残された時間を知ってしまった私達は

七瀬乃

第1話 黒嶋琉生(くろしま るい):特別授業

「席についてー」

 教室に響く担任の野太い声。その声に反応して、急いで生徒達が自分の席へと移動を始めた。

 話し声がやみ、椅子を引く音が教室中に響いた。段々と教室の中は静かになり、風で揺れているカーテンのパタパタとする音だけが聞こえている。

「はい。それでは今から特別授業を始めます」

 カーテンのパタパタとする音をかき消すように担任が言った。


 特別授業。

 俺達の世代は、小学校高学年から特別授業が始まった。毎年同じ内容だ。高校二年生にもなれば聞き飽きた。


 風で揺れているカーテンがずっと気になって、頬杖をついて見る。カーテンから窓の外に視線を移すと、桜はとっくに散っていた。

 春の心地良い風が教室内に入り、眠気を誘ってくる。さすがに、うつらうつらしていると担任に怒られそうなので、必死に目を開いて眠気と戦う。

 ふと、横に目をやると、窓際に座っている西浦にしうらさんも頬杖をつき、外を眺めている。

 彼女の絹のような艶やかでまっすぐ伸びている長い髪がなびいている。なびく髪に光が反射して天使の輪ができ、彼女が本当の天使のように見える。

 彼女は上半身で風を感じ、たまに気持ちよさそうに目を瞑り、深呼吸をしている。

 俺もつられて目を瞑り、深呼吸をしてみる。目を開けると、彼女はまだ目を瞑って風を感じている。


黒嶋くろしま! 西浦にしうら!」


 俺と彼女の体がびくついた。俺達は、目を合わせ、担任の方に目をやった。

「二人とも話聞いてるかぁ? 命についての授業だ。毎年やってる授業だが、大事なことなんだ。しっかり聞くように」

 周りからクスクスと笑う声が聞こえる。

 横の席のやつが笑いながら、「なにやってんだよ」と小声で俺に向かって言ってきた。

 俺はそいつを睨んで「うるせぇ」と声には出さずに口を動かした。

 そのあとすぐに「すみません」と彼女と二人で先生に謝った。

 彼女と目が合い、俺に微笑んでいる。大きな目を細めて、優しい笑顔を俺に向けてくれる。彼女の笑顔は眩しい。春の日差しに照らされて、余計に眩しい。

 俺は、微笑んでいる彼女から視線を外し、少し笑った。


 それからは担任の話を真剣に聞いた。


 昔から、左右どちらかの手の平に、数字が現れる人がいたらしい。数字は自分にしか見えなくて、誰に言っても信じてもらえなかったそうだ。

 妄想や幻覚ではないかと医者にも言われ、自分はおかしいのではないかと悩んだ人がいたと記録にあるみたいだ。

 結局なんの数字か分からないままだったが、十五年くらい前から、世界中で手の平に数字が現れる人が多く確認され、医学界では研究が進められてきた。今では世界中の人ほぼ全員が手の平に数字が現れているらしい。


 その数字の正体は、寿だった。


 手の平に現れた数字は、hand numberハンドナンバーという名前らしい。どこかの医学の偉い人が名前をつけたんだろう。

 hand numberは、あと何年、生きられるのかを示している。

 80と手の平に現れていれば、あと80生きることができる。

 命の期限が分かる。手の平で命のカウントダウンが始まる。


 hand numberについては毎年聞いているから、もう聞かなくてもいいんだけどな、と思いながら、俺は自分の手の平を見つめた。

 なんでこんな時代に生まれてきてしまったのだろう。あと何年、生きることができるなんて知らないほうが幸せなんじゃないか。


「もう一度、現時点で分かっていることをまとめて言うぞ」

 担任が声を大にして言う。


「数字が現れる年齢は十三歳〜二十歳の間。

 数字が現れない人もいる。

 数字は自分にしか見えない。

 数字は寿命を示している」


 担任が大きく息を吸い込んだ。

「いいかー! 最後に……今から言うことは一番大事なことだ! よく聞くんだぞ!」

 担任が、さっきよりも大きな声を出す。


「手の平の数字は、決して口にしてはいけない」


「もう一度言うぞ。自分の手の平の数字を口にしてはいけない。数字を誰かに教えてはいけない。それと、日時も言ってはいけない。何年何月何日何時に死ぬ、ということは言わないように。ふざけて試しに言ってみるとかは絶対にやめなさい。、命が縮まる。生きる時間が五年減る。生きる時間が削られるんだ。絶対に言わないこと」

 ある医者が、自分の手の平に現れた数字は″90″だと友人に伝えると、すぐに数字が″85″まで減ってしまったらしい。そのことを公表したところ、それを機に、自分も数字を口にした瞬間、数字が5減ってしまったと言う人が何人も現れたと。

 それから、世界中で数字は口にしないようにと注意喚起しているみたいだ。


「今現在hand numberについて分かっていることはこれくらいだ。まだまだ分からないことのほうが多い。また来年特別授業がある。その時には新しい情報も入っているかもしれないから、来年もしっかり聞くように」

 担任が手元の資料を閉じ、顔を上げ、生徒達を見渡した。

「よしっ、みんなしっかり話聞けたな。……黒嶋と西浦はあやしかったがなぁ」

 担任がそう言うと、周りからクスクスと笑いが起きた。

 みんなが俺と西浦さんに注目している。俺は視線に耐えられず、下を向いた。

「はーい、じゃあ特別授業終わり。残りの時間は自習で」

 

