第4話 今井稔牧場を見学

「あれ? 古い友人と呑みに行くって、女の人だったの?」


 家に帰って早々、スーツのジャケットを受け取った深雪がそう言い出した。


 ……何という鋭い嗅覚。

 これは少しでも隠し事をすると後でとんでもない目に遭うと感じ、全てを洗いざらい話す事にした。久々に神楽からメールが来て呑みに行った事から、馬を買って欲しいと言われた事まで。


「馬? 馬を買って欲しいって、馬主になって欲しいって事? そんな収入うちには無いでしょ? もちろん断ったんだよね?」


 さすがに深雪は冷静で、ハナからあり得ない話だという事を前提で話をしてきた。

 俺だって最初は何を馬鹿な事を言っているんだと感じながら神楽の話を聞いていた。深雪からしたら余計にそう感じるであろう。


「地方競馬だったら俺でも馬主になれるんだそうな。俺も最初は断ったんだけどさ。というか、帰る間際まで断ろうとしてたんだけどさ」


 古い友人の頼み、無碍には断れなかった。そんな歯切れの悪い俺の言い方に深雪は不審の目を向けてきた。というより、神楽の名を出した時からずっとこの目で俺を見ている。

 その表情、明らかに気分を害している時の顔だ。


「血統表を見せてもらって、ある事が気になっちゃってね。その場で調べて気付いた事があって、それで持ち帰ってお前に相談するって言って帰って来たんだよ」


 精一杯の誠意ある顔を作って深雪に向けた。だが、深雪の表情は変わらない。

 深雪が「はあ」とため息をつく。その気になった事、気が付いた事というのは何だと面倒そうに聞いてきた。


 深雪にリビングの椅子に座ってもらい、手帳に挟んであった一枚の紙片を取り出して見せた。女性の文字、それも手書き。どう考えてもいかがわしい。

 深雪はこれがどうかしたのとさらに機嫌の悪い顔をした。


 ……よく見たらあいつの電話番号が書いてある。

 何かを誤魔化すように、若干焦り気味にその一番右下を見て欲しいとお願いした。


「え? ライデンリーダー?」


 驚く深雪に俺は無言で頷いた。深雪はかなり衝撃を受けたようで、紙片と俺の顔を無言で交互に見ている。


「俺も気になってその場で調べたんだよ。確かにそのライデンリーダーの子のベンテンヒカルという牝馬は繁殖入りしてた。種牡馬の名も間違って無かった。そしてそのプリズムって牝馬も実際に存在していた」


 存在はしていたが産駒実績が無い。恐らくこの仔は初仔。ライデンリーダーの血統が絶えた事を知った神楽が、無理やり頼み込んで種付けさせたのだと推測される。


「神楽さんならやりそうな話ね。あの人強引なとこあるもん。というか相手が神楽さんじゃなかったら確実に詐欺の手口だと思うな、これ」


 実際、写真しか見せてもらえていないのだから、詐欺の可能性は捨てきれない。値段の四百万円を伝えると、深雪は一言、胡散臭いと言って笑い出した。


「人助けだと思ってとか、即金で欲しいとか、完全に口上は詐欺のそれだったんだよな」


 それを聞くと深雪は、そのまんま詐欺のそれだと言って大爆笑であった。


「だけど、もし本当に切羽詰まってるんだとしたら、変に知ってる人だから困っちゃうね。法律に詳しい人にお願いしてさ、詐欺かどうかだけでも確認してもらったらどうかな」


 四百万円は痛いけど、ライデンリーダーの血統の馬を所有して走らせるというのは夢がある。たとえ全然駄目な馬だとしても。それに名古屋の義父が聞いたら喜んでくれそう。そう言って深雪はやっと微笑んでくれたのだった。



 翌日、神楽に連絡を取り、弁護士と一緒にその馬を実際に見たいと要望した。断るならこの話は無しだと。

 すると神楽は、声のトーンを上げて是非見に来て欲しいと喜んだ。どうやら詐欺云々は杞憂だったかもしれない。その神楽の反応でそう感じた。

 だが念の為、会社で契約している顧問弁護士の伊達さんにお願いして一緒に付いて来てもらう事にした。


 この伊達さんも無類の競馬好きなのだ。サラブレッドとふれあえると言ったら喜んで引き受けてくれた。子供も一緒に連れて行きたいというので、その分も宿泊費を出してあげる事にした。




