新妻研修


 書類のチェックを終えて、主任は斜め前の席の小尾絵玲オオエレに声をかけた。


「OKよ。問題ないわ。この調子でお願いね」


「はい」


「このごろやけに調子がいいわね。仕事も、お肌も」


「え? そうですか?」


「定時になるとすぐに帰っちゃうし、なにかあるのかしら?」


「残業撲滅キャンペーン中ですから」


 定時のチャイムが鳴ったので、小尾絵玲オオエレはいそいそと帰り支度を始めた。


「お先に失礼します」


「今度じっくり聞かせてもらうわよ」




 パタパタと帰っていくOLを見送った後、主任はぼそりとつぶやいた。


「恋人ができたわね、彼女」


 聞き耳を立てていた男子社員がピクンと反応した。


「わかるんですか、主任」


「経験上、ね」


 主任は社内に残っている男子社員たちを睨んだ。


「うちの男子たちは何をモタモタしていたのかしらね。みすみす美女を取り逃すなんて」


「近づくなオーラがすごいんですよ、彼女」


「下手に声をかけると睨むんです。氷の女王のような目で」


 それを乗り越えてこその恋愛ラブコメでしょうが。


「睨まれたくらいで怯んでいてはダメよ」


 それだと永久にデレは訪れない。


「無茶言わないで下さいよ。僕たち草食系男子なんですから」


「うちの男子社員のへたれっぷりときたら、やれやれだわ」


 主任は小さなため息をついて、帰り支度を始めた。





 ガチャリ。


 マンションのドアを開けると、台所にいたJK=時栄ジエイケイが玄関まで出迎えてくれた。


「おかえりなさい」


「ただいまです」


「お風呂にしますか? ごはんにしますか? それともわ・た・し・に・しますか?」


 今日のJKは水色のワンピースにエプロン姿だった。


「JKさんでお願いします」


「はい、ではベッドへいきましょう」


 JKに手を引かれて寝室に入った。


 エプロンをはずしてワンピースを脱がすと、下には何も着けてなかった。


 OLのスーツも素早く脱がされて、ふたりはイチャイチャと素肌を重ね合った。




 JKとOLは只今夏休み期間限定で同棲中だ。


 新婚ってこんな感じなのかなとOLは思った。


 隣にJKがいることの安心感とドキドキがないまぜになって、生きている実感がすごかった。


 おでかけのキスとおかえりのキスを、まさか自分が経験することになるなんて夢にも思わなかった。 



 帰宅後のイチャイチャを終えると、JKは裸にエプロンという装いでOLの目をくぎ付けにした。


 夕食と裸エプロンを満喫した後は一緒にお風呂に入った。湯船にいっしょにつかりながらOLは尋ねた。


「夏休みに友達とどこかへ出かけたりとかしないんですか?」


 するとJKの顔から表情が抜け落ちた。


「友達、それって美味しいんですか?」


「じぇ、JKさん?」


「学生時代の友人に価値があると思いますか? 学園という閉鎖空間の期間限定の関係で、卒業後はほぼ二度と会うことはありません。そんなクラスメートにどんな価値を見出せというのでしょうか?」


