05-04: 沈黙の聖女、ハンナ・ヨーツセン

 その嵐のような会見を見届けた私たちは、黙って立体映像投影装置テレビを消した。それぞれに顔を見合わせる。


「レベッカも変わっちゃったのかな」


 私とアルマの声が奇跡のようにハモった。しかしレニーは首を振る。


「変わってないわ」

「変わってない……?」


 レオナが尋ねる。


「違うの、今のレベッカは仮面を被ってるみたいな、そんな感じよ。レベッカはみんなの知ってるレベッカが本当。優しくて他人に気を使う。実直なタイプの人よ」


 レベッカと初めて対面した時のことを思い出す。銃の射撃訓練の間に呼び出されたんだっけ。


「レベッカはみんなのために苦痛を引き受けようとしているのよ」


 レニーの言葉に、私たちは黙ってしまう。


「あの方はヴェーラを失ってしまったことでをなくしてしまったのかもしれない。エディタ先輩たちだって、今は距離をとっているかもしれないし」


 そこでレニーは自分の携帯端末モバイルを取り上げて、何かの操作をした。


「ハンナ先輩にメッセージ。寮にいるはずだから」

「来られるんですか? ハンナ先輩が」


 ちょっと驚く私。ハンナ先輩といえば二期生唯一のV級歌姫ヴォーカリストで、一部界隈では「沈黙の聖女」などと呼ばれてもいる。内気でめったに人前に出ないタイプだし、広報活動に於いてもほとんど前に出てこない、一種のレアキャラだった。なのに、APではすさまじい攻勢を仕掛ける戦い方をすることで有名だった。もちろん、APでもボイスチャットでは喋らないタイプだったし、テキストチャットにも挨拶以外に打ち込んだことはなかったはずだ。


 先日戦闘補助のあの部屋で会った時にも、ほとんど会話は成立しなかった――。


「来るって。ダメ元でいてみたんだけど」

「わぁ! オフだし、今度はちゃんと話できるかな!?」


 アルマが無邪気にはしゃいでいた。私も少し胸が高鳴っている。ハンナ先輩には若干の親近感を覚えていたから、というのもある。


「マリィィィィィィィ」


 どんよりとした声を発しながらレオナが抱きついてくる。


「どどど、どうしたの」

「浮気しちゃぁ、ダメだぞぉ」

「しないしない。しないよ!」

「ハンナ先輩に可愛がられてもなびかない?」

「なびかないよ!」


 何を心配しているんだこのイケメンは。


 まあ確かに、ハンナ・ヨーツセンといえば、今目の前にいるレネ・グリーグに勝るとも劣らない魅力のある女性だ。メディアで見るたびにその小さな顔のあまりの美しさにうっとりしたものだ。


 その容姿の美しさは、エディタ・レスコと並んでも遜色がないほどだ。私が面食いだったら……いやいや、それでもないだろう。なにしろレオナの顔面偏差値は、(ハンナ先輩たちとは違う方向性ではあったが)限界突破しているからだ。


 私とレオナがじゃれ始めて十分も経たないうちにインターフォンが鳴った。レニーは携帯端末モバイルで鍵を開け、ハンナ先輩を招き入れる。


「お土産もなくて、その、ご、ごめんなさい」


 おどおどとした口調で言って、ハンナ先輩は頭を下げた。輝くように透明度の高い金の前髪がサラリと揺れる。エビ編みにされた髪の量も見事だった。

 

「突然お呼びしたのはこちらですから」


 レニーが自分が座っていたソファを勧めた。ハンナ先輩はしばらくもじもじした後でようやく腰を下ろした。


 って言うけど、つまり、本当にとても内気な人ゆえだったってことか。


 私は深く納得した。


 だが、それにしても、恐ろしく美しい人だった。隣りに座っているアルマだってすごくスタイルもいいし美貌と言っても差し支えないのだが、ハンナ先輩は(アルマには悪いが)格が違った。確か以前、百万人に一人の美少女、とか言っているテレビ番組もあった。異論はないが、その論理でいくと、この士官学校にはヤーグベルテ中の美少女が終結しているなんてことになってしまう。


 レニーはいつものインスタントコーヒーをハンナ先輩の目の前に置いた。私とレオナも立ち上がって、ペットボトルとグラスを人数分持ってくる。


「ハンナ先輩はマリーたちとは二度目、ですよね?」

「え、ええ。この前、トリーネ、先輩、と」


 ハンナ先輩は青とも緑ともつかない色の目を泳がせながら言う。


「ハンナ先輩、そんなおびえなくても」

「お、お、怯えているわけじゃないのだけれど、どうしても、こう、苦手で」


 目に見えない結界を張るタイプの人物なことはわかった。プライベートゾーンが恐ろしく広い。無意識に他人を近付けまいとしている。そこに私はまた強い親近感を覚えた。


 そこに無遠慮に切り込んだのがレオナだ。


「APではものすごかったと記憶しています」

「APは楽しかった」


 ハンナ先輩の表情が少し和らいだ。


「あ、一応改めて紹介しておくと、自分、レオナです。レオノール・ヴェガ。この子がマリオンで、あっちの三色頭がアルマ」

「三色頭っておい」

「アイコンとしてわかりやすいのは良いことだよ、アルマ。私なんて長身イケメンくらいしか特徴がない」

「おいこら」


 レオナってば、自分がどれほど魅力的なのか怖いくらい理解しているんだよなぁ――などと思う。アルマはぶすっとした顔をしていたが、ハンナ先輩が小さく笑ったのを見て大袈裟に肩をすくめた。


「面白い子、たちね。マリーとレオナは、その、付き合ってるって噂」

「え?」


 前のめりになる私。


 だって、付き合ってからまだ二週間だよ?


