07: Debut

07-01: 轟沈

 四月も半ばだ。もうそろそろ桜が咲くかな、というような蕾の具合だった。今年は例年よりかなり早いかも知れないという開花予想が出されていた。開花予想のような平和なイベントが堂々と行えるという時点で、実はヤーグベルテはまだ健全なのかも知れないなんてことを、各国の歴史を見ていると思ったりもする。


 私のいた施設の庭にあった桜は、おそらくもう散っている。かと思えば五月の半ばに満開になる地域もある。ヤーグベルテは南北に長い大陸なんだなということを実感する。北は北極付近、南は赤道直下まで、ヤーグベルテの所属国家の国土が広がっているのだ。


 今日は土曜日で、授業はない。


 だが一六〇〇ヒトロクマルマル時現在、C級歌姫クワイアは全員が大講堂に集合させられていた。そして私たちはブルクハルト教官が住んでいる(と言われている)セイレネス・シミュレータルームに集められている。ハンナ先輩もいた。レニーの同期のV級歌姫ヴォーカリスト、ロラ先輩とパトリシア先輩は例の地下室でいつもの作業らしい。


「一体何が」


 私たちがざわざわしていると、420Hzの擦過さっか音と共にモニタルームのドアが開いた。


「これから大きな作戦があります」


 そこから姿を現したのはカワセ大佐だった。


 実は大佐とはこれが初対面だ。ネーミア提督の演説の時に講堂で見たことや、映像通話ビジョンはしたことはあるけど。


 カワセ大佐はやはり何を考えているのか読み取れない微笑アルカイク・スマイルを浮かべていた。大佐はその表情のまま、告げた。


「これより、イザベラ・ネーミア提督のデビュー戦が行われます」


 カワセ大佐の言葉に同期して、スクリーンに作戦概要が表示された。そこには二つの艦隊が表示されていた。


「アーメリング提督も……。連合艦隊ですか」


 レニーが呟くと、カワセ大佐は頷く。


「敵は三個艦隊。また、M量産型ナイアーラトテップが判明しているだけで十二。最大十五が見込まれています」

「じゅ、じゅうご……!?」


 ハンナ先輩が思わず声に出した。私だって驚きだ。そんな数のナイアーラトテップクラゲが一箇所に集結したことなんてないはずだ。


「レニーとハンナは今からそこのシミュレータに乗っていつものようにサポートを。いつも使っているものよりも性能は向上しています」

「了解です」


 レニーはハンナ先輩を伴って黒い筐体に乗り込んでしまった。


「マリーたちはそこのデスクで状況推移を確認してください。他のC級歌姫クワイアたちとは情報量が違います。よろしいですね?」

「は、はい。見ているだけ、でしょうか」

「そうです、マリー。ハンナやレニーが何をしているのかをより正確に理解してください」


 カワセ大佐の平坦な声に、私たちは緊張する。私たちは示された大きなデスクに並んで座る。私を中心に右にアルマ、左にレオナだ。デスクにはタブレット型の端末が置かれ、立体映像を投射プロジェクションしていた。


 私たちが席に着いて端末を調整してから三分ばかりが経過した時、腕時計を見ていたカワセ大佐が顔を上げた。


「作戦開始時刻です。ネーミア提督、戦闘行動を」

『ネーミアよりカワセ大佐、了解』


 戦闘は唐突に始まった。


『全艦、セイレネス発動アトラクト!』


 スクリーンの映像が、第一艦隊旗艦・セイレーンEMイーエム-AZエイズィ艦橋ブリッジ前方からのものに切り替わる。


 ヤーグベルテ標準時一七〇〇ヒトナナマルマル――現地時刻は二一〇〇フタヒトマルマル時。すっかり夜だ。その夜闇を打ち消さんばかりに、海域は薄緑色オーロラグリーンに輝いていた。セイレーンEMイーエム-AZエイズィの放つ輝きは凄まじく、イザベラ・ネーミア提督のセイレネス適性の高さをこれでもかと言わんばかりに示していた。


「すごい……」

 

 呟いたのは私か、アルマか。海はいでいた。満ちた月もよく見える。


 私はスクリーンに映っている作戦概要を改めて見る。アーシュオンは第七艦隊に誘い込まれる形でパズウェル人工暗礁地帯におびき出されていた。アーシュオンの三個艦隊は地図に載っていなかった暗礁地帯に踏み込み、しかも後方を当の第七艦隊によって機雷封鎖されていた。