「確かに。同級生とは卒業後は付き合いゼロですね」


「それに、恋人と友人、どちらが優先かなんて考えるまでもないじゃないですか」


 恋人! なんて甘美な言葉なんだろう。


「こう見えて、独占欲は強いほうです。先生からはもっと視野を広げなさいと言われたことがあります」


「学校の先生の常套句みたいなものですよそれ」


「なので今はOLさんしか見えません。ひとりじめです」


「私もひとりじめです」


 そしてお風呂の中でもイチャイチャになだれこむのがこの頃のふたりの日課だった。





 定時で会社を終え、駅の改札口から出ると、声が聞こえてきた。


「あのー、そこの美人のOLさん。ちょっといいですか」


 気にせずに歩いているとセーラー服を着た女子二人があわてて追って来た。


「待って下さい。あなたのことですよ。美人のお姉さん!」 


「はい?」


 ようやく自分のことだと気がついた。


 顔がタイプだと(JKに)言われたことはあったけれど、美人と言われたのは初めてだった。


「美人ですか、私が?」


 首をかしげると、セーラー女子のふたりは顔を見合わせて口をそろえた。


「「もしかして天然ですか?」」


 うーーん。自分自身を客観視したことないからわからないや。



 メガネをかけた三つ編みの子とツインテールの子が自己紹介をした。


「あたし芽賀祢津子めがねつこと言います」

「わたしは都院ついんてるです」


 メガネっ子さんとツインテールさんね。覚えました。


「時栄圭さんについてお伺いしたいんですが、少しお時間よろしいでしょうか」


 制服から察するに同級生か何かかな。


「内容によりますね」


「実は時栄さん、このごろクラブ活動に全然来なくなったんです」


「クラブ入ってたんですか、JKさん」


「いえ、文芸部と美術部でモデルをお願いしていただけです。去年は夏休み合宿にもモデルとして来てくれていたのに今年は音信不通で」

「夏休み前にお姉さまにお聞きしたところ、『新妻研修』で忙しいと意味不明なことをおっしゃられて」


「新妻研修?」


 夏休み期間限定の同棲生活にはそのような意味合いがあったのか。


「そんな時、マンションから新妻みたいにうきうきと買い物に出かける時栄さんの姿が目撃されたという情報が入りました」

「そのマンションの持ち主がOLだということは判明しています」


 ふたりの視線が突き刺さった。


「あなたが時栄さんをかどわかしたOLですね!」

「監禁なんかやめてすぐにお姉さまを開放してください!」


 通行人が何事かとこちらを見た。往来で声を張り上げるとか、勘弁してほしい。 


「とりあえず、カフェにでも入ってお話ししましょうか」


「おごりですよね?」

「ケーキ付きですよね?」


「はいはい」


 さすが女子高校生と言うべきか。グイグイ来る力が半端ない。


 駅前のカフェに入り、メニューを見ている間に、スマホでJKに連絡を入れておいた。


「女子高生につかまったので帰るのが少し遅くなります」と。



 ケーキをぱくつく女子高生に弁明しておいた。


「なんか誤解してるみたいですけど、JKさんをかどわかしたり監禁などしてませんよ」


「閉じ込めたい気持ちは十分理解できます。あたしだって絵のモデルと称してあんなことやこんなことを妄想してしまうくらいキレイな人なんですから」

「お姉さまはわたしの永遠の紅薔薇の妖精姫なのです」


 ほっぺたにケーキをくっつけながら喋る二人は、見るからに妄想力たくましそうな子たちだった。


 こういう子たちにはいくら事情を説明したところで受け入れてもらえないのが常なんだよね。


 どうしたものかと考えあぐねていると、カフェのドアが開いてJKが入ってきた。


「お姉さま!」


 ツインテールが立ち上がって声を上げた。


「誰がお姉さまですか。同級生クラスメートなのに」


「圭様はわたしの永遠のお姉さまです!」


「前にも言ったでしょ。わたしには好きな人がいるって」


「お姉さまの目を覚まさせるのがわたしの使命です」


 JKはOLの隣にやってきた。


「すみません、めんどくさい子たちばかりで」


「大丈夫です。私も人のことをとやかく言える立場ではありませんから」


 OLの隣に座るとJKはぴったりと身体をくっつけて腕を組んだ。


 その様子を見たメガネっ子とツインテールが目を丸くした。


「OLさんはMon Amourモナムール、愛しい人です。変な誤解をしないで下さい」


「かどわかされたりは」


「してません!」


「監禁は」


「ありません! 監禁されてたらそもそもここには来れません」


「そんな……現実とはなんて残酷なんでしょう!」


「わたしというものがありながら、どうしてですか、お姉さま?」


 メガネっ子は大げさに嘆き、ツインテールは目に涙をためて訴えた。


 そんなふたりにJKは質問を投げかけた。


「綺麗なお姉さんに告白されたらどうしますか?」


「「えっ!?」」


「朝の通勤ラッシュで突如人混みが割れたかと思うと、綺麗なお姉さんが膝をついて薔薇の花束を差し出して言うんです。『あなたを探していました。愛しき運命の人よ。どうかこの私と交際して下さい』って。しかもその人は美人で背が高くて経済力があって独立していて。想像してみてください」


