第3話 神楽が生産した馬

 ――『レイデオロ』

 父キングカメハメハ、母の父はシンボリクリスエス。

 祖母のレディブロンドは三冠馬にして稀代の名種牡馬ディープインパクトの姉。ディープインパクトの姉という事は、キタサンブラックの父ブラックタイドの姉でもある。

 さらに近親にはNHKマイルカップを制したウインクリューガーもいる。


 近年母系の質は種牡馬の成功の第一条件と目されており、そこまで優秀な母系を持った馬なら確実に成功するだろうと目された。二歳のホープフルステークスを勝ち、ダービーを制し、古馬になって秋の天皇賞も制している。早くから仕上がり、息の長い活躍が期待でき、おまけにクラシック向き。さらにサンデーサイレンスの血を持っていない。

 こんな理想的な種牡馬は中々いない。そう考えた生産関係者は非常に多かったようで初年度に設定された種付け料は超高額。しかも初年度産駒の評価は高く、万年不景気の昨今にあってセリでは信じられない値段で取引された。


 この種牡馬ならきっとどんな牝馬に種付けしてもそれ以上の値段で取引されるはず。きっとサンデーサイレンス、ディープインパクトのような、付けただけで産駒の値段が跳ね上がるようなそんな種牡馬になるに違いない。低く見積もってもキングカメハメハ、ハーツクライ級のはず。

 そこで高額になり始めていた種付け料を支払って、一頭の牝馬に種付けをしてもらった。それまでコツコツと貯めた貯金を種付け料の補填として使ってもらって、不安を払拭してもらっての種付けであった。


 きっとこの仔たちも凄い値段で取引されるはず。

 そう思っていた……


 ところがいざ初年度産駒がデビューすると評価は一変した。


 二歳重賞出走馬はゼロ。

 オープン勝ちゼロ。

 二勝を挙げた馬はわずかに一頭。

 それどころか新馬の勝ち上がりも少ない。牝馬に至っては一頭も勝っていない。中央競馬での登録は百三十頭もいるのに。


 仕上がりが遅いだけかもしれないから。そう牧場には言っていた。きっとクラシック戦線が始まったら、それなりに活躍馬がでるはず。


 そうして出産シーズンを迎えた。

 せめて牡馬であって欲しい。牡馬は勝ち馬がでているから、買い手がつくはずだから。

 そんな淡い期待も虚しく、産まれた仔は残念ながら牝馬であった……


 その後もレイデオロ産駒はパッとせず、一向に重賞を勝つ馬が出ない。

 弥生賞で一番人気に推された馬が全然駄目で、皐月賞に出走した産駒はリステット競争に勝って滑り込んだ馬一頭のみ。その馬も大敗だった。

 年が明けてから二頭だけ牝馬も勝ち上がってはいる。だがそんなのは気休めに過ぎず、間違いなくこの産駒成績を知ったら仔馬の買手は付かないであろう。


 牧場では絶望感が漂っていた。

 どうするんだこの馬、そんな怨嗟にも似た声が聞こえてきた。

 必ず買い手を見つけ出してやる。そう言って神楽は逃げ出すように牧場を出て来たのだそうだ――



「で、その牝馬がこの仔と……」


 俺は横目でちらりと鹿毛の仔馬の写真を見て、ため息交じりにそう言ってビールを喉に流し込んだ。俺の表情から断られると感じたらしく、神楽は俺の手を握って訴えかけるような目をしてきた。


「でもね、でもね、レイデオロは晩成傾向の種牡馬かもしれないのよ! もしかしたら長距離用の種牡馬かもしれないのよ」



 レイデオロ産駒の馬たちは重賞を全く勝てずにダービーの日を迎えた。ダービーには皐月賞を惨敗した馬がただ一頭出走しているだけであった。

 だがその馬が意地を見せた。

 二桁人気を覆し四着に突っ込んで来たのだ。


 だから希望はある。もしかしたら秋になったら状況が一変するかもしれないから。そう神楽は力説した。


 ディープインパクトは本来は晩成の傾向が強い種牡馬だったらしい。ただその初期能力の高さで二歳戦から使われる事が多く、そのせいでGIを一度獲ると急失速する馬が多かった。その晩成傾向がもし母のウインドインハーヘアから来ているのだとしたら、それをレイデオロも産駒に受け継いでしまっているのだとしたら。


