第2話 黒嶋琉生:隣の彼女

「琉生〜 もう帰るの?」と言いながら、空岡陸人そらおかりくとが肩を組んできた。

「陸人。俺はお前と違って帰宅部だから。もう何もすることないから帰るよ。お前は部活あるだろ〜?」

 陸人に肩を揺らされながらも、俺は黙々と帰る準備をする。

 陸人はいつも俺を帰らせまいと引き止めてくる。

「部活まで時間あるし、遊ぼうぜ!」

 そう言われて時計を見ると、部活まであと五分しかなかった。

「時間ねぇだろ〜嘘つくな!」

 がははと豪快に笑う陸人。

「バレたか! 琉生と遊べなくて寂しいんだよ〜。お前が一緒にサッカー部入ってたらなぁ……って仕方ないよな。ドクターストップかかってるもんな……」

 ドクターストップなんてかかってないけど、そういうていにしている。

「まぁな……だから今度部活休みの日はお前といっぱい遊んであげる」

「マジ!? やった!」

 陸人が、子犬のように目を輝かせ、しっぽをふっているみたいに喜んでいる。

 その姿に俺はふっと笑い、「じゃあ帰るわ。部活頑張って」と言って教室を出た。


 グラウンドの前を通ると、サッカー部、野球部、陸上部がそれぞれ準備を始めている。

 先に準備を終えた野球部がランニングを始めた。低くて力強い掛け声が聞こえてきて、すぐに陸上部とサッカー部の掛け声も聞こえてきた。

 彼らの輝いている姿から視線を外し、入り混じった掛け声を聞きながら学校をあとにした。


 駅へ向かう道を一人で黙々と歩いていく。長い坂道を登り、次は坂道を下って住宅街を通っていく。パンの香りがしてくるとカフェアンドベーカリーが近づいているのが分かる。そこを通り過ぎて、パンの香りがしなくなったら、三車線の大通りが見えてくる。何台もの車が行き交うのを眺めながら信号待ちをして、大通りを渡るとやっと駅が見えてきた。

 朝は友達と話しながら歩くからか、あっという間に学校につく。でも、帰りは一人だから道のりが長く感じる。


 電車に乗って家の最寄駅についた。改札口を出ると突然風がふいて、思わず目をつぶった。目を開けると、少し前にいる見覚えのある後ろ姿が目にとまる。長くて艶やかでまっすぐな髪がなびいている。西浦さんだ。

 彼女もここが家の最寄り駅なのか、と思いながら家の方へ向かって歩いていると、どうやら彼女の家も同じ方向みたいだ。

 この道を通っているのは俺達二人だけ。なんだか俺が彼女のあとをつけているみたいで気まずい。少し歩くスピードを緩めると、彼女が突然振り返った。すぐ前を向いたが、再びこちらを向いた。

「あれ……? 琉生くん?」

 気づかれてしまった。

 俺は軽く手をあげ、歩くスピードを速めて彼女においついた。

「おっす……」

 彼女は屈託のない笑顔で「おっす!」と答えた。

「なんで琉生くんこんな所にいるの?」と大きな瞳で見つめてくる。

「俺ん家この近くなんだ」

 彼女は首を傾げている。

「え? 琉生くんってたしか隣町の中学出身だよね?」

 そういえば引っ越したこと陸人ぐらいにしか言ってなかったな。

「最近こっちに引っ越してきたんだ」

「そうだったんだ〜。ビックリ〜振り向いたら類生くんがいるんだもん」

「ごめん。俺は西浦さんのこと気づいてた。ははは……」

「え、声かけてくれたら良かったのに〜」と微笑みながら、彼女は帰る方向を指差して、こっち?と言うように首を傾げた。俺も同じ方向を指差し、一緒に歩き始めた。

「私達、家近いのかな?」

「同じ方向だから近いんだろうね」

「近いの嬉しいね!」と彼女は俺の顔を覗きこみながら言った。

 俺は少し視線を外しながら「うん……」と答えた。

 そんな俺を見て、微笑みながら歩いている彼女。

 彼女の笑顔はなんだろう……周りの人を幸せにする笑顔だ。彼女が笑えば、つらいことも吹き飛んで、この俺もつい笑ってしまう。

 彼女の笑顔を見つめながら足をとめた。

「あの。俺、ここのマンションに住んでるんだ。じゃあ」と言うと、彼女は目を見開いて「えっ? 私もだよ!」と言う。

「マジで?」

 思わず大きな声を出してしまった。

「琉生くん? 大丈夫? ビックリしすぎて固まってるよ! あはは」

 彼女が、口を大きく開けながら笑っているのを見て、我に返った。

「ごめん。ビックリしすぎた。ははは……」

「あはは! 本当ビックリだよね! まさか同じマンションだなんて」

 歩き出した彼女の後ろをついていく。

 彼女がカバンから鍵を取り出し、「私開けるね」とオートロックのドアを開けた。

 エレベーターに乗り込み、ボタンを押そうとすると彼女と指が触れ合った。

「ごめん」と思わず指を離した。

「琉生くんも二階なの?」

「えっ? 西浦さんも?」

「うん! そうだよ! 一緒〜! あはは」

 笑いながら彼女が二階のボタンを押した。

 エレベーターが動き出し、彼女が首を傾げながら俺の方を向いた。

「ん? 最近隣に引っ越してきたご夫婦が挨拶にきて、その息子さんが私と同い年おないどしだって言ってたんだけど……琉生くんのことだったの!?」

 彼女の話を聞いて思い出した。母さんがたしか、お隣の娘さんが同い年だって良かったね、と言っていた気がする。

「う、うん。たぶんそれ俺のことだわ……俺も同い年の娘さんがいるとは聞いてたんだけど、まさか西浦さんのことだとは……ははは」

 学校では同じクラスで隣の席。家まで隣になって、奇跡が起きたのかと思った。

 たぶん俺の口角は上がりっぱなしだ。喜びを隠しきれない。この顔で彼女の方を向けない。

 エレベーターが二階に到着して、彼女が先に降りて俺もあとに続く。

「これって奇跡? 運命?」

 彼女がそう言いながら、勢いよく振り向いた。

 彼女の大きな瞳が煌めいて微笑んでいる。

 俺は彼女から目が離せなくなり「うん」と大きく頷いた。

 家の前についた俺達は「また明日」と言って家に入った。


 次の日も、学校帰りに駅につくと、彼女が前を歩いていた。

「西浦さん!」

 彼女のもとへ駆け寄った。

「あっ琉生くん! 今日は声かけてくれたね」

 また屈託のない笑顔を俺に向けてくれる。

 この貴重な二人だけの時間、誰にも邪魔されない時間に、体が、心が、宙に浮くような感覚になる。

 明日も一緒に帰れたらいいな、とか思っていたら、いつの間にか俺達は一緒に帰ることが多くなっていた。駅の改札口を出ると彼女が前を歩いていて声をかけると、「帰ろう」と屈託のない笑顔で答えてくれる。

 なんでもない話を沢山して、俺のつまらない話に彼女は笑ってくれて、俺はそれだけで毎日が満たされた。何もない日々でいい、おれの人生どうでもいいと思っていたけど、彼女が俺のどうでもいい暗い毎日をどんどん明るくしてくれた。真っ暗な目の前がどんどん明るい色で埋めつくされていくように。


 でも、彼女の残された時間を知ってしまった俺は、愕然とした。

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