第22話 競馬場からの提案
東京優駿が終わると、一部の新聞はダートクラシックの二冠目、東京ダービー(JpnI)の話題へと切り替わった。そんな新聞たちはある話題で持ちきりであった。
『アウヤンテプイ、東京ダービーに参戦』
全日本2歳優駿から半年、中央競馬の雄を、近年稀に見る質の高さと噂される地方競馬の雄たちが迎え撃つ事になったのだった。一冠目の羽田盃では一着から三着までを地方勢が独占しており、ドバイで敗退したアウヤンテプイと今年の質の高い地方勢では、そこまで差がないかもしれない。予想家の中にはそんな事を言っている者もいる。
仕事終わりに深雪と待ち合わせし大井町駅へ向かった。駅周辺で軽く食事を取った後で、電飾で彩られた通路を通って正面スタンドへと向かった。
大井競馬場といえば何と言ってももつ煮込みだと俺は思うのだ。もつ煮込みとビールの組み合わせは、夏の暑い時でも冬の底冷えする時でも最高だと思うのだ。深雪はそんな昭和くさいのは嫌だと言って、たこ焼き片手にビールを飲んでいるのだが。
もつのパワーが効いているのか、今日の馬券はかなり健闘していると思う。三レース賭けて一レース的中している。中々に良い配当で、ここまでの出費を補ってさらにメインレースの掛け金くらい出して貰えた。まあ、深雪は三レースとも的中させているのだが。何でこんなに的中率が高いのだろう、実に悔しい。
そんな深雪の本命はアウヤンテプイ。やはりサウジダービーを勝った実力は本物だろうと。そこから地方勢に流している。
俺も同様の考えだった。本命アウヤンテプイで、地方勢に流した三連複馬券。
直前のオッズでは、やはりというか、アウヤンテプイが断然一番人気。
二番人気は同じくドバイ帰りのグロッタアズーラ。
羽田盃を制したラッキーユニバースが三番人気。
前哨戦である東京湾カップを勝ったカリナンが四番人気。
五番人気が羽田盃二着のゴールドラッシュ。
羽田盃では期待されながらも六着に敗退したスプリングオペラが六番人気となっている。
七番人気が羽田盃五着だったクロストゥーユー、八番人気が同じく四着だったラムセスモカ。九番人気以下はかなり離れたオッズとなっている。
二十時十分。
東京トゥインクルファンファーレのお姉さんたちの生演奏が終わると、いよいよ発走時刻となった。
四コーナー付近にゲートが設置され各馬ゲート入りが行われている。天候は曇り、馬場状態は稍重の発表である。
大外の馬がゲートに入り、一斉にゲートが開いた。
ポンと飛び出したのはスプリングオペラとアウヤンテプイ。その二頭をカリナンとラッキーユニバースが交わして行く。カリナンが先頭を主張しラッキーユニバースが控える。その隣にゴールドラッシュが位置取った。その後ろにスプリングオペラ。
さらに後ろにラムセスモカ。ここまではほぼ一団。
中団先頭にグロッタアズーラとクロストゥーユー、アウヤンテプイは中団やや後ろ。向こう正面直線の半ばまで、その体制のまま特に動き無く進んだ。
三コーナー手前でゴールドラッシュがカリナンに並びかけに行くと、それを合図にしたかのように一気に流れが早くなった。
少し膨らみ気味にコーナーを回ったカリナンの内にラッキーユニバースが潜り込んだ。そのすぐ後ろにスプリングオペラとラムセスモカ。後続も一団となってその後ろを追走し始めた。
一番人気アウヤンテプイはその後続集団の中で馬群に包まれている。
四コーナーを回って最後の直線。残り四百メートルの標識が通過していく。
カリナン鞍上宮本騎手の鞭が入る。カリナンが一気に多馬を突き放そうとする。クロストゥーユーは伸びているが、ラムセスモカの伸びが鈍い。ラッキーユニバースとスプリングオペラが上がって来る。カリナンにスプリングオペラが並びかけ、それをゴールドラッシュが必死に追う。
大井の長い直線はまだ続く。
残り二百の標識を通過。
