浜人のこころ
東日本大震災大津波によって、沿岸部は甚大な被害を受け、沿岸漁業は壊滅的な状況になった。船が流され、養殖の施設も跡形もなく流された。
小学校4年生のひろしの家は、数十人の集落の小さな漁港にあり、高台にある自宅の他に、港のそばに、海産物をを塩で仕上げたり、乾燥させたり、袋詰めしたりするための作業小屋があった。さらに、その他に港には、それぞれの家計を支える大事な原動力である船が4槽停泊していた。
大津波は、ひろしの自宅を残して、すべてを飲み込んだ。津波は、小さな漁港にこれでもかと言うくらいに大きな被害を与え、悲しみをもたらし、人々の暮らしを根こそぎ奪いとっていった。
それからしばらくして、ひろしは家族で近くの街に買い物に出た。街もいたる所で修復や掃除が行われていた。その街のある建物に大きく青っぽいペンキで「海はきらいだ。」と書かれていた。
ひろしの中で、その言葉が大きくなり、心がぴくぴくと脈打つように震えた。
「うーん・・・。 そうだ、僕も海はきらいだ。たくさんの命を奪った海、たくさん船を・・、作業小屋を奪っていった海なんか・・海なんか・・大きらいだ・・・。」
思わず、ひろしは顔を真っ赤にして、心の中で叫んでいた。
震災からほぼ1年後、お父さんは役所の努力や漁業協同組合のお世話もあって、船や漁で使う道具のほぼ一式をそろえることが出来た。その時のお父さんとお爺さんのうれしそうな顔は、なんと言っていいか、本当に青空のようにすっきりしていた。その晩、家族みんなで赤飯を食べた。
地域にもやっと明るい活気がもどってきたようで、交わす挨拶にも元気が出てきた。
5月、船を得たたくさんの漁師の人々が集まって、その年の豊漁を祝って、岬にある神社で神事が行われた。ひろしはお父さんとお爺さんとに連れられて、社で行われる神事を端の方で見ていた。白装束の神主が祝詞(のりと)をあげ、続いて神楽(かぐら)が奉納された、恵比寿様の面をつけた舞が1時間近くも続く。ひろしはお爺さんに
「何にを踊っているの・・。」
と聞いた。
「海の神様に安全と大漁を捧げているんだよ。」
と短く答えてくれた。
その後も、たくさんの面をつけた舞が披露された。ひろしは、この舞を見ながら、心の中に、どうしようもない、すっきりとしないものがこみ上げてくるのを感じた。
(なんで、あんなに僕たちを苦しめた海に祈るのだろう。・・なんで、たくさんの命を奪い、生活をめちゃくちゃにした海を祈るんだろう・・。海がにくい・・はずなのに。)
その日の神事は終わった。次の日はいよいよ御輿(みこし)が各港を回る。その夜、帰宅したひろしはお父さんに、自分中にわき出た思いを尋ねてみた。
お父さんは困った顔したが、お茶を一杯飲むと、
「海は、昔から今までたくさんの海人(うみと)を飲み込んできた。でも、海はそれ以上に海人に多くの恵と豊かさをもたらした。・・・海人(うみと)にとって、海は神なんだ・・父ちゃんはあんまり学(がく)がねえがら・・うまく言えんが・・・海人(うみと)は海があって人なのよ・・。」
ひろしは、また茶をすするお父さんを見て、なんだか、なんだか、
「大事なこと、なんだか分からないけど・・・すっごく大事なんだ。」
心の中にあつい、すごくあついものが広がっていくようで、あの舞の鬼のような怖いか顔や優しい顔が次々に出てきて、かっーと全身に広がっていくようでどうしようもなかった。
それから数日後、昆布漁に行く前の日、ひろしはお父さんに一緒に連れて行ってくれるように頼んだ。お父さんは、しばらくじっとひろしの顔を見ていた。
「じゃ、行くか・・母さん、明日はひろしも行くぞ・・」
と家中に聞こえるように大声を出した。それが宣言だったように、大盛りのご飯が出てきた。
朝、暗いうちに起きたひろしとお父さんを、みんなが見送った。なんだか一人前になった気分でうれしかった。
そして、海に出るとお父さんと一緒に昆布漁に汗だくになって手伝った。
船の舳先(へさき)(一番前)で満足そうな顔で港に帰るひろしは、なんだかちょっと大きくなったように見えた。船の後ろでは海人が大きな口を開けて笑っていた。
冬の雨 見返お吉 @h-hiroaki
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