問いかけて

       (○○新聞社 編集局写真部  NTさんと歩んで)


平成25年4月始め、いよいよこの小学校も今年度限りで閉校する。この太平洋の岬にに面した小さな小学校は2年前の東日本大震災大津波によって、被災しその影響もあって今年度限りで閉校し近隣の小学校に統合することが決まっている。

 今年は最後の新入生7名を迎え、全校20数名の児童とともに、保護者・地域と一緒になって何事にも精一杯に、明るく悔いのない1年間にしようとみんなで話していた。

 このあわただしい4月初めに、大手新聞社のNTさんがひょっこり尋ねてきた。狭い仮設の職員室のに入ってきた彼は名刺を取り出すと、

 「僕は○○新聞社のNTという者です。実は今度入学してくるMちゃんの写真を撮らせて下さい・・。」と率直に話し出した。

 そして、今までのこと、Mちゃんとの関係、まるで学校が取材を拒絶することを前提にしているように、一生懸命に申し入れしてきた。

 私もMちゃんが、2年前の津波で両親と妹・祖父を一瞬にして失い、本人も奇跡的に叔母と一緒に家の庭に広げていた漁網に引っ掛かって助かった子であることは知っていた。

 わたしは、彼に

 「一人でも多くの人が心から見守ってくれるならば、本人にとっても家族にとっても、大きな励みになるではありませんか・・どうぞお願いします・・。」とお話した。そして、取材に当たり一つだけお願いもした。

 「ここの子供は、みんな必死で逃げたり、波をかぶったりと壮絶な体験をしてきた子ばかりです。どうかMちゃんだけに限らず本校の子ども達全員をお願いします。そして私たちと一緒に支えてください。」

それから、彼は新聞社の記者として全国を走り回る忙しい合間を縫って、本校の行事には都合のつく限り来校し、子ども達と保護者と、地域の皆さんを支えてくれました。


夏の親子キャンプの行事に来たとき、わたしは彼とゆっくり話す時間がありました。その時に、彼のあまりに献身的に子供たちを撮影する姿に感動して、どうしてそんなに夢中になれるのかを尋ねました。

 彼は照れながらも、とつとつと次のような話をしてくれました。



 彼は、3月11日の東日本大震災の大きな揺れの後、すぐに取材の命を受けて何人かで被災地入りした。宮城県に入ったのは寒さのきつい日だった。コートの襟を絞って、住宅と道の堺が分からず、所々で火の手が上がり異臭が漂う。形をやっととどめている車が無造作に屋根の上で泣いているような、そんな街とは言えない光景の中に足を踏み入れた。

 ・・どう歩いたのか分からない・・。

「○○ちゃんー」「・・おばあちゃんー」「・・いたら返事してー・・」と破壊された建物や崩れ落ちた柱の隙間に向かって叫ぶ声に「はっと・・」して我に返ると、そこには泥だらけで、髪を振り乱した人々が瓦礫をかき分けながら叫んでいる姿があった。

 彼はカメラのファインダーをのぞき、それらの姿にレンズを向けた。ファインダーを通すと、本来声も臭いも伝わることのない画像だけの静けさの中でも、その絶叫とやり場のない悲しみが否応なく目に飛び込んできた。こらえきれない涙が吹き出し頬を伝わった。

 瓦礫を押し広げて道を造る重機の騒音と多数の消防署員の行き交う中を、縫うようにして小さな子の手を引いて歩く母親の後ろ姿は何を探して彷徨うのか。崩れ落ちた家の前で震える肩を両手で押さえ、叫ぶ父親は誰に向かって叫んでいるのか。  

 そして、もう泣くことのない子を抱きしめる母親、そんな姿を行く先々で目にする。その度に呼吸が出来なくなるのではないかと思えるほど、胸が苦しくなり、体を内側から突き上げられるような痛みを感じた。

 取材は宮城県から始まり北上した。ある街に来たときには、街は建物の跡形もなく土台だけが残り、街外れに見えていた山が、やけに近くに迫って感じられた。

 また、貨物を運ぶ大型の船が船体を横にして街を押しつぶしていた。その近くに焼け焦げて真っ黒になった鉄とコンクリートのビルの残骸が骨をむき出しにしていた。その中で、毛布を掛けた塊を取り囲む涙の人々に出会った。頭を垂れじっと唇を噛みしめた蒼白の頬に一縷の涙が伝わっては落ちた。夜のとばりが落ちる頃、真っ暗な暗闇が不気味な波の音だけを響かせる。

