05: その時が訪れる

05-01: 事件、そして孤独。

 それから年が開けるまで、アーシュオンは一切動かなかった。今まではどこかそこかで何らかの挑発行為をしたりもしていたのだが、それらもなかった。レベッカの動きが変わったことで、ヤーグベルテが何をたくらんでいるのかわからなくなったのかもしれない。


 そんなことより、連日メディアやネットは大荒れだった。レベッカに対する誹謗中傷は枚挙まいきょいとまがなく、それを目にするだけで私たちの心はえぐられた。軍や政府への批判もあるにはあったが、すぐに目につくところからは消された。結果として、レベッカや92年カルテットへの見るに耐えない罵詈讒謗ばりざんぼうだけが残った。


 大晦日おおみそかの頃にはメディアは何事もなかったかのように年末特番を流し始め、次第にあの凄惨なクリスマス・イヴの戦闘はなかったかのように扱われ始めた。


「あれだけ守ってもらっておいて、いざ思い通りにならないとなると手のひらを返して、こうまで口汚く罵れるもんなんだねぇ」


 新年最初の料理当番のアルマはそう言いながら卵焼きを作っている。その隣ではレニーがせっせとサンドイッチを作っていた。私は携帯端末モバイルでニュースを追いながら、二人のことを「仲の良い夫婦みたいだな」などと思っていた。


 かく言う私は、十二月三十日からレオナは帰省してしまっているので、ぼっち三日目だ。レオナとお付き合いすることを決めるまでは、一人でいることはなんにも苦じゃなかった。


 だけど今はどうだ。


 寂しいったらありゃしない。早く会いたい。一刻も早く顔を見たい。


 メッセージを送ればすぐに既読はつく。返事も来る。通話をすれば立体映像で顔を見ることができる。でも、違うのだ。そうじゃないのだ。


「マリー、泣きそうな顔してるわよ」


 レニーが山盛りのサンドイッチとグラスを持ってやってくる。


「寂しい時は沢山食べると良いわ。チキンもあるのよ」

「ほい、チキン。あと卵焼き。レニー、アイスティ冷蔵庫にあるからお願い」


 アルマがレンジから温めたチキンを取り出して、テーブルの真中にドンと置いた。卵焼きはその脇に遠慮がちに置かれているが、アルマの卵焼きはダシとネギが効いている絶品だ。


 施設では度々料理を担当させられていたとのことで、実は一通りの料理はできるのだそうだ。私は施設では何もさせてもらえなかったから、生活能力は皆無と言ってもいい。


 でも今、料理はアルマに教わっていて、おかげで自分たちが食べる分にはそれほど困らなくなった。


「正月特番、見るものないなぁ」


 アルマは立体映像投影装置テレビに番組表を出力してうなる。


「あ、そうだ」 


 携帯端末モバイルを取り出し、アルマは私たちにその画面を見せた。


ANアルスノヴァっていう軍公認のソシャゲっつかリズムゲームなんだけどさ。これが結構よく出来てるんだよね」

「新作?」


 レニーが訊いた。アルマは頷く。


「今日の0時にリリースされたんだけど、あたしもうハードモードクリアしちゃった」

「はやッ!」


 私も自分の携帯端末モバイルにそれをダウンロードして、プレイを開始してみる。


 空中に投影される様々なオブジェクトを的確なタイミングでタップして落としていくタイプの、よくあるリズムゲームだ。


 ただ物理画面や空中投影画面に映される映像は見たことがないほど美しく、使われている音楽はどうやら全曲歌姫セイレーンたちの持ち歌レパートリーそのものらしい。最初はC級歌姫クワイアたちの歌ばかりだが、先に進むに連れヴェーラやレベッカのそれもプレイできるようになるとか。


「私、リズムゲームってあまり得意じゃないかも」


 最初の一曲は良かったが、三曲、五曲と進むに連れ指と目がついていかなくなってくる。レニーはもう少し要領はよかったが、それでも初見プレイには限界があった。


 私たち三人はイヤフォンを着けてそれを黙々とプレイしたが、真っ先に音を上げたのがレニーだった。一時間くらい経過していただろうか。


「これを朝までにクリアしたの? すごくない?」

「リズムゲーって得意なんだよね、昔から」

「へぇ」

「施設でも暇があったらやってたから」


 私の施設ではゲームが禁止されていたなぁ。


「で、エクストラハードってのがあって、今その攻略中。見る?」


 私たちは自分のゲームを中断して、アルマを中心に左右に座った。


「このステージは『ナイト・フライト・イクシオン』。ヴェーラの歌だね」


 ナイト・フライト・イクシオンはヴェーラの歌の中でも五本指に入るほどの人気曲だ。アップテンポなテクノサウンドとオーケストラが融合した壮大な歌だ。何よりそのモチーフが、カティ・メラルティン大佐であるところもまた、人気が出た理由だ。かつて士官学校が襲撃された時、候補生でありながらただ一人基地の旧式機イクシオンを駆って、襲撃者撃退の立役者となった――その時の勇気を称える歌だったからだ。


 そしてゲームの方は、正直「何をやっているかわからない」ものだった。だが、アルマは微笑さえ浮かべて両手の指をリズミカルに動かしている。物理画面の端にある数字が一瞬ごとに増えていく。アルマが指を動かすたびにEXCELLENTエクセレントの文字が弾けて消えていく。


