08: レイニー・セメタリー

08-01: オリジナルの不在による――。

 五月の上旬、桜は中旬を待つことなく散った。


 窓から外を見ていたレオナ――寝るとき以外はさも当然のように私たちの部屋にいる――は、柔らかな春の青空を見上げ、次に視線をはるか眼下の地面に向けた。


「はい、コーヒー」

「ありがと、お姫様」


 レオナが部屋から持参したマグカップは、白に金の幾何学きかがく模様の入った見るからに上品な一品だった。私の野蛮な目をしたデフォルメ猫が描かれた黒いマグカップと並ぶと、そのセンスの差が一目瞭然だった。私のマグカップに入っているのはミルクコーヒーだ。ミルク入りコーヒーではなく、コーヒーフレーバーのミルクである。


 レオナはまた窓から外を見て、呟く。


「ひさかたの、光のどけき春の日に、か」

「静心なく、花の散るらむ」


 施設にいた頃に古典で習った歌だ。短い文章の中に情景を込める、特殊な創作物だと私は認知していたが、嫌いではなかった。


「静心なく、か」


 レオナはそう言うとコーヒーを一口飲んだ。


「美味しい。これ、ドリップだよね」

「わかった?」


 キッチンのレニーが反応した。レオナは頷く。


「インスタントも新鮮でよかったけど、やっぱりコーヒーと言えばこっちだなって思うよ」


 レオナのお嬢様スキルが発揮されている発言だ。


「ロラがね、お土産にくれたの。ほら、昨日までメレニスの士官学校に見学に行ってたでしょ。パティといっしょに」


 メレニスは赤道にほど近い所にある沿岸部の都市だ。艦艇の建造や整備を行うための巨大なドックがあったりする。ここの士官学校の卒業生たちが、将来私たちの艦艇を取り扱うのだ。


「ライヴもやったのかな?」


 私が訊くと、レニーは首を振った。


「今回はナシ。この前の戦いで受けた被害をリカバリするために、教官はもちろん、上級生たちまで動員されているんだって」

「どこも大変だ」


 私はそう言ってミルクコーヒーを二口ほど飲んだ。レオナが携帯端末モバイルを確認しながら「やれやれだ」と肩をすくめる。


「どうしたの?」

「人気投票。歌姫セイレーンのさ」

「ああ」


 見たくないやつだ。私の表情は引きつっていただろう。


 そう、今月一日に、士官学校一年の顔写真や広報活動ステージパフォーマンスが名前入りで公開されたのだ。全国の閲覧者ビューワーはそれを見て人気投票に参加する。私たちはまだ演者パフォーマーとしては素人しろうとでしかないから、自分のパフォーマンスなんて頼まれても見たくはなかった。仕方無しに見るんだけど……。


「一位はレオナでしょ」

「うん。まぁ、そうなるよね」


 嫌味のないサラッとした肯定に、いっそ胸がすく思いだ。


「歌めちゃくちゃ上手いし、容姿もいいし、喋りもできるし」

「マリーは可愛いからね、私の中では優勝だよ」

「もう」 

「といいつつ、アルマが二位でマリーが三位。私はダントツだけど、アルマとマリーは僅差だねぇ」


 レオナは微妙な表情でそう言った。


「ところでマリー。アルマ知らない?」

「知らないよ。起きた時にはいなかった」

「そっか。私が五時に一度起きた時はまだいたんだけど」


 携帯端末モバイルの時計を見れば、ちょうど十時になったところだ。


 その時、部屋のドアが442Hzの駆動音と共に開いた。


「たっだいまー」


 アルマが両手に紙袋を下げて入ってきた。そしてそのままテーブルのところまでやってきて、その二つの袋を置いた。


「手に入れたぞぉ」

「なにを?」


 私とレオナはソファのところへ移動する。目の前に紙袋があって、そこから見えるのは紙媒体かみばいたいの書籍のようだ。


「ちょっと待って、アルマ」


 レオナが珍しく早口で言った。


「これって例のじゃ」

「さすがレオナ。正解!」


 アルマが一冊取り出してみせたその本の表紙には「セルフィッシュ・スタンド~国家主義と代理戦争~」とシンプルなフォントで書かれていた。著者名はサミュエル・ディケンズ。


「ディケンズ?」


 聞いたことがあるぞ?


