07-02: 新型インスマウス

 時空間を無視して伝わってきたに、私は直感した。


「インスマウス、だ……」


 幼い日に聞いた。それと全く同じものが聞こえたのだ。聞き間違えるはずもない。私の家族を、故郷を奪っただ。


 鳥肌が立つ。汗ばむ。喉が乾く。まばたきができない。


『レネより……全艦。の解析、一次報告。イ、インスマウスと、酷似』


 上ずるレニーの声。トリーネのいた場所は海に穴が空いていた。トリーネ班の小型艦艇は嵐の中の木の葉のように翻弄されている。今の爆発でやられた者もいるだろう――が聞こえてきたからだ。


『インスマウス、だと……』


 エディタの声が固く震えている。


 誰一人、ネーミア提督でさえも何もできなかった。新兵器による完全なる不意打ちは、見事な戦果を上げたといえるのだろう。


『トリーネは……トリーネは、どこだ』

『落ち着きなさい、エディタ』


 レベッカの鋭い声が割り込んできた。


『重巡レグルスおよび、駆逐艦三隻、小型砲撃艦フリゲート二隻が消滅したのよ。現実よ、これは。でも、今は落ち着いて』

『し、しかしっ、そんなっ』


 エディタの激しい動揺が伝わってくる。彼女の中ではまだ、何が起きたのか整理できていないのだろう。かく言う私は、なんだか他人事ひとごとだ。優しくて気さくなトリーネが、この世から永遠に失われてしまったのだ。それは理解できている。だけど、感情がそれをトレースできていない。


『ネーミアより第一艦隊所属歌姫セイレーンに告げる。戦闘はまだ始まったばかりだ。ナイアーラトテップクラゲは十五隻、全て健在だ。三個艦隊の敵もな』


 ネーミア提督の言葉にはがなかった。まるで機械マシンだ。


『反撃せよ。敵艦隊を殲滅せよ。一隻たりとも生還させるな』


 熱のない、しかし情け容赦のないその言葉に私は震えた。デスクの下でレオナと手を握り合う。


 スクリーンの前に立つカワセ大佐も、やはり表情を全く動かさない。冷たい横顔だった。おそらくはハンズフリー状態で参謀部第六課のどこかと通話しているようだが、内容はほとんど聞こえない。


 ネーミア提督は感情のない声で告げる。


『エディタ、ほうけるのは戦いが終わってからだ。わたしはV級歌姫ヴォーカリストのこれ以上の損失を認めない。いいな、V級歌姫ヴォーカリストの生存を第二次目標とする』


 第一次目標はあくまで敵の殲滅……。


 私はレオナの手を強く握りしめていた事に気付いて慌てて離そうとした。だが、レオナは私の手を追いかけて捕まえた。私たちは手を握り合う。


了解アイしましたマム。クララ、テレサ、量産M型をなんとしてでも殲滅しろ!』

『クララ、了解』

『テレサ、承知したわ』


 軽巡ウェズンとクー・シーが猛然と前に出る。両サイドから迫ってきていたナイアーラトテップクラゲ量産M型にそれぞれの班が当たっていく。


『レネより全艦! ナイアーラトテップクラゲよりナイトゴーント射出! 約五十! 新型機、タイプ・ケルベロスと思われます!』

『ハンナよりクララ班、テレサ班! 敵特殊航空戦力の機動計算をアレスに移譲。各個にリンクしてください。敵の攻撃タイミングに注意』


 ハンナ先輩の声も緊張でいつも以上に固くなっていた。


『アーメリングより、ネーミア提督。私が特殊航空戦力の相手をします。そのくらいは、よろしいですね』

『ネーミアよりアーメリング提督。頼む』


 その瞬間、セイレネスによるオーロラが夜闇を切り裂いた。クララやテレサの部隊に接近しつつあったナイトゴーント部隊がバタバタと叩き落とされていく。D級歌姫ディーヴァであるレベッカと、最強の戦艦の一角・ウラニアの組み合わせ。新型機であるにも関わらず、ケルベロスたちは不可視の壁にぶつかったかのように粉砕されていく。通常戦力では、あのエウロスと言えども傷をつける程度しかできない戦力が、ものの見事に粉砕されていく。