 神楽は俺の手を握って必死に説得を試みる。酔いが回ったのか、それとも自身の置かれた状況のためなのか、神楽の瞳は少し潤んでいる。

 そんな目をされたら無下に断れないではないか。


「とりあえず血統表を見せてよ。あるんでしょ? それを見ないと何とも言えないよ」


 そう指摘され神楽は、少しだけ表情を明るくさせた。うんうんと頷いた後で、また中身がぐちゃぐちゃになっている鞄をごそごそと探しまくり、あったと言って一枚の紙を机に置いた。

 神楽が提示したのは『三代血統表』。その牝馬の三代前までの種牡馬と肌馬が記載されている表であった。


「何で五代血統表じゃなくて三代なんだよ。今は商品のプレゼンの場なんぞ? 本当にそれで買ってもらえると思ってるの?」


 神楽は俺の指摘に、小さい娘が叱られた時のように口を尖らせて不満そうな顔をする。小さい娘ならまだしも、いい歳をした女性がやって可愛い仕草では無い。その仕草に不快感を感じながらも血統表に目を移した。


 父レイデオロ、母プリズム、母父ヴァーミリアン。

 ヴァーミリアンの父エルコンドルパサーの父は確かキングマンボだったはずだから、この馬はキングマンボの4×5というクロスを持った仔という事になる。


「確かさ、シンボリクリスエスってロベルト系だったよね? 母のラドラーダって馬の母父はこの表だとわからないけど、もしかしてレイデオロの牝系ってパワー型でスピード競馬に弱いんじゃないの?」


 そう言って携帯でラドラーダの血統を調べてみる。すると出て来たのはミスタープロスペクター系のシーキングザゴールド。思った通りパワー型の種牡馬だ。


「そんなの私の方が本職なんだから言われなくてもわかってるわよ。だからダート特化で活躍させようと思ってダート王者ヴァーミリアンの牝馬に付けてもらったんじゃない」


 中央競馬では近年稀に見るがっかり種牡馬だが、地方競馬ではそれなりに活躍馬は出ている。もちろんレベルの差というものもあるかもしれない。


 血統内にこれだけスピードのある種牡馬が揃っているのだ。ダート限定とはいえ、そのスピードが引き出せれば!

 ダートクラシック三冠、どれかが取れれば一億円!

 そう考えての配合だった。


 したり顔で神楽は言うのだが、プリズムなんていう聞いたことも無い未勝利の肌馬に付けて、理論通りになるかというと甚だ疑問である。

 その指摘に神楽はまたもや口を尖らせて拗ねた顔をする。


 ……だからもう少し自分の年齢というものを考えろというのだ。


 だが最初に三代血統表を渡された時から気になる名前を見つけており、それが心の奥底で引っかかり続けている。

 その馬が気になって再度携帯電話でその馬を調べてみた。

 確かに産駒一覧に名前がある。種牡馬の名前も一致している。


「ちょっと持ち帰って深雪と検討するよ。もしかしたら深雪の許可が下りるかもしれないから」


 商談決裂と諦めており、気落ちしていた神楽は思いがけない言葉に顔を上げた。

 本当に?とか細い声を発し、少しだけ首を傾げる。


「約束はできないけどね。もしかしたらめちゃくちゃ怒られるかもしれない。だけどこの血統表見せたら、もしかしたら許可してくれるかも」


 『人助けだと思って』

 神楽は再度その言葉を口にした。



 帰り際、三代血統表と写真を持って帰ろうとすると、神楽がそれは困ると言い出した。

 また中身がぐちゃぐちゃの鞄から手帳を取り出し、手書きで書き写すと、そのページを破って渡してきた。


「もし許可出るようなら、そこの番号に電話するか、さっきのアドレスにメールちょうだい。馬主審査もあるからなるべく決断は早めにね」

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