04: クリスマス・イヴの戦

04-01: 沈黙の旗艦

 十二月二十一日から士官学校は冬季休暇に入ったのだが、今日というクリスマス・イヴの日は、今のところ最悪の日だ。


 まず、前日の夜にレオナが発熱した。謎の高熱だったが、連日の訓練で疲れが出たのだろうという診断だった。アルマは「鬼の霍乱かくらんだ」などと言っていた。


 そのレオナは今、私の膝の上で赤い顔をしながら眠っている。


 そして、当日の午前八時には、レベッカ率いる第二艦隊が、ナイアーラトテップ複数をようするアーシュオンの二個艦隊と遭遇する見込みという連絡が入っていた。この時点で、士官学校のクリスマス・イヴは終了である。


「レニーも行くんでしょ?」


 アルマが問うと、士官学校の制服に身を包んだレニーは「遅くなるかも」と鋭い表情で言った。


「大きな会戦になりそうだから」

「二個艦隊で?」

「嫌な予感がするの」


 レニーはそう言って、慌ただしく出ていった。アルマは玄関までレニーを見送って、戻って来ながらぼやく。


「見物しかできないのがね」

「いつでもみんなの助けになれるように、私たちも勉強しておかないと」

「うん」


 アルマはそう言って、私とレオナが占拠しているソファとは別の方に腰を下ろした。


 私たちの前にある立体映像投影装置テレビの中では、アナウンサーが生真面目な顔で原稿を読んでいる。軍事評論家を名乗る人は、今回も楽勝だろうと言っていた。


 楽勝なのはレベッカの力のおかげだ。レベッカの絶対的な防御があるから、エディタたちは勇躍ゆうやくできるのだ。


「……ん? ウラニア、さすがに後ろ過ぎないか?」


 アルマが戦域展開図を見ながら言った。確かに、艦隊旗艦きかんウラニアは艦隊主力より二十キロ以上も後ろにいる。これでは今展開している輪形陣では守り切れない。


「まぁ、ウラニアは守られる必要もないっちゃないけど」

「そ、そうだね」


 だが、これではウラニアが他の艦を守れない。


 先頭に立つエディタの重巡アルデバランと、トリーネの重巡レグルス、左右を守るクララの軽巡ウェズン、テレサの軽巡クー・シー……全艦が絶妙にウラニアの防御範囲から外れている。あれから過去のデータ解析なども行ってきたから、私たちにはそれがわかる。ウラニアが中心にいないと都合が悪い。C級歌姫クワイアたちの艦への防御も万全とはいえない陣形だ。


「どういうつもりだろ……」


 アルマが髪の毛を掻き回した。私も親指の爪を唇に強く押し当てる。


 一二〇五ヒトフタマルゴー時――エディタの部隊が動き始めた。敵が艦載機を発艦させたからだ。


『エディタ班、対空戦闘用意!』


 エディタ・レスコ中尉の号令が、通信回線を通じてヤーグベルテ全土に響き渡った。


 エディタ指揮下の十隻の防空駆逐艦が鮮やかに海面を滑り、輪形陣を敷く艦隊の外側を広く半円状に守った。この時もウラニアはその防衛網の外側にいる。


 エディタが号令する。


『レニーとハンナの情報を信じろ。ステルス機を見落とすな、トリーネ』

『うい。トリーネ班全艦、艦載機をやり過ごしたら突撃する。いいね!』


 トリーネの声は、おかで会った時よりもずっと研ぎ澄まされていた。


『艦隊全艦、セイレネスを発動アトラクト。通常艦隊は前座だ、遅れを取るな』


 ここまで、レベッカは一言も喋っていない。映像の中のウラニアはただ沈黙している。


 ここに来てコメンテーターたちは露骨に動揺し始めた。


『レベッカは何をしているのでしょう。何かあったのでしょうか』

『セイレネス・システムの故障かもしれませんねぇ』

『ナイアーラトテップも確認されているんですよ。大丈夫なのでしょうか』


 そんなことを口々に述べ立てている。


 その間にも、前線の状況は動いていく。


『エディタより全艦。敵攻撃機の亜音速魚雷SST装備確認。エディタ班各艦、優先目標ターゲットを指示した。魚雷を撃たせるな!』

『クララ班、全艦コーラスを展開!』

『テレサ班、コーラスで第一波をやり過ごして!』

『トリーネ班、突撃準備! 中央突破で先鋒艦隊の旗艦を潰す!』


 エディタ班の対空防御が鍵だ。レベッカが防御を展開していない以上、未熟なメンバーでそれをまかなわなくてはならない。開幕攻撃の防御に失敗したら、その時点で戦線はガタガタになる。そこからの挽回が難しいことは、私はAPの経験で知っていた。


