普通、探偵は推理しない

有象利路

#1 探偵の黎明①

「謎は全て解けた――真犯人はアナタです。鹿山令一かやまれいいちサン」


 濡羽色のシルクハットとスーツを身に纏った妙齢の男が、ゆっくりと人差し指を向ける。

さながら銃口で狙うかのようなその所作は淀みなく、一片の疑いもない。

己の推理とロジック、そして真実に対して。


「はあ、そうですか」

 一方で指を向けられた長身痩躯の優男……鹿山令一は、呆れた表情を隠しもしない。

露骨に馬鹿にしてみせなかったのは、その言葉が教室や喫茶店で投げ掛けられたものではなく、探偵事務所にて放たれた言葉だったからである。

 もしかしたら、万が一にでも、ここは謎を解き、真犯人を言い当てる場所かもしれない。

 とはそういう役目を持つ方が――夢や希望があるからだ。


「で、僕は今日シフト入ってないわけですが。それなのに犯人呼ばわりするためだけに僕を呼び付けた。つまりそういうわけですか、ボス?」

「まさか。そんなはずはありません、ねェ……」


 鹿山の白けた目を真正面から受け止め、それでもその男――玄羽惟持くろばこれもちは胡乱な目で笑っていた。この男が己のバイト先のボス、即ち玄羽探偵事務所の所長でなければ、絶対に関わり合いになりたくないと思える。

 まず探偵に探らせるべきはこの玄羽であると鹿山は常々考えているが、しかしそれを口に出すことはしない。

 毒蛇が入っている箱に腕を突っ込むようなものだ。


「鹿山サン。アナタは今、大学四年生でした、ねェ?」

「ええ、はい。思えばここでバイトとして働いてもう一年ですか。本当にお世話になりました。あともう残り僅かではありますが、卒業までの間もよろしくお願いします。じゃあ僕はこれで失礼……」

「就活ゥ……」


 さっさと話を打ち切って帰りたかった鹿山だが、薄ら笑いを浮かべた玄羽は嫌な単語でブスリと一刺しする。

就活。大学生にとって最も聞きたくない単語の上位に来るだろう。


「それが何か?」


 が、鹿山はサラサラとした黒い長髪を片手で掻き上げる。

 少なくとも鹿山にとって、就活という単語は全く耳に入れても痛くなかった。


「内定なら10社は大手企業から出てますよ。あんなもの、落ちる方が難しいですし」


 事も無げに言い放つ。別に嫌味などではない。

 自他共に認める程には、鹿山は容姿端麗であった。鼻筋が通り、ぱっちりとした二重で、輪郭はシャープだ。その上で背は高く足も長い抜群のスタイルと、相手の耳朶を溶かすような甘い地声は、ときめかない女性の方が少ない。


 そしてそれは就活においても最強の手札として機能する。そこそこの大学に通う鹿山は、証明写真付きの履歴書を作るだけで、全ての書類選考に通過した。彼の履歴書を見た友人が『アイドルの応募書類か?』と、自身の履歴書と見比べて絶望していたほどだ。


顔がいいという一点だけで、人生の難易度が落ちる――本人以外からすれば妬ましい話だろう。更に言うと、面接で実際に顔合わせした時の方が、鹿山は更に強かった。

彼は頭の回転も良く、ハキハキと物を喋るので、人事受けが抜群に良い。

コミュニケーション能力や面接態度などという、偽装しやすい能力を何より重視する日本の凝り固まった就活プロセスなど、本当に『落ちる方が難しい』のである。


「なるほどです、ねェ。ではこちらが鹿山サンに内定を出した企業一覧のリストですが、抜けがないかどうかご確認願えますか?」


 一枚のA4用紙を玄羽より受け取る鹿山。誰もが知る有名企業がズラリと並んでいた。

 そしてそれは、来年度から己が働くことになるかもしれない有名企業達でもあった。


「……ええ、バッチリですよ。一つ付け加えるなら、僕はボスに自分がどこの企業を受けたかなんて、マジで一言も言ってないことですかね?」


 己の個人情報が筒抜けになっている。玄羽は探偵として極めて優秀だった。

そんな玄羽から、鹿山は半ば強制的に事務所の運営を手伝わされている。事務員のバイトとしての採用だが、実際は雑用という側面が強く、書類作成から車の運転、備品の買い出しまでなんでもござれだ。


(ようやくこの事務所から抜けられると思ってたんだけど)