「う、嬉しいにきまってます」

「そ、そんな夢みたいなことあるはずが……」


「あったんです。わたしがそうだったんですから」


「それってまさか、この美人のOLさんに告白されたんですか?」


「はい。だからこうしてお付き合いしているんです」


「「ええっ!」」


「先生もよく言われてるでしょ。視野を広げなさいと。あなたたちに必要なのはそういうことではないかしら」


 JKから告げられた内容に、二人の女子高生はかなり衝撃を受けた様子だった。


 事実とは一部異なるけれど、誤差の範囲内だよね。これ。




 その後、しょんぼりした様子で帰っていく二人の女子高生を見送った。


「ちょっぴりかわいそうな気もします。私がJKさんを独占してしまったせいで」


「いつものことですから気にしないで下さい。わたしもOLさんを独占しているのでお互い様です」


 そのまま腕を組んでマンションまで帰った。





 JKが書いた履歴書の資格欄を見せてもらった。



 英語検定1級

 フランス語検定2級

 ビジネス会計検定試験1級

 簿記検定1級

 タイピング検定1級

 ITパスポート

 情報セキュリティマネジメント

 基本情報技術者

 MOS



「これが昨今のお嬢様学園の嗜みですか」


「実用性へとシフトチェンンジした成果なのです」


「お嬢様も付加価値が大切な時代になったのですね」



 バイトをしたいとJKが言うので、うちの会社でアルバイトを募集していたことをOLは思い出した。


 履歴書を持っていくと、他に二人の応募があったと人事部から告げられた。


 二人とも聖ヴィリス女学園の学生で、名前に見覚えがあった。



 情報処理IT部門のブースにはアルバイトの子を一目見ようと人だかりができていた。


 セーラー服姿の三人の女子高生がそれぞれ挨拶をした。


時栄ジエイケイです。聖ヴィリス女学園高等部二年生です」

「同じく芽賀祢津子めがねつこと言います」

都院ついんてるです。お姉さま、いえ、時栄圭さんのクラスメートです」


 簡単な自己紹介と質疑応答が行われた。


「聖ヴィリス女学園ではIT社会で生き残るために資格を取得することを推奨しています」


「フランス語の授業ではフランス語以外は喋ってはいけません。ITの授業では先生が機械語を交えて話すので、解読するのが大変です」


 ひとだかりの後ろの方で様子を見守っていたOLの隣で、主任が懐かしそうにつぶやいた。


「機械語の申し子と呼ばれた木伊須きいす先生はご健在のようね」


「主任はもしかして聖ヴィリス女学園出身ですか?」


「そうよ。言ってなかったかしら」


「初耳です」


 OLを見つけたJKがふわりと笑顔を浮かべると、男子社員の間でどよめきがおこった。


「あの笑顔は反則ね。男子社員はみんな自分に微笑んだと勘違いしちゃってるわね」


 主任は視線をOLに向けてニヤリと笑った。


「お肌つやつやの原因がようやくわかったわ。あの子なんでしょう?」


「えっ! ど、どうしてわかったんですか!」


「分かる人が見れば分かるのよ」


 主任の言葉に焦りまくるOLだった。




 自己紹介が終り、社員たちがそれぞれの部に散っていった後、主任がJKに声をかけた。


「これだけ資格があれば、うちだったら即採用だけど、どう?」


「お誘いは嬉しいのですが、わたしの就職先は既に決まっています」


「そう、残念だわ」



 定時で会社を出ようとするOLを、先にバイトが終わったJKがロビーで待っていてくれた。


「いっしょに帰りましょう」


 駅へ向かって歩きながら、OLは就業時間中ずっと気になっていたことを口にした。


「JKさん、就職先が決まってるって本当ですか?」


 JKは一瞬目を丸くした。


「もう何言ってるんですか、OLさん」


「いえその、知らなかったものですから」


「わたしの就職先は、OLさんのお嫁さんですよ!」


「えっ」


 腕をからめてにっこり微笑むJKを見てOLは思わず大きな声を出してしまった。


「ええええええっ!」






「一週間バイトお疲れ様でした。今日はお出かけせずにのんびり過ごしましょうか」


「はい、今日はOLさん成分充填日にしちゃいます」


「私もJKさん成分をたっぷり充填します」


 ピンポーン!


 寝転んでゴロゴロイチャイチャしていると、チャイムが鳴り響いた。


「まるで奈落へと誘う禁忌の音階、楽園を貫き裂くは玄関の鐘」


 ピンポーン!