「がんばって……」


 私の口から思わず祈りが出た。


 映像の中に敵航空機の影が見え始める。


 それと同時に、エディタの重巡アルデバランが対空ビーム砲を撃ち放った。網の目のように広がった光線が、ビーム反射ドローンリフレクターによって幾重にも乱反射していく。


 いつもならこれで片がつく。


 だが、命中精度が低い。いつもの半分、いや、三分の一……。


 エディタの動揺が伝わってくる。


 あの冷静な歌姫セイレーンが動揺している、その事実に私の背筋が凍る。


『トリーネ班、対空防御に転換する!』


 まずいな。私は指を組み合わせて、離して、また組み合わせる。落ち着けない。


 その時――。


『トリーネ、そのまま突撃してください』


 レベッカの毅然きぜんとした声が聞こえてきた。


『エディタ班を信じなさい。あなたの部隊が敵陣をかき回せなければ、こちらは劣勢になる』


 そうだ、その通りだ。仮に対空防御がうまく行かなくても、こちらは戦力の量では劣るが総合的に質で勝る。であれば敵を撹乱かくらんするのが得策だ。


 V級歌姫ヴォーカリストが率いる歌姫セイレーン部隊を止められる通常戦力はそうそういないだろう。しかし、被害のリスクはある。APというゲームであれば肉を斬らせて骨を断つというのも立派な戦術ではある。だけど――。


「被害を容認するんだ……」


 アルマが呻いた。その時、私の膝枕で寝ていたレオナが目を覚ました。


「ああ、寝ちゃってた……」

「大丈夫?」

「今さ、戦闘開始でごたついてるよね」

「なんでわかるの? 寝てたよね」

「なんでか、わかる」


 レオナは目をこすりながら言った。頬は赤く、額に触れるとまだ熱がある。


「今タオル持ってくるから、待ってて」

「ありがとう」


 レオナは大人しくソファに横になった。


 私は濡れたタオルと吸熱シートを持ってレオナのところへ戻った。タオルで顔を拭いてあげてから、吸熱シートを首に貼る。


「脇にも貼る?」

「ううん、そこまでではないと思う」


 レオナは首を振りながら身体を起こし、立体映像投影装置テレビの方に視線を向けた。


「ちょっと落ち着いた。それに今、寝てる場合じゃない」


 レオナの視線は見たことがないほど鋭く険しかった。


「レベッカが

「うん」


 旗艦ウラニアは完全に後方に下がっていた。レベッカの能力を考えればという時にはどうにか出来る距離感ではあると思うが、それでもエディタたちは独力での対処を余儀なくされる。


 立体映像投影装置テレビの中でトリーネ班計十隻が動き始める。敵航空機の対艦攻撃をくぐりながら、前に前にと進んでいく。コーラスによる海域封鎖がなければ一瞬で全滅していただろう。コーラスはトリーネの重巡レグルスを守るように展開されている。そしてトリーネはその防御の中心から強烈な打撃を敵の先鋒部隊に叩き込んでいる。


『エディタ班、対空戦闘続行! トリーネ班を守れ』


 エディタも動揺している。焦っている。嫌と言うほどそれが伝わってくる。いつもの冷静さがない。私の組み合わされた拳にレオナの手が重ねられた。私は震える唇をどうにか制御して言った。


「どうして、レベッカは……」

「戦い方を、いや、国防の態勢を変えるつもりなのかもしれない」

「あたしもそう思った」


 レオナとアルマが口々に応えた。


「戦い方を変える?」

「うん。このままだと、結局レベッカ……アーメリング提督が前線に出ずっぱりになる。国防が極端なしてしまっている現状は変わらない」


 レオナはタオルを額に押し当てながら苦しげに言った。私はそんなレオナに寄り添い、肩にレオナの頭を乗せさせた。アルマは立体映像投影装置テレビから目を離さず、腕を組んでソファに身を沈めた。


「でも、この戦い、このままだとかなりの損害が出る」

「だ、だよね」


 歌姫養成科第一期生が戦いに身を投じること四度目。三度目までは無敵の艦隊だった。だが、今は、目の前の敵を撃つことすら覚束おぼつかない。APだったら戦績マイナスがいくつも入っている。


「ナイアーラトテップも接近中だ。ナイトゴーントも来るぞ」

「……どうしよう」


 アルマの言葉を受けて、私はおろおろと二人を見回した。動揺が目に来ていて、今にも泣いてしまいそうだった。


『クララ班、テレサ班、ナイアーラトテップクラゲを抑えろ!』


 エディタの号令が飛ぶ。今戦力を散らすのは得策ではない。だけど、ナイアーラトテップがこの乱戦に参加したら、勝機が失われてしまう。


 胃のあたりがキューッと冷たくなる。


「お願い、どうにかなって……!」


 何もできない自分が、ひどく虚しかった。

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