 取材を続ければ続けるだけ、内なる苦しみはふくらみ自らに自問する。

「もういい・・人間をこんなに苦しめなくても・・人々をここまで追い込まなくても・・」言葉では言い表せない悲しみ、苦しみ、そして、怒り・・やがてそれは、祈りとなる、すがれるものがあるならすがりたい。

 彼は自らに問いながら、何かすがるものを求めて、小さな小さな漁村に入った。破壊された海岸沿いの道と険しい山道を進み、いくつもの崖崩れを通り過ぎてそこに開けた小さな漁村は、やはり津波によるすさまじい破壊が見られた。流された漁網やロープや浮き玉が泥にまみれガードレールに絡まり、木の枝から垂れ下がる。狭い道が小さな重機で広げられ、黙々とスコップで泥を掻き出す人々。そして疲れ果てた人々の顔。

 「・・ここも・・か・・」

 と思わず言葉が出た時、石塀の陰から小さな女の子が2人小走りに出てきた。2人は出会い頭に出会った。彼女たちは、この辺では見なれない人間を、唇を真一文字に結ぶと、じーっと見つめている。強く光るのその目に、心の奥底まで見すかされるような衝撃が走る。強い耀きに思わず目をそらしたが、腕が条件反射のようにカメラを向けていた。しかし、子供たちは、すでに背を向けてスキップする背中しか見えなかった。スキップが被災地には不釣り合いなようで、何か知らない衝撃でへなへなと力が抜けカメラを落としそうになった。

(自分の中に何がおきたのだろうか。)深い疑問を胸に、小さな集落を歩き回った。そこでも家族や親戚が流され、未だに行方が分からないことや、あまりにも街から離れていることで未だに救援が届いていないことを知った。

 その夜、子どもたちの消えた坂道の途中にある家に泊めてもらうことになった。やはりそこには流されたいくつかの家族が身を寄せていた。ろうそくや懐中電灯から流れてくるわずかな灯りの下で、まきを燃して暖を取った。子どもたちもストーブの周りで遊んでいる。よく見ると昼間にあったあの子どもたちだ。二人は一心に薄暗がりの中で何かを書いている。

 「何を書いているの」

と聞くと

 「お手紙だよ・・」

 「誰に届けるの」

 「おじいちゃんだよ」

恥ずかしいのか二人は大人の陰に隠れてしまった。

 次の日、(すがるものはここにも無かった)という苦しい思いを胸に、夕べのお礼をして村を離れようとした時、おばあちゃんが古い広告でつくった粗末な封筒を持って出てきた。

 「申し訳ないが、この手紙を受け取るだけでも受け取ってくださらねえか」

家の端っこで見つめている子供たちを気にしながら、小声で話した。

 「実はなぁー、あの子達のおじいちゃんも流されてなぁ・・、だから・・手紙を書いたらって言ったのよ・・。 ・・届けるところはないけれど、預かってくれるかぁー・・」

 あの子達を見ると、戸板の陰から、あの光る目でじっとこちらを見ている。動けなかった・・どういうものか・・ためらいがあった。(でも、・・どうしても受け取らなければ行けない)そうとしか思えなかった。

 「・・街のポストに入れますから・・」

 と少し聞こえるような声をやっと出した。

道に出ると、石塀のところで二人の子供が手を振っていた。


 街に出ると流されずに残った泥だらけで、流木がのしかかったポストが顔を出していた。その前で、たたずんだまま動けなくなってしまった。胸のポケットに手を入れるとあの封筒を握りしめた。汚れたポストがじっとこっち見ている。手を振っていた子どもたち、胸が詰まりそうになり、苦しくて苦しくてを涙が頬を流れ落ちた。ポケットからグニャグニャになった手紙を出すと、やっと読める幼い字で「じじち・・え」(じじへ)と記されていた。しわだらけの粗末な封筒を見つめると、胸を突き上げるような痛みがはしった。涙でいっぱいになった目を閉じると、あの子どもたちの輝く目が浮かんできた。潤んだ目をもう一度開けると、泥だらけでも木がおおいかぶさっても、じっと立っているポストが明日への入り口のように思えてきた。

 彼は「明日への入り口」と口ずさむと、泥だらけのポストに深々と頭を下げた。そして封筒をきれいにたたみ見つめると、一瞬逡巡し、そして、押し抱くようにしてたたんだ手紙を懐の奥に大事にしまい込んだ。



 気がつくと、そこまで話した立石さんのまわりに子どもたちがにこにこしながら座っていた。すると子ども達が

 「校長先生、何で泣いてるの・・」

 と聞いてきた

 「今、とってもいい気持ちだからさ・・。」

 とこたえ、空を見上げた。

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