 ただ相手になってくれていた。

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