「だいぶ前から、噂に、なってたよ?」

「で、でも、付き合い始めたのはクリスマスで……」

「マリー」


 レニーが私の隣に座った。レオナと私、そしてレニーが座っても、ソファにはまだ若干の余裕があった。


「その前からあなたたち、ラブラブだったじゃない」

「……そ、そんなはずは」

「いーや、ラブラブだったね。少なくとも私はそうだったから、周りからはそう見えてもおかしくない」


 レオナが、ばんと胸を張った。私より長身でスレンダーでイケメンなくせに、私より胸が大きいというのは一体全体どういう了見りょうけんなのだろうか。


「あは、やっぱり、おもしろいね。あと、レオナ、声がすごくきれい」

「ありがとうございます、ハンナ先輩。高い声は出ませんけどね」

「うっとり、しちゃうね。マリーも、そこに、やられたのかな?」


 途切れ途切れのハンナ先輩の言葉。それは半分以上正解だ。顔もいい、スタイルも良い、性格もいい、声もいい。全部いいのだ。だけど、私に向けられる言葉――それを乗せる声は、とりわけ私には重要だった。


「ハンナ先輩といえば、APの一時間あたり最多撃破記録保持者でしたっけ?」


 アルマが隣のハンナ先輩に訊いた。ハンナ先輩は前髪をつまみながら小さく頷く。


「でも、マリーに、抜かれた」


 そういえばそうだった。一時間で一個艦隊を殲滅した結果、一隻差でハンナ先輩を追い抜いたのだ。


「でも、スコアではハンナ先輩が未だに記録保持してますよ。先輩の時は大型艦が多かったから」


 私は携帯端末モバイルでワールドレコードを確認しながら言った。


「でも、ちょっと、悔しかった」


 ハンナ先輩はうっとりするほど美しい微笑を見せた。


「私、APくらいしか、頑張れるものがなかった、から」

「私もです、ハンナ先輩」


 私も、なのだ。ハンナ先輩はまた微笑み、コーヒーを飲んだ。


「さすが、レニー。私が、猫舌なの、覚えてた?」

「もちろんです」


 レニーは頷いた。このレネ・グリーグという人物の空気読み力は半端じゃない。曰く、先輩たちやレベッカからは仲介者とか中和剤なんて呼び方もされているらしい。とにかく周囲を見ているのだ。


「怖い、けど」

「怖い?」


 私は首を傾げる。ハンナ先輩は頷いた。


「だって、来年には、私も、戦場に、出る。先の海戦を思ったら、怖く、て」


 大丈夫です、なんて不誠実な言葉は言えなかった。私はレオナを見上げる。レオナは口角を上げた。レオナは言う。


「その頃までにはエディタたちも完全な戦力になっているはずです。少なくとも先の戦いよりは状況はよくなっているはずですよ、ハンナ先輩」

「だと、いいけど」


 ハンナ先輩と目が合った。が、すぐにらされてしまう。


「APでご一緒したことあるんですけど、覚えていますか?」

「覚えてる、マリー。私が士官学校に入る直前、だったから、あなたたちは、ジュニアハイの一年生だった?」

「そうです! あの時は本当にワクワクして、でもそのせいでなんかよく覚えてないです」

「あの時すでにマリー、アルマ、レオナは、すごい新人がいるって有名だったわよね」


 ハンナ先輩の言葉が急に流暢りゅうちょうになった。


「あなたたち三人はその頃からよく同一戦場にマッチングされるようになったのよね」

「すごい! よくご存知ですね」

「APだけは誰よりも詳しいって自負があるの」


 なるほど、自分の好きなことに対しては途端に饒舌になるタイプということか。の意外な一面に気付いて、私のテンションはこっそり上がる。


「そうだ、みんな暇?」


 ハンナ先輩が携帯端末モバイルを取り出しながらいてきた。


 私はレニーを見た。レニーはにっこり微笑んで、「暇を持て余していたんです」と応えた。


「じゃぁ、ブルクハルト教官のところに行かない?」

「え? 年始休みじゃ」

「あの人に休日はないわ。いつでもあの部屋にいるもの」


 なんていうブラック労働だ。呆れる私をよそに、レオナがく。


「それで、ブルクハルト教官のところで、何をするんです?」

「決まってるじゃない」


 ハンナ先輩は携帯端末モバイルでメッセージを送ってから立ち上がる。


APアルス・パウリナよ、レオナ」

「一回だけ使わせていただいたことがあります。それと?」

「ちょっと違うと思うわ。ちゃんと集団戦ができるの!」


 すっかり人が変わってしまったかのようなハンナ先輩の放つオーラに圧倒されながら、私たちはいそいそと立ち上がった。

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