03-08: 大浴場にて

 ヤーグベルテ統合首都にある士官学校の寮には、なぜか大きなお風呂がある。百人以上が同時に利用出来る規模の大浴場だ。しかも天然温泉である。


「誰の奇特きとくなこだわりかはともかく、この風呂はそれだけで価値があるわな」


 アルマがタオルを振り回しながら言う。周囲を見回すと同期や先輩が十名ばかり、先客として利用していた。


 恐ろしいほどの美形であるレオナの姿を見て、慌てて身体を隠す人もいる。気持ちはわかる。


 洗い場の利用をつつがなく終えた私たちはいよいよ大浴槽の一つに浸かる。


 改めて見て思ったが、レオナは女性としても完璧なプロポーションの持ち主だった。閉まるところは締まり、出るところは出ている。そして腹筋は引き締まっていて、それでいて女性らしい柔らかさも感じられた。私と同じ生物とは到底思えない。アルマはアルマで、健康的な美スタイルだった。レオナと比較するのは可愛そうだが、少なくとも私なんかよりもずっと性的な魅力に溢れている。


「マリーは女の子らしくて素敵だよ」


 レオナは浴槽の中でも私を離してはくれない。肩に掛けられた手の先が、私の胸に触れている……。


「レオナ、手」

「だめ?」


 何その捨てられた子犬みたいな顔……。


「ばっかレオナ、そういう時はこうするんだよ」


 アルマが私の胸を鷲掴みにした。私の身体はびっくりして硬直している。


「ちょっちょっと!」

「ふわっふわ」

「いいなー」

「そうじゃない! あー、もう、やめなさーい」


 私はアルマを引き剥がし、ついでにレオナからも距離を取った。ちょうど正三角形の位置関係だ。


「そういうことはね、ちゃんと相手の合意を取らなきゃだめだよ、アルマ」

「後で取ろうと思ってた」


 アルマが胸を張る。私は「いやいや」と首を振る。


「てか、事後じゃだめだから」

「レオナにはほとんど触らせてたのにあたしはダメって意味がわからない。マリオンおっぱいは公共物だ」

「断じて違う」


 私の貞操観念はそこまでゆるくはない。


「で、さ」


 レオナが不意に真面目な声を出した。


「私、最初から本気なんだけど。この二ヶ月で、私の想いはますます強くなっているんだけど、これはどうしたらいいんだい?」

「お、想いって、その、私を好きっていう?」

「それ以外何があるんだい?」


 すっと近づいてきて、私の顎に触れるレオナ。そのあまりに自然な動作を前に、私の反射神経は沈黙していた。洗い場や浴槽の中には他の利用者もいるのだが、誰もが見ないをしていた。レオナは目立つが、それ以上に私たちは新入生の中でも最も注目される三人だったから。


「本当は今すぐでもこの唇を奪いたい」

「あたしも!」

「アルマはいつだって襲うチャンスがあったじゃないか。同じ寝室なんだし。それなのにコトに至ってないのは、君の想いがまだ実ってないからだ」

「め、めちゃくちゃだ……」


 アルマが圧倒されている。だが、レオナの言うことには一理ある気がしないでもない。アルマは私と二人きりの時は、時々色っぽい話題を出す他には手を触れてくることもない。案外奥手なのかもしれないと、最近気がついた。


「レオナ、ストップストップ。キスするにしてもこういう場所でするのは、私、違うと思うなー」

「じゃぁ、ホテルを手配……」

「未成年だからね、私たち、未成年」

「ちぇ」


 レオナは本気でねた。そして「でも、それがいい」とか言いつつ浴槽の角に陣取って、天井を見上げた。そして一つ息を吐いてから言った。


「こんな平和な時間も、ヴェーラとレベッカが作ってくれたんだよね」

「当然のようになっているけどな」


 アルマがタオルを畳みながら応じる。


「92年カルテットが戦列に加わったと言っても、まだ独立戦力とは言えない。アーメリング提督あってこその歌姫艦隊だから。提督の負担を減らすためには、あたしたちが頑張らなきゃならない」

「うん、そうだね」


 私は頷く。


 私たちは、みんな一生懸命なのだ。平和のために、アーメリング提督はもちろん、多くの歌姫セイレーンや関係者たちは必死なのだ。


「なんで戦争なんてするんだろう」


 ヤーグベルテとアーシュオンは、諸外国を巻き込みながら、もう一世紀もの間戦争状態を続けている。軍事衝突がなかった期間もあるにはあるが、基本的には戦い続けている。目的のはっきりしない、終わりのない戦いだった。


 二国は互いを滅ぼすようなことはなく、北部地方の島嶼とうしょ部の奪取奪還の繰り返し、中部南部の海域の奪い合い、そんなことを続けている。


 ヤーグベルテは基本的には専守防衛だったが、ヴェーラとレベッカの処女戦の圧倒的勝利後、その原則はなくなり、ヴェーラとレベッカの共同作戦により、アーシュオン本土への空爆を行ったりもした。そしてアーシュオンは先の戦闘のように、常にヤーグベルテ本土をおびやかし続けている。