 機雷を避けて後ろに下がろうとすれば第七艦隊によって手痛い一撃を受ける。なにせ第七艦隊は反応弾を装備している。非核三原則の根強いヤーグベルテでも使用することのできるクリーンな兵器だ。


 かといって前に出ようにも、人工暗礁地帯を解析するまでは身動きが取れない。それにより、ヤーグベルテは歌姫たちを当該海域へと悠々ゆうゆうと向かわせられたのだ。


 罠にはまったと気付いたアーシュオンは、ナイアーラトテップのM量産型を多数派遣してきているが、それらを誘導してきた潜水艦隊は第七艦隊によって殲滅せんめつさせられたとのことだった。


『エディタ、トリーネ、クララ、テレサ! ナイアーラトテップクラゲどもを掃滅そうめつせよ!』

『エディタ、了解。みんな、いいな』

『トリーネ了解』

『クララオーケー』

『テレサ、了解』


 そこでレニーの声が響いた。


『レネより、ネーミア提督! M量産型確認。総数十五!』


 本当に十五いるんだ。私の唇が乾いていく。少し痛い。


識別子マークアップ確認した。レニー、引き続き索敵を頼む』

『了解』 


 彼我の距離は百キロ。目視では水平線に完全に隠れてしまう距離だ。しかし、ここまで近くなれば、もう砲雷撃戦に突入する他にない。


『レネよりネーミア提督、アレスより警告。戦力が足りていないとのこと』


 アレスというのは参謀部第六課が開発、管理しているAIの名前だ。今は戦闘補助にリソースの大半を割いているようだ。


『アレスか。その警告はありがたく聞いておくが、こちらも戦力が限定されている。アーメリング提督の第二艦隊の戦力を丸裸にするわけにはいかん』

『アーメリングより第一艦隊。第二艦隊からの増派は認められません。ネーミア提督、よろしいですね』

『最初からそのつもりだ。第二艦隊は当初予定通り、対空警戒を』

『アーメリング了解。第二艦隊、全艦バトコンレベル最大で固定フィックス対空AA戦闘シーケンススタート。ナイトゴーント、特に新型機ケルベロスに警戒せよ』


 まるで脚本でもあるかのように、スラスラと進んでいく戦闘の序曲オーヴァチュア歌姫セイレーン以外の視聴者たちは、もうすでにトランス状態にあるかもしれない。そのくらい強烈なセイレネスの波が私たちを洗っていた。


 オルペウスという特殊なフィルタを通さない限り、誰もがこのにより大なり小なり影響を受ける。そして歌姫セイレーンの力を持たない人々はオルペウスを通してでさえ、かなりの影響を受けるのだ。


『ネーミア提督!』


 ハンナ先輩の、聞いたことがないくらいに緊張感をはらんだ声が響いた。


『索敵範囲内に海中を超高速で接近する物体が突入してきました! 海中を秒速一千メートル!』

『秒速一千!? 亜音速魚雷SSTではないのか!』


 イザベラをはじめ、多くの人々の声が重なる。カワセ大佐を見ると、全く表情を変えぬままスクリーンを見ていた。そこにはレニーとハンナ先輩による索敵レポートがリアルタイムに反映されている。


亜音速魚雷SSTの可能性は否定ネガティヴ! サイズが重巡洋艦相当で、大きすぎます。アレスの見解も同じ。目標、なおも加速中! 情報を走査スキャン中。アーシュオン論理ネットワークALGへの侵入の許可を、提督!』

却下リジェクト。間に合わない。トリーネ、全速で退避しろ!』


 その巨大な物体は、トリーネの重巡洋艦レグルスに向けてまっすぐに突っ込んできている。しかし、レグルスも速い。直撃コースからは逃げられるはずだ。


 しかし、その物体の動きは力学をまるで無視していた。


 水中からイルカのように跳ね上がると、空中で進路を変えて重巡レグルスに飛びかかったのだ。


『嘘だろ、ちくしょう! 退避、間に合いませ――』


 重巡レグルスと並んで先陣を切っていたエディタの重巡アルデバランからの映像が回ってくる。


「あ……」


 思わず声が出てしまった。


 巨大な反応兵器が炸裂したかのように、空海域が焦げていた。強烈な熱量が発生したことが、周囲を覆い尽くす水蒸気から想像できた。


 そして――。


 トリーネのふねの反応が消滅ロストしていた。

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