 一年以上も付き合いがあると、ここからの展開に予想がつく。パニックホラー作品で我先に逃げ出した者がどうなるかなど、言わなくても分かるように。


「非常に心苦しいのですが、この各企業へ鹿山サンの過去の悪行を記載した匿名メール及び郵便を送付してもよろしいですか、ねェ……?」

「ははっ。こんな白昼堂々と脅迫するって、相変わらずどうかしてるなぁ、この事務所は」


 乾いた笑いで済むのは、もう慣れっこだったからだ。

 鹿山は昔、色々と『やんちゃ』していた。その単語だけで済むのならばいいが、その『やんちゃ』内容を何故か玄羽は網羅しており、証拠付きで保管している。


 それが漏れれば鹿山は一転、就職どころか塀の中へとブチ込まれるかもしれない。

 本来、別に働きたくないこの探偵事務所でバイトをさせられているのも、その脅し材料が一生機能しているからで、そして玄羽は意味なく鹿山を脅さない。


 その脅迫の裏には必ず意図がある――そういった真意を読ませる訓練を、玄羽は日々従業員に課していた。ここは探偵事務所だから、という理由一つで。


「素直に言って下さいよ、ボス。僕に就職するなって」

「あえてアナタが迂遠な言い回しをする必要はありません、ねェ……」

「じゃあ訂正します。僕にこの事務所へ就職して欲しいならそう言って下さい」


 結局はそういうことなのだろう。バイトとはいえ従業員の就活に水、いわんやトドメを刺すような真似を所長がする理由など、そのくらいしか思い当たらない。

 玄羽はゆっくりとチェアの背もたれに体重を預ける。

 正解だったのだろうと鹿山は察した。


「参ったなぁ。僕の人生は僕だけのモノのはずでしょう?」

「時の権力者曰く――俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものである、と」

「彼の肩書きはガキ大将です。ねえボス、僕は真剣に――」


「お疲れ様でーす」


 鹿山が声のトーンを一段階落としたと同時に、事務所の扉が開いてドアベルがカランカランと鳴り響いた。


「……ん? あれ、なんで鹿山が? アンタ今日休みでしょ?」

「お疲れ様です、狐里サン」

「呼び出しだよ。ボスから直々にさ」

「ふーん。別にどうでもいいけど」


 入ってきたのは、赤縁の眼鏡をかけた明朗な女性だった。

 癖の残った毛をショートカットに整えており、はっきりとした物言いとは裏腹に、まだ面影に幼さが残っている。

 狐里芳乃くりよしの――女子大に通う大学二年生。鹿山と同じく玄羽探偵事務所のバイトで事務員。


 だが芳乃は高校の時分よりこの事務所でバイトをしていたらしく、歴は鹿山より遥かに長い。なので年齢は彼よりも下だが、業務上では先輩となる。

 芳乃はタイムカードを差し込んで、己のデスクのPCを起動していた。


「ところで狐里サン。一つ自分の方から質問がありまして、ねェ……」

「なんすかー?」

「鹿山サンを弊事務所で正社員登用しても大丈夫でしょうか……?」


「いや全然反対でーす。ムリでーす。いらないでーす」


「ふーむ……」

「ふーむじゃないですよ。偉大なる我がパイセンがこう言っているわけですし、僕をこの事務所からいい加減解放してくれません?」


 鹿山と芳乃の仲は、所長である玄羽から見ても『微妙』の一言に尽きる。

 どちらも能力的には優れたものがあるが、性格面で折り合いがつかない――より正確に述べると、芳乃側が鹿山を毛嫌いしている――ので、芳乃の反応もやむなしだった。

 本来、仕事仲間に要らない扱いされれば傷付きそうなものだが、ここは渡りに船と鹿山は玄羽の説得に乗り出す。


「ここの経営状況的に、やる気も根性もない僕を事務員で正社員雇用するより、もっとまともな人材を探した方がいいですよ。巡り巡って僕の存在が、この玄羽探偵事務所に不利益をもたらすのは……ここに在籍した一人のアルバイトとして耐えられませんから」

「やる気と根性出さないから不利益もたらすんだろーが」


「人材を探す手間が惜しいのは分かります。ですが、元より探偵事務所は人を探すのが生業! ボスなら立派な人間を見付けられるはず! だからボスに必要なのは、僕という不良債権を切り捨てるという覚悟だけ! さあ、とっとと辞めちまえと吐き捨てて下さい!」


 黙って拝聴している玄羽を見て、鹿山は押せていると判断した。

 そのくらいこの事務所に就職する気などなかったし、何より大手企業をよりどりみどりな状況下で、わざわざここを選ぶなど人生捨て鉢である。


 鹿山の人生設計は、大手企業の楽なポジションで福利厚生重視にぬくぬくと生きる、というものだ。

 出世欲や金銭欲など皆無で、とにかく定年まで気楽に過ごしたい。

 それこそ大学生活の延長線上のように、社会人生活を適当に全うしたい。

 ただそれだけだった。


「――訂正箇所は二つ」

「はい?」


 玄羽が片手でピースサインを作って見せる。

 別に気分が良いわけではなく、単純に『二つ』という意味合いだろう。


「一つ。鹿山サンは不良債権ではなく、アナタより優秀な人材は簡単に見付からない。そう自分は判断しているからこそ、正式にアナタをここで雇いたいのです、ねェ……」

「……買い被りですよ」



「そしてもう一つ。アナタを事務員ではなく、です」



「…………は?」

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