 自習と言ったが、みんなはペラペラとしゃべって自習なんてする気がなさそう。もちろん俺も。

 西浦さんのほうを見ると、また目が合って俺に微笑みながら「注意されちゃったね」と言った。


 彼女と話すのは久しぶりだった。


 高校一年生の時も同じクラスだったけど、話すのは用事がある時だけ。隣の席になったのは今回が初めてで、話しかけようとしたことは何度もあった。でも、休み時間になると彼女の周りには常に人がいて話しかけづらいので、二年生になってからは全然話してない。


 彼女と久しぶりに話すと思うと、手の平にじんわりと汗が出る。彼女の大きな瞳を見つめながら会話するのは、心臓がもたない。

 俺は少し視線を外しながら、話し始めた。

「うん。名前呼ばれた瞬間ビビった」

「だよね〜体がビクってなった! 琉生るいくんもビクってなってたよね? ふふふ」

 西浦さんが口を手で押さえながら笑っている。

 彼女はいつも笑って楽しそうで、怒った顔も、悲しそうな顔も見たことがない。

 そんな彼女を見ていると、俺も口元が緩む。

「うん。なった。恥ずかしい」

「私も恥ずかしかったけど、琉生くんもビクってなってて、仲間がいて良かったぁって思って、恥ずかしさ吹き飛んだよ!」

「それは良かった」

 彼女が俺に笑いかけてくれる。琉生くん、と呼んでくれる。それだけで、俺の心が満たされる感覚になる。


 前から思っていた。

 彼女は他の男子に対しては、上の名前で呼ぶのに、なぜか俺にだけ下の名前で呼ぶ。

 

 たしか、高校一年生になって一ヶ月が過ぎた頃、その日西浦さんは日直で、ノートを集めて職員室に持って行くみたいだった。

 ノートを集めている彼女の所に行って、ノートを差し出した。

「はい。お願いします」

 すると彼女はノートを凝視して「る…い…くん」と突然名前を言った。

「はい。琉生です……」

 そう俺が答えると、彼女はパッと顔を上げ、俺を見つめた。

 彼女の大きな瞳が俺をとらえて離してくれなかった。

「あっ、琉生くんね。ありがとう」と言って彼女が微笑んだ。

 これが彼女と初めて言葉を交わして、初めて名前を呼ばれた時だった。

 大きな瞳で見つめられながら名前を呼ばれたことが印象的で、鮮明に覚えている。


「あのさぁ」

「ん?」

 彼女が首を傾げて、大きな瞳で見つめてくる。

 俺はまた、少し視線を外して話を続けた。

「前から思ってたんだけど……なんで俺のこと下のな……」

 俺が西浦さんに疑問をぶつけようとした時、いきなり目の前に顔が現れた。思わずのけぞって、息を止めた。

「ちょっと! 黒嶋! 愛生めいのこと独り占めしないでよ!」

 斉藤陽菜さいとうひなだ。

 たぶん西浦さんの一番仲が良い友達で、彼女と一緒にいることが多い。

「別に独り占めしてないって……」

「愛生はみんなの愛生なんだからね!」

 たしかに彼女は、みんなの愛生って感じの存在で、彼女の周りには常に人がいる。男女どちらからも人気で、今まで俺の入る隙はなかった。

「……はいはい。俺、西浦さんと喋るの久々だったんだけど……」

「えっ? そうなの? ごめん邪魔して〜ははは」

「はぁ〜わざとだろ?」

 西浦さんが、困った顔をしながら微笑んでいる。

「あっ! ちょっとトイレ行ってくる! 愛生も行く?」

「ううん。行かない」

「そっか! じゃあ黒嶋ごゆっくり〜」

 斉藤が、ニカっと歯を見せながら笑って去って行った。

「あいつ忙しいな」

「あはは! そうだね〜忙しい陽菜見てると元気が出るんだ。それに明るくて一緒にいて楽しいの」

 彼女が今日一番の笑顔を見せた。斉藤のことが大好きだと言わんばかりの笑顔だ。

 その笑顔につられて、俺の口元も緩んでしまう。

「うん。たしかにあいつ明るいよな」

「そうなの〜それに優しいの。いつも私の所に来てくれる。陽菜だけじゃなくて、クラスのみんな優しいから私に話かけてくれる」

「みんなが優しいだけじゃないよ。西浦さんといるとみんな楽しいから話かけるんだよ。人気者だね」

「そんなことないよ……」

 彼女は、また困ったような顔をして微笑み、首を横に振った。


「愛生ちゃーん! 昨日のドラマ見た?」

 次はクラスメイトが彼女のもとにやってきた。

 ほら、彼女は人気者だ。彼女のもとにひっきりなしに人が寄ってくる。いつも彼女の周りには誰かがいて、彼女が一人でいることはほとんどない。

 彼女のことを嫌いな人はいないし、むしろ人気すぎる。

 俺みたいに彼女と話したくても話せない男子はいっぱいいる。今日話せたのも奇跡だ。


 彼女はクラスメイトの話を聞きながら、俺の方を見た。両手を合わせて、ごめんね、と声を出さずに口を動かし、申し訳ない表情で頭を下げた。


 彼女はクラスメイトの方に視線を戻し、頷きながら話を聞いて、笑顔を絶やさない。

 彼女の魅力にみんなやられている。

 本当に天使のようだ。

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