#2 探偵の黎明②
淀みなく断言されたので、鹿山は面食らった。
この事務所は極小で、バイトを含めて従業員は僅か四名しかいない。
更にその中で探偵として活動しているのは所長の玄羽のみで、他三名は全て事務員となっている。
まあ、鹿山は玄羽の助手として、外回りに駆り出されていることが多いのだが。
「ちょ、何言ってんですかボス! 鹿山が探偵? 無理ですって!」
「そうですよボス! 狐里ちゃん、ボスに言ってやってくれよ」
「だってコイツってマジで顔だけで生きてるに過ぎないゴミカスですよ!? 顔が良いから今まで人生で得したことしかなくて、それが生き方に滲み出てる! 何かあったらその辺の女取っ捕まえてヒモになればいいや、みたいな逃げ道を常に持ってるから一生余裕ぶってるし! んでその余裕がハングリー精神とか努力とか向上心とか全部掻き消して、結果として顔以外何の取り柄も魅力もない、空っぽで哀れな優男が完成されてます! 自分で頑張って勝ち取った経験が何もないから、口開けてるだけで死ぬまで誰かから何かを与えられるから、それを当然のことだと思っているから、結論から言うと超絶痛い目に遭うべきだし、何なら刺されて死ぬくらいの末路じゃないと納得いかないです! ねえボス、コイツ殺しましょうよ!! 手伝いますよ!?」
「え? そこまで言う?」
「錯乱していますねェ、狐里サン」
嫌われたものだ。鹿山は普通に生きているつもりなのだが、こうやって謂れのない憎悪を向けられることもたまにある。それこそ、顔が良いという理由一つで。
「空っぽで哀れという部分は否定しないけどね。色々言われましたが、僕はやっぱり探偵なんか向いていないと、ベテラン事務員がそう判断しているようですよ?」
「ベテランじゃねーし」
「ふーむ……」
従業員に真意を読めだの汲み取れだの察しろだの言っている玄羽だが、自身の底にある真意だけは誰にも悟らせない。
何故玄羽は自分を探偵として雇用したいのか――鹿山はその理由を頭の片隅で考えてみたが、まるで分からなかった。
「諦めて下さいよ、ボス。僕は探偵になんてならないし、向いてないし、従ってここに就職する気もない。来年の三月にはここを辞める予定の、単なる事務員です。こだわるような人間じゃない。大体、僕には自分じゃどうしようもないアレもありますし」
「そーだそーだ!」
玄羽の視線が移る。鹿山の内定リストの方へと。
脅す、というのは何も冗談ではない。
玄羽は本気で、そして平気で、そういうことをやる人間だ。
それほどまでに鹿山が必要ならば、何の躊躇いもなく、淡々と。
そうなったとしたら――この底が知れない男と、どう戦うべきだろうか。
「……では、こうしましょうか。現在、自分は幾つか案件を並行して進めている途中ですが、その中の一つを鹿山サンにお譲りします。事務処理をしているから、全く聞いたことのない案件ではないはずですし、ねェ」
「いやいや、譲られても困りますけど」
「その案件を見事『探偵として完遂』したならば――今後アナタを引き止めるような真似はしませんし、何なら辞める際に特別賞与を支給します」
「え、ずる。アタシも特別賞与欲しい~!」
気楽な芳乃とは対象的に、鹿山はこの後に続く玄羽の発言を脳裏で予測した。
探偵として案件を一つ完遂すれば、簡単に辞められるどころかボーナスまで出る。
……そんな美味しいだけの話、玄羽が与えるはずもない。
「完遂出来なかったのなら……僕をどうするつもりで?」
「弊事務所に探偵として終身雇用します。拒否権はありませんので悪しからず……」
「やっぱりかぁ。それでも僕が拒否したら?」
「他所で一生就職出来ないよう、アナタの社会的信用を完全に失墜させるまでです、ねェ……」
嘘偽りなく、玄羽はそうする。一年働けばそのくらいもう分かる。
ここで喚いたところで、事態は好転しない。
向こうが実現可能範囲で条件を提示したのなら、立場が弱い者は唯々諾々と飲むべきだろう。
「分かりましたよ。じゃあそれで構いません」
「先に述べておきますが、『完遂』とは依頼者が成功報酬を全額支払ったことを指します。支払いが期間内に行われない、もしくはこちらの提示額より一円でも低かった場合、失敗と見做すので悪しからず……」
「督促状作んの面倒なんだよね~」
回収すべきものをきちんと回収するのも、重要な業務の一つだ。
未収――つまり報酬を払わなかった者について、玄羽は法的に真っ当な手段を取る。
この探偵事務所は案件に応じて事前提示した依頼料の内、一部を手付金として先に支払わせ、残りは成功報酬として期間内に後払いさせるシステムを取っている。
実績はともかく弱小事務所である以上、先に全額払えと言われると渋る依頼者も多く、仕事の出来映えをもって残りを支払わせる説得力とするのは妥当であろう。
「ま、無駄にアタシの仕事増やさないでねって感じ。アンタがどうなろうと知ったこっちゃないけど、こっちに迷惑は――」
「一つ言い忘れていましたが、まだ彼は探偵見込みということで、狐里サンは鹿山サンの助手を務めるように。最大限のサポートをよろしくお願いします、ねェ……」
我関せずの意思表示を見せようとした芳乃を牽制するように、玄羽は所長命令を出した。
「はあ!?」
「ははっ。ありがたいですね」
「ちょっ、聞き捨てなんねーんですけど!? アタシ関係ないじゃん!!」
「関係ないわけないです、ねェ……。我々は同じ事務所の仲間ですから、アナタに拒否権はありません。狐里サンの仕事の一部は
「
「
かくして――鹿山は探偵として踏み出さない為に、探偵として活動することになった。
考えてみれば矛盾している。
探偵にならなくて済むには、より探偵らしい働きをせねばならず、不十分な成果だったならば、残りの人生全てを探偵として生きることになるなど。
(ま、矛盾含めて――この人の掌の上なんだろうけど)
鹿山は耳にかかる長い己の髪の毛を、片手で少し掻き上げた。
今、どれだけ自分はこの玄羽惟持という男に踊らされているのか。
考えても、そして仮に知ったとしても、きっとろくなことはないだろう。
それだけは確信を持って言えた。
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