 えりも岬で有名なえりも町。

 かつてこの町からは、エリザベス女王杯の勝ち馬エリモシックや、優駿牝馬オークスの勝ち馬エリモエクセルなんかが排出されている。

 神楽はその町に来るようにメールしてきた。


 国道をひたすら進んだ山の奥。正直走っていて本当にこんな場所に牧場があるのか不安になるような場所。そこに確かに『今井みのる牧場』の看板はあった。


 外はかなり派手に雨が降っている。これではお馬さんに触ったりできないかもねと、深雪が伊達さんの娘さんに言っていた。伊達さんの娘さんはかなり残念そうな顔をしている。


 俺、深雪、伊達さん、伊達さんの奥さんと娘さん、五人で車から降りる。

 看板はあるものの、駐車場は雑草が伸び放題、目に見える建屋は全てボロボロ、周囲は見渡す限りの森。本当に営業しているのか不安になるような佇まいであった。


 神楽に来訪を伝えると、そのボロボロの建屋の一つから、傘も差さずに勢いよく飛び出して来た。

 神楽は走り寄ってくると俺では無く、まず深雪に久々だと大喜びで声をかける。二人の共通の友人女性の名を何人か挙げて、あの娘は今何している、あの娘は今こうしていると二人にしかわからないような話を始めた。


 暫くして当初の目的を思い出したようで、俺の顔を見て、ごめんごめんと謝って牧場の事務所へと案内してくれたのだった。


 牧場の名前にもなっている今井稔さんは、ジーンズに農協帽といかにも農家のおじさんという出で立ちであった。恐らく都会のサラリーマンであればそろそろ現役引退、そんな年齢である。


「本当にあのとねっこを買ってくれるんですか? 生産者の俺がいうのも何だけど、その、あのとねっこの父馬が……」


 今井はそこまで言うとそれ以降の言葉を濁してしまった。内心ではあの馬を売る事に対して騙している気がして気が引けているのだろう。そんな今井を神楽が、あの仔は絶対に走りますよと元気付ける。


「とりあえず、その馬をまずは見せてはいただけませんか? 話はそれからにしましょう」



 案内された厩舎には三頭の繁殖牝馬が繋養けいようされていた。うち二頭はここの牧場の命綱ともいうべき牝馬で、血統表も差してあり、丁寧に手入れがされている。その隣に手入れはされているのだが、どこかお座なりな扱いの牝馬がいる。


 今井はその鹿毛の牝馬を指差し、この馬が母馬のプリズムだと紹介した。実を言えば、これまでは他の牝馬が育児放棄をした時用に繋養している馬だったらしい。

 神楽からどうしても種付けをして欲しいと懇願し、これまで溜め込んだ給料全部を使って欲しいと渡して来たので、渋々種付けをしたと今井さんは苦笑いしながら説明してくれた。


 そのプリズムにべったりと寄り添っているのが問題の仔馬であった。神楽に見せてもらった写真そのままの仔馬がそこにはいた。

 まだ生まれて二月ほどしか経っておらず、いかにも仔馬という感じの可愛らしい姿である。折れてしまわないか心配になるほど脚が細い。プリズムが顔を近づけると仔馬も顔を近づける。

 深雪と伊達さんの奥さんが思わず可愛いと声をあげる。伊達さんの娘さんは目を輝かせている。


 仔馬が俺の方を見て、何かを感じたのか可愛く嘶いて顔を上下に振った。

 額に小さな『小星』という毛色が白くなった部分がある。左後脚も靴下を履いているように白くなっている。つぶらな瞳。ぴょこぴょこと動く耳。いつまで見ていても飽きない可愛さがある。


 すると俺の視界に突然神楽が割り込んで来た。

 

「ねえ、友作覚えてる? この『左後一白さこういっぱく』ってね、オルフェーヴルと同じなんだよ。そう考えたら走りそうって思わない?」


 ……そんなのオカルトだと思う。



―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

【名古屋の光】

ビヴロスト レイデオロ キングカメハメハ Kingmambo

                     *マンファス

            ラドラーダ    シンボリクリスエス

                     レディブロンド

      プリズム  ヴァーミリアン  エルコンドルパサー

                     スカーレットレディ

            ベンテンヒカル  *ウォーニング

                     ライデンリーダー

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