 私は、そしておそらくレニーも、まばたきさえ忘れてそれに見惚みとれた。


「クリアするとスコアに応じて特典映像が見られるんだよね」


 喋りながらもEXCELLENTを積み上げていくアルマ。どういうリズム感とゲームセンスなんだ。


「危ない危ない、EXCELLENT逃がすところだよ」

「しゃ、喋らないで集中して!」


 レニーがハラハラした顔で訴える。私も同じ気持ちだ。


「ちゃん、ちゃん、ちゃんーっと。ほい、初見PERFECTだ!」

「すっごい!」

「すごいよ、アルマ!」


 私とレニーがアルマを褒めたたえる。アルマは「特典映像ゲット」と言って、ゲームを一旦終了した。


「さすがに集中力使ったわー」


 アルマはアイスティを飲みながら少し勝ち誇ったような表情をしてみせた。


 その時だ。私たち三人の携帯端末モバイルが一斉にアラートを鳴らした。最初に動いたのはレニーだった。レニーは画面を見て固まっていた。私たちも慌てて自分たちの携帯端末モバイルの画面を確認し、同じように固まった。


「ヴェーラが……亡くなった……?」


 アルマが乾いた声を上げた。


 焼身自殺未遂から三ヶ月強。必死の医療行為の甲斐もなく、か……。


 私はどこか他人事ひとごとのようにそのニュースを追っている。間もなく報道もそればかりになるだろう。そうなったら私たちは報道から目を逸らすだろう。あまりにつらい内容になることは明白だからだ。


 とにかく、衝撃が大きすぎて、不安が強すぎて、悲しみが追いついてこない。


 どうしよう。レオナに連絡した方が良いのかな。レオナにメッセージを送ろうか。


「ねぇ、レニー」


 アルマが乾いた声を絞り出す。


「ヴェーラって……どんな人だった?」

「気さくで、子どもみたいな人。でも、鋭い刃みたいな一面もあったわ」

「刃みたいな?」

「危うさを感じる人だった。特にね、言動に問題があったってわけじゃないのよ。でも、ここのセイレネス・シミュレータの調整を手伝っているときに、ヴェーラを感じたことが何回かあって。その時に、底知れぬ闇のようなものを、ね」


 それがヴェーラをのかもしれない。


「でも、仕方ないわ。あの方が闇に飲まれたとしても。だって、あの方はあまりにも辛い思いをしてきたもの。レベッカと二人でなければもっと早く限界が来ていたと思う」


 レニーの声は震えていた。


「ヴェーラは全部、一人で受け止めようとした、愛するレベッカを苦しませまいとして。だから、壊れてしまったのよ」

「そんな。それじゃレベッカもあまりにも救われない」


 アルマは呻いた。私も全く同じことを思った。


 レニーはふと息を吐き、アルマを、そして私を見た。


「私ね、セプテントリオの生まれなんだ」

「え? アマダバートじゃないの?」


 思わず私はそう訊いた。公の資料でも、レネ・グリーグの出身地は五百万都市アマダバートってことになっている。私の頭の中には歌姫セイレーンに関する公式資料の情報はほとんどインプットされている。


 レニーはちょっと笑った。


「あれは嘘。故郷セプテントリオの事をいつまでもあれこれ訊かれるのが嫌で、そういうことにしたの」

「ってことは、レニーもの被害者って、こと?」

「うん」


 レニーはアイスティを飲んで、「はぁ」と天井を見上げた。


「あの空襲の後みたいな、気分だわ」


 その気持ちは私にもわかる。当時四歳だったから、もう具体的には思い出せないけれど、何もかもが不安で仕方なかったことは覚えている。見知らぬ大人に囲まれ、施設に入れられ。それからの私の数年間は空っぽだった。


 ヴェーラが、レベッカが。初めてアーシュオンの艦隊を撃滅したあの戦いが。そしてそれに続くAPのリリースが。歌姫養成科の設立が。それらがあって、私は生き続けることができた。歌姫セイレーンに、いや、ヴェーラとレベッカに生かされていたようなものだった。


 レニーはらしからぬ険しい視線で私を見た。


「こうなってくると、レベッカ一人体制がますます加速するわ。負荷が一気に上がっていくし、現状、歌姫セイレーンたちからの不安と不満も高まっている。国民からの風当たりも強い。カワセ大佐がいなければ参謀部だってあっという間に瓦解するところよ」

「そんなに、危ういの?」


 アルマが緊張をはらんだ声で尋ねる。


「ええ。先の戦闘、誰もあんなことになるなんて思っていなかった。C級歌姫クワイアにしてみれば、レベッカやエディタ先輩たちに裏切られたようにも思えたでしょうね」

「でも、それは」


 私が言いかけたが、レニーは首を振った。


「戦死した七人は、誰かの友人であり、誰かの娘だった。誰かの姉だったかもしれない。妹だったかもしれない。恋人だったかもしれない。……それが全てよ」


 レニーは目元をぬぐいながらそう言った。


「中には私に親しくしてくれていた先輩もいたの。いい人だったわ」


 もちろん、と、レニーは顔を上げた。そのまま天井を見上げて止まる。


「レベッカの判断も理解できる。長期的に見れば間違えていない。それもわかる。参謀部の、なにせ、あのカワセ大佐が承認したのだから、軍部としても政治的にも正しいのだろうと思う。けれど、けれどね、割り切れないのよ、私には」

「レニー……」


 アルマがレニーに寄り添う。


 私は膝の上に組んだ手の方に視線を移した。

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