第16話 春の初戦

 地方競馬の年末の大レース、東京大賞典の翌日、二歳牝馬限定レースである東京2歳優駿牝馬(SI)が開催された。南関東所属の選りすぐりの牝馬が集う中、二頭の牝馬がずば抜けた人気となっていた。

 一頭はJBC2歳優駿でカリナンの二着となった川崎のウィンザーローズ。

 もう一頭は中央競馬の牝馬クラシックへの挑戦を表明している笠松のロマンブライト。


 コースは内回り千六百メートルで行われた。年末の十六時半、周囲はもう真っ暗である。スポットライトに照らされたコースで二頭は激突した。


 ウィンザーローズは前走同様先頭集団の後ろ、一方のロマンブライトは後方集団の後ろの位置取り。

 向こう正面半ばから二頭は動き出しを開始、四コーナー手前では早くもウィンザーローズは先頭に立ち逃げ切り体勢となっていた。

 大井の内回りコースは直線が短く、もう後方の馬は追いつけないだろうと多くの者が思っていた。ところがロマンブライトは凄まじい末脚を発揮し、みるみる差を詰めて行き、ゴール板の手前でウィンザーローズに並んだのだった。

 二頭は並ぶようにゴール板を駆け抜けた。


 ウィンザーローズの鞍上紺屋こんや、ロマンブライト鞍上の若竹わかたけ、二人とも祈る気持ちで着順掲示板を見ている。だが写真判定のままどちらが勝ったか表示がされない。

 最終的に写真判定が終わったのは次の第十一レースが始まる直前であった。

 一着はウィンザーローズ、ハナ差の二着にロマンブライト。



 年が明け一月半が過ぎると、中央競馬では最初のGIが開催される。東京競馬場ダート千六百メートル、フェブラリーステークスである。


 少し前であればフェブラリーステークスといえば、中央競馬所属のダート巧者が集う最高峰のレースであった。だが近年、最高峰の馬たちは、より賞金の高いサウジアラビアやドバイに行ってしまう。何となくエース格以外のトップを決めるレースのようになってしまっていて、昨今は少し盛り上がりに欠けているように感じる。


 そんなフェブラリーステークスだが、一番人気は四歳の『クプア』という馬だった。

 クプアは二歳末から始動し、三歳になって二月にヒヤシンスステークスに出走し勝利。二戦二勝で挑んだUAEダービーで二着と健闘。その後渡米してケンタッキーダービーに出走。だが四コーナーで致命的な不利があり十着と大敗。

 それで調子を崩してしまったのか、続くプリークネスステークスが七着、ベルモントステークスは九着であった。

 帰国して放牧した後、調整のようにみやこステークス、東海ステークスに出走し九着、七着。

それでもUAEダービーで二着するような馬だからと、このメンバーであれば実力上位だろうと一番人気に推された。


 だが勝利したのは、ここまでずっと惜しいレースの続いていた五歳の『オリュンポス』という馬だった。


 オリュンポスは非常に堅実な馬で、デビュー戦を芝で五着に負けてから、ここまで一度も五着以下を取った事が無い。続く未勝利戦も芝を走って四着。三戦目からダートに転向し未勝利戦を二着、一着。三歳になり初戦の端午ステークスに勝利。その後、ユニコーンステークス三着、レパードステークスに三着し、みやこステークスで重賞初制覇。

 初の大舞台であるチャンピオンズカップは五着に敗退。四歳からはGIに出走を絞り、フェブラリーステークス、川崎記念、帝王賞、JBCクラシック、チャンピオンズカップと出走し、それぞれ三着、五着、四着、四着、二着。

 今回のフェブラリーステークスは、未完の大器と言われたオリュンポスの初の戴冠であった。

 それでも意地を見せたクプアが、少し離されはしたが二着に入線した。



 オリュンポスは父ヘニーヒューズ、母パラダイス、母の父はハーツクライ。

 父のヘニーヒューズはノーザンダンサー系の中でも絶対のスピードを誇るストームキャット系の種牡馬である。産駒にはアジアエクスプレス、モーニンと、芝ダート問わずマイルで結果を出している馬が多い印象。オリュンポスも勝ててはいないものの、新馬戦、未勝利戦と芝コースを走ってそれなりの着を拾っている。