 思い出そうとする私に、アルマが助け舟を出してくれた。


「記者会見の時にズバズバ質問してたおっちゃんいたじゃん?」

「ああ! 結構スレスレな発言してた」

「スレスレっていうかアウトだけどね。で、その人、実はヴェーラやレベッカがデビューしてからずっと取材してる人なんだってさ」

「サムのことね」


 レニーがソファに座って、その本を一冊取り出した。アルマはなんと、同じ本を十冊手に入れてきたらしい。


「エディタ先輩から聞いたわ。ヴェーラもレベッカも、サムの取材だけはノーアポでも受けていたらしいわ」

「信頼されてたってこと?」

「嘘を書かないからだって、エディタ先輩は言ってたわ」


 そう聞いて、私もその書籍に俄然がぜん興味をかれた。一冊を手にとってパラパラとめくってみる。


 隣のレオナが最初のページで指を止める。


「この書籍は、数日のうちに公により存在を抹消されるだろう――か」

「ほんとだ、ネットにも痕跡しかない」


 私は携帯端末モバイル搭載のAIに色々検索させてみたが、中身のあるものには遭遇できなかった。


「電書もなくなったし、ダウンロードされたやつにもロック。こうなることはわかってたから、発売日に入手して例の地下室に置いておいたんだよね」

「で、発売日に発行停止、所持禁止のお触れがでてからすぐに話題性は大沸騰。今に至るっていうわけ」

「そんな物持っていて大丈夫なの?」

「さぁねぇ」


 他人事のように言うアルマ。


 レニーが表情を曇らせながらポツリと言った。


「それってサムの思惑通りなんじゃないかな。政治的妥協案とかかも」

「せいじてきだきょうあん?」

「考えてもみて、マリー。この社会で、いくらジークフリートみたいなAIがいるって言っても、全く何の痕跡も残さずに一つの物事を抹消するのは不可能よ。現に話題にはなってるし。だから最初からオリジナルは削除されるのが目的だったんじゃないかなって」

「オリジナルの削除?」

紙媒体ペーパーメディアはその保険的手段。誰かの記憶に残りさえすれば、それはオリジナルのコピーとして何度だって復活できる」


 レニーは難しいことを言う。


「政府は歌姫セイレーンに関するものを焚書ふんしょしたと言えるじゃない? その証拠エビデンスはこうして広まっている。そのことがそもそもの出版の目的なんじゃないかなって思ったってわけ」


 それを聞いて、アルマが「ふむ」と顎に手をやった。


「それでサムが得をするかな?」

「少なくとも――」


 レオナが答えた。


「軍上層部に喧嘩を売ることはできる」

「やりそう」


 レニーが苦笑いをみせながら言った。


「サムはたぶんヴェーラたちのことを何よりも理解していた人の一人だと思う。だからたぶん、今の軍のやり方には我慢ならないところがあるのかも知れないわね」

「レベッカのやり方も?」

「そうね、マリー。でも、レベッカだって、ネーミア提督だって、あんな戦術をとりたくてとっているわけじゃないわ。元を辿たどれば軍と政府の軋轢あつれきと打算の結果よ」


 言論統制――レオナが呟いた。


「ネットにはこの本の断片情報が沢山あるっぽい。つまりそれは、軍と政府によって、だ。文脈コンテクストを無視した断片情報が、ほら、こんなふうにいっぱい落ちている」

「部分部分でバズって炎上もしてるな」


 アルマも自分の携帯端末モバイルを確認しながら呟いた。レオナは頷く。


「国民が言論統制ブラックアウトを初めているんだ」

「こんなことの主導をとりそうなのって、空軍の第三課くらいしか思いつかないけど。統括のアダムス大佐は昔から歌姫セイレーンを敵視していたとか」

「憶測はともかくね、アルマ」


 レオナは携帯端末モバイルをポケットにしまうと、ソファに身体をぐったりと預けた。その長い脚に自然と目が行ってしまう。


「参謀部も伏魔殿パンデモニウム。カワセ大佐とハーディ中佐がいなかったらと思うとゾッとするよ」

「うん」


 私は書籍の中ほどで指を止めた。


 そこには「μῆνινメーニン ἄειδεアエイデ, θεάテアー」という章題がえられていた。携帯端末モバイルをかざすと、すぐにその対訳が表示される。


「女神よ、怒りを歌い給え――か」


 私の発した音素おんそたちが部屋の隅に落ちて消えていく。私はその沈黙に耐えられず、言葉を続けた。


「怒りで戦うのは、イヤだな」


 たとえ復讐が根底にあったとしても。大切な誰かを理不尽に奪われた憎しみが、消せないとしても。


 怒りで人を殺したいなんて思わない。


 この思いが、単なる綺麗事でしかないとしても。


 その時だ。


 私たち四人の携帯端末モバイルが、一斉に通知音を発した。


「ひえ」


 跳び上がるほど驚いた私とは対象的に、他の三人は全くいつも通りだった。アルマが代表してその通知内容を読み上げる。


「クロフォード提督率いる第七艦隊、奇襲攻撃に成功せり。侵攻中のアーシュオン潜水艦艦隊を殲滅。ナイアーラトテップ量産M型二隻を撃沈せしめたり」


 ……。


 ……!?


 私たちはそれぞれに顔を見合わせた。

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