「まるで戦争自体が目的になってるみたいだよね」


 私が言うと、アルマは頷いた。


「誰かの手のひらの上で踊らされているような、ね。まるで軍事技術の発展を競わせているみたいにさ」

「それはあながちハズレでもないさ」


 レオナは自分の頬のあたりをマッサージしながら言う。


「それもこれも、案外ジークフリートの差し金かもよ」

「あの超AIが?」

「ていうか、ジョルジュ・ベルリオーズ。もっと言えば、ヴァラスキャルヴ」


 ヴァラスキャルヴというのは、超AIジークフリートの開発者、ジョルジュ・ベルリオーズが組織した超巨大軍産企業複合体コングロマリットのことだ。数多くの組織が国境を超えてそれに所属しているらしいが、その実態は謎だ。


 私たちに関係するところでいえば、セイレネス・システムの開発元、ホメロス社がこれに所属しているらしい。私たちの上司であるマリア・カワセ大佐も、このホメロス社からの出向なのだとか。


 アルマが険しい顔をしながら呻いた。


「戦争すりゃするほど儲ける。他国にも売れるようになる、か」

「まぁ、そんなにわかりやすい話だけとも思えないけどね」


 レオナは水中で思い切り伸びをする。うなじから鎖骨、肩、そして肩甲骨へのラインを私は思わず見つめてしまう。人類として完璧すぎるのだから仕方ない。美しいものに目は行くものだ。


「いずれにせよ、今のままだとアーシュオンの飽和攻撃にやられる。それ以前に提督の身体が持たない。ヴェーラには復活してもらわないと」

「ヴェーラは今、どういう容態なんだろう」


 私が問うと、レオナは難しい表情をした。


「ひとつも情報も出てこないってことは、良くはないってことだと思う」

「そっか……」


 そうだよね、と、私は憂鬱な気持ちになる。焼身自殺未遂から二ヶ月が経過した。その間、出てきた情報は皆無だ。かろうじて亡くなってはいない事はわかる。しかしそれだけだ。


 アルマが前髪をもてあそびながら呟いた。


「最悪の事態なんて考えたくないけど、仮にそうなったとしてもヤーグベルテは守り続けなくちゃならない。あたしやマリーみたいな子を増やすわけにはいかない」

「そうだね」


 私は同意する。家族や友人を奪われる経験なんて、他の誰にもさせたくない。そんな私の肩に手を掛けたアルマは、ニッと笑って言った。


「戦争なんて、あたしたちの時代で終わらせちゃおうぜ」

「うん」


 そうだねと私は強く同意する。レオナも頷いた。そしてドサクサにまぎれて私とアルマを抱きしめた。


「もう!」

「やめ、やめろよ、もう。恥ずかしいな!」

「私、悔しくてさ」


 レオナが珍しい表情を浮かべていた。


「私はS級ソリストじゃないから、二人の足を引っ張ってしまう」

「関係ないっしょ」


 アルマがレオナの肩をぺしぺしと叩く。


「APでもあたしたちは最強だった。さっきだってなんちゃってだけどコーラス出せるようになったし」

「そうそう。能力とかじゃなくて、私たちにはレオナは必要なんだよ」


 私は身振りをたくさんつけてそんなふうに言った。レオナは少し遠くを見るようにしてから、私をまっすぐに見つめた。吸い込まれそうなほどに深い色の虹彩から、私は目を離せない。


「私さ」


 レオナは言う。


「結構悩んでたんだよね」

「能力に?」

「そ。悩んでも仕方ないけど、でも、さ」


 いつもならここで抱きついてくるはずなんだけど、今のレオナはそんなことはしなかった。


 アルマがレオナに軽くお湯をかける。


「レオナにはレオナの仕事があるだろ。らしくないよ」

「まーね」


 レオナは肩をすくめて私を正視した。


「集団戦闘に関してはマリーにもアルマにも負ける気はしてないからさ」

「認めざるを得ない」


 アルマが仏頂面で言う。私は落ちかかってきた前髪を払いける。その時、レオナが私の両肩をがっしりとホールドした。


「マリー、それでさぁ」

「う、う、うん?」

「私おおまじめなんだけどさ、マリーと付き合いたいんだよ」

「この流れでそう来る!?」


 思わず突っ込んでしまう私である。


「だめかなぁ。もう二ヶ月もモーションかけてるんだけど。ダメならダメでいいから、返事が欲しいよ」


 低くハスキーな声でそう言われて、私は思わずアルマを見た。アルマは「好きにしろよ」とジト目で私とレオナを見ていた。


 私はこの場で応えるべきか否か、たっぷり一分悩んだ。そして、言う。


「クリスマス・イヴ」

「うん?」

「あと二週間でクリスマスじゃない? その日に返事するよ」

「こりゃまた、気を持たせてくれるなぁ」


 レオナはぶちぶちと言った。アルマは立ち上がると、「二ヶ月も待ったんだからあと二週間くらいどーってことないっしょ」と軽く言って出ていってしまった。


「ねぇ、マリー」

「うん?」

「どうしてあと二週間も?」

 

 どうしてかな?


 私も立ち上がり、レオナと並んで浴槽から出た。


「でもま、いいか。クリスマスねぇ」


 レオナは私と手を繋ぐ。周囲の目がちょっと痛い。


「我慢我慢。我慢だぞ、レオノール」


 心の声がダダ漏れだ。


 私はこんなにも私のことを好いてくれる人に出会ったことがない。そして同時に、私も誰かのことをここまで好きになれたことがない。だから、正直なところけっこう戸惑っていた。


「クリスマス、デートの後で返事を聞かせてよ」

「うん、わかった」


 ……。


 ……?


 なんだか軽く返事してしまった。こういう考えなしの所が、私のダメな所に違いない。


 私はため息をつきつつ、服を着た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る