 恐らくだが、勝ち鞍がみやこステークスというところから、適鞍は千八百メートルあたりなのだろう。陣営は二千メートルでも通用するはずと考えているらしいが、今後はダートのマイルを中心に出走予定なのだそうだ。

 次走はかしわ記念を予定。



 クプアは父エイシンヒカリ、母マハロ、母の父はディストーテッドヒューマー。

 母のマハロは天皇賞秋を勝った名牝ヘヴンリーロマンスの産駒で、自身は中央競馬で走って未勝利に終わっている。

 父のエイシンヒカリは数多の名馬を輩出したディープインパクトの産駒で、稀代の逃げ馬として有名である。国内でのGI勝ちこそ無いが、フランスのイスパーン賞を勝っている。父は逃げ馬として名をはせたのだが、クプアは今の所追い込み一辺倒の馬である。

 母の父ディストーテッドヒューマーはミスタープロスペクター系のフォーティナイナーの産駒。フォーティナイナーは日本に輸入され、マイネルセレクトなどダートで活躍馬を多数輩出。数こそ少ないがダイワパッションのように芝でも活躍した馬も輩出している。ディストーテッドヒューマーはそんなフォーティナイナーがアメリカで繋養されていた頃の産駒。あまり日本の競馬には馴染まないのか活躍馬は少ないが、クプアのようにブルードメアサイアーとして存在感を示している。

 距離は比較的長い方が向くと考えられているようで、次走は川崎記念から帝王賞を予定しているのだそうだ。



 フェブラリーステークスの翌週、ビヴロストは名古屋競馬場でスプリングカップ(SPI)というレースに出走している。距離は千七百メートルとこれまでで最長、天候は雨、馬場状態は不良。しかも二十時半発走のナイター競馬。

 ビヴロストにとって色々と初めての事が重なるレースとなってしまった。だが、それでもきっとこの馬なら克服してくれるだろうと、人気は断トツの一番人気となっている。


 出走時刻が出走時刻なので、俺と深雪はビール片手に中継サイトで観戦しながらの晩酌である。二人ともビヴロストの馬券をしこたま購入しており、応援にも一層の熱が籠る。


「さすがにこの雨だとお義父さんたちは家で観戦かな? 競馬場って底冷えするから寒いもんね」


 そう言って深雪がコップに口を付けた時であった。携帯電話にメールが入った。


”今日は雨が降っていてとっても寒いです。ですが観客の皆さんの熱気で寒さも吹き飛ぶというものです”


 母からだった。そこには三枚の写真が添えられている。観客をバックにレインコートを着込んだ二人の写真と、応援と言ってビヴロストの単勝を数万円も購入した馬券の写真であった。

 携帯電話を見せると、深雪は嘘でしょと言ってビールを吐き出さんばかりに大笑いした。 



 発走時刻となった。

 雨を嫌がってか、ビヴロストはいつも以上に枠入りを嫌がり、枠入りしてからも大暴れしている。いつもならゲートが開けばそれなりに走るのだが、跳ねる泥を嫌がって行きっぷりが非常に悪い。


 鞍上の桃ノ木騎手は一コーナーを回る際にそれに気付いたようで、なるべく泥のかからない外側に進路を変更。それが功を奏したらしい。そこからいつものようにかっちりとギアが噛み合うようにビヴロストは位置取りを前に取り直した。


 向こう正面の半ばを過ぎると、さっさと先頭に立ち、そこからはもはや多馬を気にせずグングンと加速。

 四コーナーを回る頃には後続とは一馬身以上の差が付いていた。

 桃ノ木は直線に入ってから一追いだけした。ビヴロストはさらにもうひと加速して一着でゴール板を駆け抜けた。



 前走のライデンリーダー記念で結城調教師から、声をかけてくれたら口取り式に参加できますよと言ってもらえた事がよほど嬉しかったのだろう。父と母、二人で仲良く口取り式に出た写真が携帯電話に送られて来たのだった。



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オリュンポス *ヘニーヒューズ *ヘネシー    Storm Cat

                        Island Kitty

                Meadow Flyer  Meadowlake

                       Shortley

       パラダイス   ハーツクライ  *サンデーサイレンス

                       アイリッシュダンス

               シェープアップ Kingmambo

                       *ライフアウトゼア

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