第4話 西浦愛生:琉生くん
私は、クラスのみんなを見下ろしていた。ずっと見下ろしていた。授業中も、休み時間にみんなが笑って話しているのも、みんなを羨ましく思いながらずっと見ている。学校が終わってからは、琉生くんの後ろをついていって、一言も話さないし、琉生くんは私を見ようともしない。あ、私、幽霊になったんだ、と思っていたら目が覚めた。
こんな夢をみるなんて、思わずふっと鼻で笑ってしまう。昨日hand numberが出てきたからだ。だからこんな夢を見たんだ。もっと楽しい夢が見たかったな。
手の平を見ると、昨日と変わらず 2 が見える。
これからどうすればいいんだろう。まだ信じられない。私、二年後には死ぬんだ。どうやって死ぬんだろう。怖くてこれ以上考えたくない。
お母さんに言ったほうがいいのかな。数字は口に出して言えないし、私の命は短いって言うべきなのかな。でも、絶対お母さん悲しむよね。悲しませたくないな。どうやって伝えるべきか考えよう。
お父さんは、離婚してから会ってないし、いきなり会って伝えても混乱するだけだよね。考えていたら、また涙が出そうになる。
今日から期末試験が始まるのに、勉強できなかった。お母さんに心配かけないように、とりあえず学校行かなきゃ。
ドアをノックする音が聞こえた。
「愛生〜! そろそろ起きないと間に合わないよ〜」
お母さんの声だ。お母さんの、よく通る声が聞けなくなるんだよね……
「うん。起きる」
起きてリビングに行くと、お母さんが仕事に行く準備をしていた。
「愛生おはよう。朝ごはんテーブルの上ね」
「うん。いつもありがとうお母さん」
「何〜? 珍しい」
そう言ってお母さんは笑いながら、私の頭をポンと優しく撫でた。
「あっ愛生〜目腫れてるよ。勉強頑張りすぎじゃない? じゃ仕事行ってきます。戸締りよろしく」
「うん。いってらっしゃい」
洗面所に行って鏡で自分の顔を見ると、目が腫れていつもの半分しか目が開いていない。酷い顔だ。メガネかけたら隠れるかな。
はぁ、とため息をついて、学校へ行く準備をして家を出た。
駅のホームについた。
ホームで笑いながら話す女子、参考書を開いて真面目に勉強している男子、腕時計を見て時間を気にしているサラリーマン、スーツを着こなして高いヒールを履いているお姉さん。
この中に私みたいな人がいるのだろうか。あと何年しか生きられないとか、あと何日しか生きられない人はいるのだろうか。
たぶんここにいる人のほとんどが、私より生きられる時間は長いと思う。
表情で分かる。何の心配もなく笑って、勉強して、当たり前の日常を過ごしている。この雑踏の中で、私一人だけが浮いている気がする。
色々考えていたら、学校にいつの間にかついた。校門を通って、コンクリートでできた校舎に入ると、夏なのにひんやりとした空気が肌にまとわりつく。段々と体の中心、心の奥底まで冷えていく感覚に陥った。私の心は凍っている。
教室に入ろうとした時、「愛生〜! おはよう!」と陽菜に声をかけられた。
陽菜の明るく弾むような声に、凍った心が少し溶けた。
今できる精一杯の笑顔で、「陽菜。おはよう」と言った。
「今日メガネじゃん! 初めて見た! 似合ってる!」
「ありがとう」
ふと後ろに気配を感じて振り向くと、琉生くんが立っていた。
「黒嶋おはよう」
「おはよう琉生くん」
「おっす」
琉生くんが、私の目をじっと見てきた。彼がじっと私を見るなんて珍しい。いつもなら私が目を合わせても、彼はすぐに目を逸らす。たまに目を逸らさずに見てくれることもあるけど、目が合うきっかけはいつも私から。私が彼の目を見ないと、私を見てくれない。
そんな彼が今日は自ら目を合わせてくれている。思わず私の方が目を逸らしてしまった。
「目、腫れてる」
琉生くんがぼそっと言う。
「えっ……」
私は恥ずかしくて手で目元を隠した。
「黒嶋! 女の子に向かって目腫れてるとか言うな! 女の子は気にするんだから! 女心を分かってないんだから!」
陽菜が呆れたような顔をして、彼に注意している。
彼はばつが悪そうに「ごめん……」と言った。
「あっ、全然大丈夫だよ。目が腫れてるのは本当だから……」
「うん。ごめん……」
そう言って彼は教室に入っていった。
陽菜が彼を見ながら、「デリカシーないわ〜」とまだ呆れているようだ。
「陽菜ちゃん大丈夫だよ。昨日寝る前にコーヒー飲んだからかな。ははは」と明るく言ってみた。
それから教室に入ってしばらくすると、期末テスト一教科目が始まった。
あっという間に今日の試験は全部終わって、もう帰る時間になっていた。
こんな状態でテストなんてまともにできなかった。きっと赤点だらけだ。留年したらどうしよう、と思ったけど、留年してもいいんだった。あと二年しか生きられないし。また、ふっと鼻で笑った。
明日のテストもやる気がでない。もう何もかもどうでも良くなってきた。なんのためにあと二年、生きるのか、あと二年ただ死を待つだけだなんて生きている意味がない。