大外から一気に弾丸のような末脚で、一頭猛烈に追い上げてくる馬がいる。アウヤンテプイが剛脚で上がってきた。あっという間にラッキーユニバースに並びかける。ラッキーユニバースを抜くと、今度はその前のゴールドラッシュに並びかける。更にスプリングオペラを抜き、カリナンを抜いて突き抜ける。
残り一ハロン。
二馬身、三馬身と差を開げる。
もう後ろは追って来ない。アウヤンテプイが圧倒的な強さを発揮してゴール板を先頭で駆け抜けた。
まさに完勝。やはりサウジダービーの勝利は伊達では無かった。
一着アウヤンテプイ(JRA)、二着カリナン(大井)、三着スプリングオペラ(岩手)。
四着ゴールドラッシュ(船橋)、五着ラッキーユニバース(北海道)。クロストゥーユー(JRA)が六着、七着がグロッタアズーラ(JRA)、ラムセスモカ(JRA)が八着という結果であった。
東海優駿を制したビヴロストは現在放牧中。生まれ故郷である今井稔牧場へと一旦帰っている。
芝生に寝転ぶ姿、降りしきる雨を早く止まないかなという顔で見上げる姿、もりもりと飼葉を食べる姿などなど。牧場からは今こんな感じだと定期的にビヴロストの写真が送られてきている。それを深雪や名古屋の両親に逐一転送してあげている。
ビヴロストが英気を養っている分、俺の方は秋までは仕事専念だと思っていた。ところがそんなある日、結城調教師からちょっとした相談があるので一度名古屋に来れないかというメールが入ったのだった。
深雪と二人、夏休みを利用して名古屋競馬場へと向かうことになった。結城厩舎を訪ねたが、まだビヴロストは牧場で休養を満喫しており、馬房は空となっている。
結城は厩舎の事務室ではなく、競馬場の応接室へと俺たちを案内した。するとそこには、明らかに厩舎関係者とは雰囲気の異なる背広の男性が二人待っていたのだった。
一人は藤野という事業部長、もう一人は
林戸は三人を応接椅子に座らせると、雑談の話題としてビヴロストを褒めてきた。近年あれだけ強い馬が名古屋競馬場から出る事は無かった。あの馬がどこまで強いのかが最近の会議ではよく話題に上ると。
すると藤野が結城に、次走はどこを予定しているのかとたずねた。
「まだ最上様の了承を得てはいないのですが、管理者の私としては、レディスプレリュードからJBCレディスクラシックはどうかと考えています」
結城の発言に藤野たちは「おお」と歓声をあげた。ついに南関東遠征かと二人で盛り上がっている。そんな二人の態度に結城は露骨に警戒した表情をする。
「実は先日の会議で、ビヴロスト号を特別に支援してはどうかという話が出ていましてね。三重県のトレーニングセンターで調教を行ってはどうかという案が出ているんですよ」
特別支援という事で、トレーニングセンターの利用料は名古屋競馬場で支払う事になった。
まずは試験的にという事で、半年利用する方向で話はまとまっている。
今回の事が功を奏するようであれば、今後正式に制度として固めていく事になる。
「すでにトレーニングセンター側には話をしていて、後は結城先生と馬主である最上様の承諾を得るだけという状況なのですが、いかがですか? それともし受諾いただけるのであれば、少しでも勝つ確率を上げる為に鞍上を桃ノ木騎手から岡崎騎手に変更いただきたいと思っているのですが」
いかがですかと言われても自分たちには調教の話はよく分からない。確かに岡崎騎手は名古屋競馬場ではトップジョッキーではある。でも、できることなら鞍上はこれまで同様桃ノ木騎手で行って欲しいという気はしている。後は結城先生の判断に委ねると言うしか無かった。
結城は眉をひそめて困り顔をし、その場での返答を避けた。前向きに検討させてくださいと答えただけだった。
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