07-04: 黙りなさい
イザベラ・ネーミア提督のデビュー戦では、
私たち
ハーディ中佐とは何度か講義で対面しているが、黒髪に黒縁の眼鏡がトレードマークで、表情は彫像のように一切動かず、感情どころか体温らしいものを感じたことがない。猛禽類を思わせる尖った雰囲気もまた、こちらを
私たちはさっきまでソファやベッドでうつらうつらしていた。なぜかレオナも部屋にいて、私の膝枕で半分眠っていた。とはいえ、誰も熟睡などはできなかった。無論、先程までの戦闘の影響だ。興奮していたというよりは、セイレネスの余波にあてられたというのが正しいだろう。トリーネたちの断末魔も未だ脳裏にこびりついている。
「あれ? レオナ、少し熱いよ」
「う、うん? そう? なんかだるいなって感じはするけど」
レオナはそう言うとモバイルを取り出して自分の額に
「三九度五分」
「えっ!」
確かに39.5という数字が表示されていた。
「大変!」
レニーが真っ先に動いて、寝室から吸熱シートと解熱剤を持って戻ってきた。
「ありがとう。大丈夫、記者会見を見ていて」
レオナは額と頸動脈あたりに吸熱シートを貼り、そのまま目を閉じてしまった。無理もない。
私はレオナの額に軽くキスをして、その右手を両手で握りしめた。少しでも体温を移してもらえるように……なんてことを思いながら。
さっそく一人の記者が手を挙げる。
『今回の作戦は予定通りだった、と言えるのでしょうか』
ハーディ中佐はその質問を無視した。指名される前に喋ったからだろうか。
とにかくハーディ中佐は空中に半立体スクリーンを展開して、戦闘の状況を時系列に従って説明し始めた。戦闘後の記者会見での平常運行だ。この情報が常に「正しい」情報で、それ以外はデマだとみなされる。そもそも戦闘の様子は生中継されているのだから、大まかなところは公開されているし、露骨な嘘は通じるものでもないと思う。
『ハーディ統括、先程の質問への回答は』
ハーディ中佐の説明が終わるや否や、先程の記者が苛立った声を発した。
ハーディ中佐はその命知らずな記者を正視し、目を細め、眼鏡の位置を直した。
『貴方の言う予定通りとは、
その返しを受けて、記者たちがどよめいた。この場に三十人かそのくらいの記者がいるように思える。もちろん、報道関係者に
『私の質問を、き、極めて愚かな問いというのは、国民への挑戦、国民への愚弄だと判断されると思いますが』
『その発言は、一記者に過ぎない貴方が、まるで国民の代表であるかのように聞こえますが』
これはいつものハーディ中佐じゃない。いつもだったらサラッと無視して徹底して自分の話すべきことしか話さないのだ。しかし今のハーディ中佐は怒っていた。明らかに。苛立ちを超えた怒りだ。
『ではまず確認させてください、ブレッドレイ記者。貴方は、どなたに選ばれたのですか?』
『そ、それは』
口ごもる記者。
『答えられないのであれば、以後、そのような発言は慎まれたほうがよろしいかと。そもそも、ここにいる者は誰一人として、国民の代表などではありません。貴方は自らの所属する会社のために、その愚かな口を開き、私はその愚かな貴方のために、無意味な会見を開くのです』
『め、名誉毀損だ』
『指名もされぬうちに発言をした貴方が何を喚いても無駄だと存じます』
ハーディ中佐って、こんな人だったっけ……?
私たちは顔を見合わせる。レニーは首を振った。
「中佐がこんなに喋っているのは見たことがないわ」
「よほどさっきの戦で思うところがあったのか」
アルマが言う。レオナの手を握る手を離して、一旦ハンカチで手を拭いてから再び握った。レニーは沈黙を続ける記者会見場を眺めやってからアルマに向かって言った。
「確かに
「あのハーディ中佐が?」
「ハーディ中佐だって、
「そっか」
私もそう思った。この計画に十数年関わっているのだ。愛着のようなものが出たっておかしくはない。しかし、ルフェーブル少将の死に関係して、ヴェーラやレベッカとの関係性は非常に
『
『参謀部としては、この巨大な被害はどのように?』
別の記者が遠慮がちに尋ねた。ハーディ中佐の眼鏡のレンズがギラリと輝いた。
『手痛い損害であることは認めざるを得ません。されど、中尉の命と引き換えに、我々は敵の恐るべき新型
『あの新兵器は……』
『現時刻をもって、あの新型の兵器をナイアーラトテップ
あの音は紛れもなくインスマウスだった。私の耳と軍の見解は一致したというわけだ。
ハーディ中佐がインスマウスと口にしたその途端、会見場は騒がしくなった。八都市空襲はもう十二年も前の出来事だが、大人たちにしてみれば昨日の事のようなものだろう。私は気がついたらたった一人で病院にいたから、インスマウスの実感はない。ただ、あの夜に聞こえた不気味な音だけは忘れられなかった。
『イ、インスマウスですか!? ぐ、具体的な対策は……!?』
たちまち混乱に陥った記者会見場にあって、ハーディ中佐だけは冷たい表情を維持している。ハーディ中佐は答えた。
『
『
『それまでは
『可能だとお考えですか』
『無論です』
『しかし、実際には――』
食い下がる記者を見る目は、獲物を見つけたスズメバチのようだった。それで記者は沈黙した。確かにあの視線を向けられたら、百戦錬磨の記者たちだって黙るだろう。
『アーメリング提督はずっと後方にいたように見えましたが、その意図は? もし、第二艦隊が前に出ていれば、ウラニアが前に出ていれば……』
『戦場にもしもを持ち込むほどくだらないことはありません』
痺れるほどに痛快な物言いに、私たちはいつしか魅了されていた。
『しかし!』
『貴方たちは!』
ハーディ中佐が声を荒らげた。ハーディ中佐のこんな声、初めて聞いた。
『貴方達は誰がこの国を守っているのか、知らないのですか』
『国防は軍の責務――』
『黙りなさい!』
ハーディ中佐の激昂に、私たちまで背筋が伸びた。
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