「出なくてもだいじょうぶですか?」


「不本意ですが、ちょっと行ってきます」


 ドアを開けてみると、弟が不機嫌そうな顔で立っていた。


「いるんならさっさと出てくれよ。留守かと思ったぜ」


「弟よ。来るときには連絡を入れろとあれほど言ったではないか」


「オフクロから荷物頼まれただけだから。置いたらすぐに帰るって」


「OLさん、お知り合いですか?」


 リビングからJKが顔をのぞかせた。


「弟が荷物届けてくれただけです」



 JKを見て弟が目を大きく見開いた。


「よ、妖精姫っ!?」


「妖精姫? 知り合い?」


 OLが尋ねるとJKは首を横に振った。


「いいえ」


 弟は顔を真っ赤にして頭をかいた。


「あ、いえ。こちらが一方的に存じ上げているだけです、はい」


「なに変な喋り方をしておるのだ?」


「弟さんですか?」


 JKが玄関にやってきて尋ねた。


「はいっ! 弟の小尾おお冬斗とうとです。北東高校の二年生っす」


「ああ、文化交流校の北東の方でしたか」


「です。そのせつはお世話になりました」


「いえいえ、こちらこそお世話になりました。時栄圭と申します。以後よろしくお願いいたします」


「ご、ご丁寧にどうもです」


「弟よ。喋り方がキモすぎるぞ」


「なっ……。姉貴こそ、どうして妖精姫、いや、時栄さんが姉貴のマンションにいるのさ」


 JKとOLは顔を見合わせてうなづいた。


「同棲しておるからに決まっておろう」


「は? え? ど、どうせい?」


 弟は事態がまるで飲み込めていないようだ。


「夏休み期間限定で同棲しているんですよ、わたしたちは」


「ええええええっ!」


 リアクションの仕方が姉と弟でそっくりだなとJKは思った。




 荷物を受け取り、何か言いたそうな弟の後を追って玄関の外に出ると、冬斗は声をひそめて話し始めた。


「姉貴、あの子はやばい」


「やばいとは?」


「北東学園には聖ヴィリス女学園ファンクラブってのがあるんだが、そん中でダントツ人気なのがあの子なんだ」


「ほうっ、そうなのか」


「あの子の写真は高値で取引されてる。もしこのことがバレたら」


「バレたらどうなる?」


 弟の口ぶりから察するに暴動でも起きそうな雰囲気だった。男子生徒が徒党を組んで押し寄せて、マンションの前でシュプレヒコール大騒ぎ。考えただけでも身の毛がよだつ。


「北東学園はお通夜になっちまうっ!!」


「はあああ?」


 なんだそのお通夜になるってのは。


「男子ってのはああ見えて夢見がちな生物なんだ。告白する度胸は無いくせに妄想力だけは人一倍強くて、推しの女子との妄想デートに明け暮れて、俺の嫁ぇーーっ、とか言いながら。もし時栄さんと姉貴が同棲してるって知れたら、あいつら立ち直れないと思う」


「知らんがな」


 夢見ることは自由なので、せいぜい妄想デートに勤しんでくださいとしか言いようがない。


 顔を赤くした冬斗はなにやら言いにくそうにもじもじと話を切り出した。


「姉貴、物は相談なんだが、写真を送ってくれねえか」


「私の写真を? なんでまた。おぬしもしやシスコンか!」


「ち、ちげえよ! よ、妖精姫の写真を、だな、欲しいというか、なんというか、そのぉ……」


「おぬしっ。よからぬことを考えておるんじゃなかろうな?」


「べっ、べつにっ! へんなことなんかしねーよ!」


 弟め、オカズにする気満々だったな。



 男子がJKを好きになる気持ちは理解できる。なにしろ自分だって一目惚れてしまったほどだ。


 だがしかし、誰にも渡すつもりはない。23年生きて初めてできた可愛い恋人なのだから。


 OLはビシッと弟に指をつきつけた。


「JKさんの写真が欲しければ、この私を倒してからにするのじゃな!」


 冬斗はがしがしと頭をかきながら家路についた。





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OL「なっ、なんじゃこの写真は?」

冬斗「ちょ、姉貴、人のスマホ勝手に見んなよ!」

OL「これは! ピンボケながら明らかにJKさんの写真ではないか! おぬし、なぜこんなものを?」

冬斗「バレちまったもんはしょうがねえ。何を隠そう俺も聖ヴィリス女学園ファンクラブの会員なのさ。その妖精姫の写真は学園裏サイトで高値で購入したやつだぜ」

OL「ポチッとな。ほい削除」

冬斗「うわああああっ! ひでぇ! 鬼! 悪魔! 人非人! 俺の妖精姫を返せーーっ!」

OL「おぬしのではない。私の妖精姫なのじゃ!」

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