02-03: 王子様かな?

 その後、レネは急な呼び出しを受けて部屋を出ていってしまった。有力な歌姫セイレーン候補生ともなると、急な呼び出しは日常茶飯事なのだそうだ。


 参謀部第六課というセクションが私たち歌姫セイレーンとその作戦行動については管理監督しているのだが、ここの人使いが相当に荒いらしい……という噂はここに来る前からさんざん聞かされてきた。


「マリーもアルマも施設なんだね」

「うん。ひどい施設でさぁ」


 アルマは眉間に縦皺を寄せて頷いている。その手にはコーヒーの入った紙コップがある。私はコーヒーはもう無理だったので、とりあえず水だ。レオナのステンレスボトルには、温かい蜂蜜水にレモンを浸したものが入っているとのことだった。喉に気を使っているらしい。さすがは音大学長の一人娘だ。


「あ、そうだ。買い物行こうよ」


 レオナはそう提案してきた。


「何かと入り用じゃない? マグカップとかさ。軍からの支度金があるでしょ」

「うん」


 私は頷き、携帯端末モバイルで残高を確認する。そこには今まで生きてきて見たこともないような金額が表示されていた。簡単に言えば、国産車が新車で一台、一括で買える金額だ。


「こんなにもらって良いのかなぁ」

「自由にバイトが出来る身分でもないし」


 レオナが言う。


「月々補助金は出るって言ってもそれは大した金額じゃないみたいだし」

「レオナは良いよなぁ、お金持ちじゃん」

「あはは」


 レオナは嫌味なく笑う。


「自由でお金を買ったんだよ」

「あたしたちは自由もなかったしお金もないよ」

「だからこそ、私たちは出会えたとも言えるさ」

「そうかなぁ」


 アルマは疑問符を飛ばしている。そして私もアルマと同意見である。


「運命ってのは、何かがどこかでほんの少し違ったら交錯しないようになっているものだよ、アルマ。私は二人に出会えて嬉しい。こうなっているのは過去の自分たちのおかげ」

「ほんとはあたしたちがとんでもない悪辣あくらつな美少女だったらどうするんだよ」

「少なくとも美少女というのは疑いようもない事実だよ。さっきからずっと食べちゃいたいって思ってるし」

「た、食べちゃう……?」


 思わず反応する私。レオナは私の肩を抱いて、耳元に唇を寄せた。


「性的な意味で、だよ」

「なんだ、それなら」


 そこまで言って私は固まった。って何だよ。


「それじゃ、さっそく」


 レオナは私の顎に手を掛ける。目を白黒させる私。


「ちょーっと待った!」


 アルマが助けに入ってくれた。私とレオンの間に割り込んでレオナに向き直る。


「あたしならともかく、マリーみたいな純粋無垢な乙女に変なことしないの!」

「変なことじゃないじゃないか、キスしたいだけなのに」

「それが変だっていうの!」

「まだ舌は入れないよ?」

「そ、そういう話でもない!」


 押されているアルマ。私はまだ顎に掛けられた指の感触から抜け出せずに、胸を押さえてドキドキしている。レオナはあまりにもイケメンだったし、あまりにもイケボだった。端的に言うと、私の中の「王子様」像とあまりにも一致しすぎていた。