「すごい……」


 アルマと私が同時に呟いた。しかし私は立体投影されているマップで位置関係を計測して腕を組む。


「けど、レベッカの有効射程はもっと手前のはず」

「コーラスだ。完全調律コーラスPTC


 レオナが言った。


「PTC? でも、誰と? 三人いないと成立しないよ、あれ」


 確かに私たちとレオナはある程度の完全調律コーラスPTCを発動させることに成功している。しかしそれは私とアルマが、レオナに合わせて力をセーブした結果であって。今のレベッカの一撃は、D級歌姫ディーヴァの力そのまま延伸えんしんされていなければできない芸当であるように思われた。


「ネーミア提督だ。二人で完全調律コーラスPTCを発動させたんだ。そうじゃないと説明がつかない」


 レオナは目の前のタブレットを手に取ると何やら計算をし始めた。


「ほら、さっきマリーが計算したやつの続きだけど、どう考えてもレベッカの有効打撃範囲が延伸されてるじゃない? しかも新型のナイトゴーントをいとも容易く撃破する威力。従来のレベッカの攻撃力を考えても、やはり打撃力そのものも増している。私たちの知らない戦技スキルでもない限り、完全調律コーラスPTC以外には考えられない」

「そう、だけど……。D級歌姫ディーヴァともなれば、そんなことができるっていうの?」

「わかんないよ」


 レオナは固い表情で答えた。私たちの誰にも、表情を緩める余裕がない。 


『アーメリングよりネーミア提督。こちら、対空AA戦闘を中断します。敵特殊航空戦力は殲滅しました。第二艦隊のバトコンは現状維持しますが』

『ネーミア、了解。敵通常航空戦力に関しては第一艦隊で十分だ。協力に感謝する』

『アーメリング、了解しました。善戦を期待します』

『善処する』


 トリーネという大戦力、および五名もの歌姫セイレーンを失ったにも関わらず、ネーミア提督の声には相変わらず揺れがない。感情がないのではないかとすら思えるレベルだ。


『クララ、テレサ、クラゲはほとんど無傷だぞ。コーラスを展開していれば負けない。落ち着いて対処せよ』


 確かに十五隻ものナイアーラトテップクラゲいまだ健在だ。それらは艦隊外縁部を沿うようにして後方に抜けようとしていた。狙いは旗艦、セイレーンEMイーエム-AZエイズィであることは明白だった。


『レネより全艦。敵通常艦隊より艦載機発艦! 最終的には三百近くが上がってきます!』

「さ、さんびゃくぅ!?」


 アルマが目を丸くしている。APの中ならまだしも、これはリアルな戦場だ。三百機もの航空機――三個艦隊の搭載機ほぼ全て――が一斉に襲いかかってくるなんて。増して今、頼みの綱のセイレーンEMイーエム-AZエイズィは、ナイアーラトテップクラゲにターゲットされている。通常艦隊、航空機、ナイアーラトテップクラゲ。どれも数が多すぎた。


「ど、どうするんだ」

『ネーミア提督。敵航空戦力が想定を上回る。第二艦隊による支援の要を認めます』


 レベッカがたまらず割り込んできた。


『初戦からなかなか苦戦させてくれる』


 ネーミア提督の言葉が終わるか終わらないか。


 真っ先にそれに気付いたのはアルマだった。私もそれに気付き、カワセ大佐の方を見た。


 カワセ大佐はまたあの例の意図のよく読み取れない微笑を見せてから、ゆっくりと頷いた。カワセ大佐が連絡を取っていた相手、それは――。


『エウロス・エンプレス隊、現着げんちゃくした』

 

 カティ・メラルティン大佐の駆る真紅の戦闘機・エキドナ。


 その女帝は十一機の黒塗りの戦闘機を引き連れてやってきた。


「全部で、十二機!?」


 レオナと私の声が重なった。アルマが「敵は三百いるんだぞ」とかすれた声で呟いた。

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