今死んだっていい。
昨日ネット検索していたら、運命は変えることはできないと書いていた。
hand numberが 0 にならない限り死なないと書いていた。この情報は本当なのかな。本当に運命が変わらないのか、ここで試してみようかな。私が今ここで死ねば、hand numberなんて関係ないことが証明される。0 にならなくても死ぬ。運命は変わるって証明できる。
私は、駅のホームの黄色い線の外側に立った。一歩踏み出せば落ちる距離だ。電車が来た時に一歩踏み出して落ちればいいだけ。
「西浦さん危ない!」
私は腕を掴まれて、強く後ろへ引っ張られた。
振り向くと、琉生くんが眉間に皺をよせて、真っ直ぐ私の目を見ている。
こういうことか。今死のうと思っても助けられてしまうんだ。hand numberが 0 にならないと死ねない。
「大丈夫?」
大丈夫じゃない。声が出ない。足が震える。
彼に腕を引っ張られて、ホームにある人気の少ないベンチの方へ連れてこられた。
「ちょっとここ座ってて」
そう言われてベンチに腰掛けると、彼はどこかへ行ってしまった。
手の平を見ると、変わらず2が見える。本当に運命って変えられないんだ。こんな気持ちで、あと二年、生きないといけないんだ。
しばらくして戻ってきた彼は、ジュースを買いに行っていたみたいで、これ飲んで、と渡してくれた。
「ありがとう……お金……」
「いいよ。おごる」
彼もベンチに腰掛けた。
「ありがとう。あ、もう電車くるよ」
私が立ち上がろうとすると、彼が私の腕を掴んできたので、彼を方を見た。
「ごめん。わがまま言っていい? 一本遅い電車にしない? これ飲んでから電車に乗りたい」
彼は私から視線を外しながら言った。
「うん……」
たぶん彼のわがままなんかじゃない。
私に合わせてくれている。私が危ないことをしていたから、私が落ち着くのを待ってくれているんだと思う。気遣ってくれている。
彼は自然とそういう気遣いができて、周りのことをよく見ている。
いつもそう。困っている人がいたら、困っていることに気づいてないフリをして助けてあげる。
つい最近、あるクラスメイトが、放課後までにクラス全員分のノートを職員室に持っていかないといけなかったけど、体調が悪くなってノートを持って行くことができずに困っていると、彼はそのことにいち早く気がついて「俺、職員室に行く用事があるから、ついでに持って行くよ」と声をかけていた。職員室に用事なんてないのに。そうやって周りをよく見て、自然と気遣いができる人だ。
私なんて気づいていても、誰かを助けるとか勇気がでない。
「ごめんね。琉生くん」
「いやいや。謝るのは俺の方だよ。電車一本遅らせてしまって」
彼はグビッと缶ジュースを飲んだ。
優しくて気遣ってくれる彼は、何も聞かずにただ一緒にいてくれる。彼の静かな優しさが心地良い。
そんな彼を見て、私もグビッと缶ジュースを飲んだ。
しばらく沈黙が続いたけど、彼との沈黙は嫌じゃない。
「大丈夫?」
突然彼が心配そうな顔をして聞いてきた。
「えっ?」
彼の方を向くと、彼は私の頬に優しく触れた。なんだろうと思い、自分の頬に触れると濡れている。気づかないうちに涙が頬を伝っていた。
「私、泣いてる。なんでだろう……気づかなかった」
涙を流しながらも笑いが出てきた。
「はははは……やだなぁ琉生くんの前で泣くなんて恥ずかしい」
彼は私の目を真っ直ぐ見ている。彼はこういう時は目を逸らさない。周りなんて見えてない。私のことしか目に入らない。私と彼、二人だけの世界にいるような錯覚に陥る視線。
「西浦さん。西浦さんの笑顔はすごく素敵だけど、今は無理に笑わなくていい。涙が出るって心が悲鳴をあげてるんだと思う。だから、今は泣きたいだけ泣いたらいいよ。時間気にしなくていいし、俺、向こうむいてるから」
「うっ……」
もうそこから涙が止まらなかった。さすがに学校の人が他にもいるかもしれないし、見られたくなかったから声を殺して泣いた。
どのくらい時間がたったのか分からないけど、たぶんこの涙は止めないと出続けてしまう。さすがに明日も期末テストがあるし、彼に迷惑がかかる。何度も深呼吸をして、どうにか涙を止めた。
「琉生くん。もう大丈夫。ありがとう、待っててくれて。帰るの遅くなってごめんね」
「あやまらなくていいよ。俺は全然大丈夫だから」
彼は私の方を見ようとしない。私の泣き顔を見ないようにしてくれているんだと思う。
こんな気遣ってくれる姿を見ると、もしかしたら朝、目が腫れてる、って言ってきたのは、デリカシーがないとかではなくて、私を心配して言ったのかもしれない。
電車に乗ってからも、家に帰るまでも、彼は一度も私の顔を見ることはなかった。
残された時間を知ってしまった私達は 七瀬乃 @nanaseno
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