「私たち、もう三年以上はAPやってる仲間じゃない。初対面でベッドインしたって何もおかしくないでしょ」

「ちょっと待てぇい。あたしたち、そもそもまだ行ってて十六歳! 早すぎっつの」

「意外とオカタイのだね、アルマも。キスくらい、私の周りの子たちはみんなしてる」

「ベッドインは?」

「私はまだだけど、してるんじゃない?」


 さらっとすごい発言をするレオナ。


「ついでに言うと、私、ファーストキスもまだだよ」


 ……さらに追い打ちを掛けてきた。


「最初にキスするならマリーにって決めてたんだ、ずっと」

「なんであたしじゃないんだよ」

「なんでだろ?」


 ややむくれているアルマに、レオナは右手を振ってみせた。そしてさっきまで座っていたソファに座り直す。


「アルマのことも嫌いじゃないんだけどさ、夢で見るほど恋い焦がれたのはマリーだったんだよね」

「そ、想像と違ってない? 大丈夫そ?」


 隣に座った私が訊くと、レオナは「あっはっは」と大きな声を出して笑った。レオナは声量もかなりあるのだが、あまりにも心地よい声質のせいでほとんど気にならない。


「想像よりずっとかわいい! すごくいい。一緒にお風呂入ろ!」

「なんでそーなる!」


 的確なツッコミを入れるアルマ。だが、私は知っている。


「ここ、お風呂は大浴場だもんね」

「イエス、マリー! 大浴場! 最上階にある浴場施設は、ヤーグベルテ士官学校の伝統なんだよね」

「そ、そうだったのか。ここみたいな大きめの部屋にはシャワーもあるみたいだけど」

「あのさ、アルマ。誰も使わないよ、そんなの。風邪引いた時くらいしかね」


 レオナは入学前に随分と情報を仕入れていたらしい。ていうか、ヤーグベルテ統合首都に住んでいて、かなりの地位のある家だ。情報がないはずがないか。


「まぁ、お風呂は後で入るとして、買い物だよ、買い物。アルマも一緒に。統合首都も初めてでしょ? 案内するよ」

「それはありがたい」


 アルマが応じるのと同時に、レオナはどこかに携帯端末モバイルでメッセージを送った。


 すぐに通知音が鳴る。


「おけ。車を手配したよ。うちの車だから遠慮しないでね」

「金持ちムーヴ」


 アルマが皮肉な笑みを見せて言った。レオナは「仕方ないじゃないか」と胸を張る。


「私がお金持ってないムーヴなんてしたらシラけるだけだろ?」

「それはそうかも」


 私が言うと、レオナは左手を伸ばしてきて私の髪をぐしゃぐしゃと撫で回した。


「きれいな黒髪だね」

「野暮ったいから、もうちょっとしたら染めようとか」

「もったいない!」


 レオナは強い口調で言った。


「いや、ごめん。でも、こんなにきれいな黒髪をいじくるなんて人類の損失だと思ってさ」

「おおげさ」

「私がそう言うんだから、そうなんだよ」


 レオナはそう言って、どさくさ紛れに私の頭をその胸に抱きかかえた。想像以上に柔らかなその胸の感触に、私は一瞬なんとも言えない感覚におちいった。


「距離、近い近い!」


 アルマがすかさず私たちを引きがす。レオナは「ちぇー」とか言っていたが、本気で抵抗する気はないようだ。圧倒的な体格差があるのだから、レオナが本気を出したらアルマの体格ではびくともさせられないだろう。


「アルマは純情なんだねぇ。アレでしょ、結婚する人以外には抱かれないとか思ってるクチでしょ」

「あったりまえだろ!」


 アルマは顔を赤くしてえた。レオナは「うんうん」と頷き、人差し指を立てる。


「貞操観念がしっかりしていて、お兄さん、嬉しいよ」

「お兄さん?」

「いや、私のポジションはお兄さんが近いのかなって」

「めんどくさいこと言うなぁ」


 アルマが完全に手玉に取られている……。確かにAPをやっている時のやり取りでも、レオナのほうがかなり精神的に年上なのかなって思うシーンはあった。まさかここまで物理的距離が近い人なんだとは想像もしていなかったけれど。


「それはそうと事情通のレオナさん」

「なんだい、マリーさん?」

歌姫セイレーンって、ヴェーラたちからの伝統通り、アイドル活動も必要なんだよね」

「アイドルっていうか広報活動、兼、資金集めなんだけど」


 そうなのだ。歌姫セイレーンがなければならない。政治的な都合とかマスコミ戦略の都合ではあるのだけど、とにかく有力な歌姫セイレーンを中心にがなければならないのだ。


 今の戦闘で大活躍した四名のV級歌姫ヴォーカリスト、すなわち、エディタ・レスコ、トリーネ・ヴィーケネス、クララ・リカーリ、テレサ・ファルナは、92年に士官学校に入学して以来爆発的な人気を獲得したことから「92年カルテット」として有名だ。93年入学のV級歌姫ヴォーカリスト、ハンナ・ヨーツセン、そして94年入学の初のS級歌姫ソリストであるレニーことレネ・グリーグ、その同期のパトリシア・ルクレルクとロラ・ロレンソ。この方々が中心となって、今の歌姫セイレーンたちの地位を盤石ばんじゃくなものにしていた。


 そこに来て先程の初陣ういじんだ。ヴェーラとレベッカのデビュー戦を髣髴ほうふつとさせるほどの圧倒的大勝利だった。強く、美しい――人々が私たち歌姫セイレーンに求めるのはそういうことだ。


「ま、歌って踊れる戦闘ユニット。セイレネス・システムへの適性を持ち、システム搭載艦船を操ることが出来る特異な人材。私たちをまとめるならそういうことだね」

「達観してんなー」


 アルマはやれやれと肩を竦める。するとこれみよがしに胸の谷間が深くなった。私は思わず目を逸らす。あの露出度に、視覚処理がついていかない。


「そんなことよりショッピングに行こう。車ももう着くから」


 レオンはそう言って立ち上がると、私に向かってすっと手を差し出した。私は自然とその手を取って立ち上がってしまう。立ち上がってから、私は少し恥ずかしくなる。


「ほんと悔しいけどサマになりやがる」


 アルマが「けっ」と言いながら寝室の方へと行った。バッグか何かを取りに行くのだろう。私もそれを追った。


「あのさぁ、マリー」

「うん?」

「レオナのやつ、本気で落としに来てるぞ?」

「落とす?」

「……本気? ボケてる?」

「え?」


 私はショルダーバッグを取る前に、姿見で身だしなみを確認した。乱雑にまとめていた髪の毛を一度ほどき、ブラシを入れてから極力丁寧にハーフアップを作った。ショートボブのアルマは簡単に整えただけだった。それでも艶々できれいな髪なのだから、少しずるい。


「マリーとしてはどうなのさ。レオナは」

「ど、どどど、どうって?」

「あー、わかったわかった。もうかない」


 しまった、動揺が態度に出てしまった。私は白いブラウスにグレーのジーンズ、黒いカーディガンという出で立ちだった。というか、ほとんどこの一張羅いっちょうらだ。


「服、欲しいな」


 私はぽつりと呟いた。


 施設の服は、全て誰かのお下がりだった。この服もだ。可愛い服なんて着たこともない。ネットでファッションサイトを見ていたこともあるけど、手に入るものでもないと諦めて、いつしかおしゃれというものに興味を失った。


 だけど、アルマやレオナを見ていて、その気持ちが少し蘇ってきた気がする。


「じゃ、服買いに行きますか」


 いつの間にか部屋の入口の所に立っていたレオナが提案した。


「二人に一着ずつプレゼントするよ」

「ほんと!?」


 アルマが真っ先に食いついた。しかし私はカーディガンの袖をにぎにぎしながら首を振った。


「わ、悪いよ」

「こういう場合、遠慮するほうが失礼だぞ、マリー」


 アルマが素早く言う。レオナが「うむ」とこれみよがしに頷いた。


「APでもお世話になったしね、このくらいはさせてよ、マリー」

「う、うん。わかった……」


 告白すると、この時、私は嬉しくて泣きそうだった。

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