3 ひょっとこの人

 山中に絶叫を響かせながら駆け抜ける少女がいる。

 もちろんルコである。


「いぃやああぁぁぁーー!!」


 その速さは、彼女がまともに学校に通っていれば運動部が放っておかないものだった。

 インターハイ記録を余裕で更新できそうな勢いのルコがピタっと止まった。かと思えば、突然倒れ、その場で地面を転がりまわる。


「ウソでしょ、ウソでしょ、きもい、きもい、きもい、きもい、きもいっひぃいぃぃー、ありえない、ありえない、ありえない、うぎゃー……」


 そしてまたピタリと止まると寝ころんだまま動かない。


「うぅ……びっくりした……。あれはないよ、うん、あれはない。なんすかあれ? あんなでかい虫いる? え? あれ虫?」


 むくりと起き上るが、まだ体に他の虫がいるかもと思い、慌てて全身を確認する。

 あの奇妙な虫? がいないとわかりホッと息を吐く。


「あれ虫じゃないよね……んだよ十字架も数珠も何の役にも立ってないじゃん。クソ佐久間!! 佐久間クソッ!!」


 リュックから取り出したペットボトルを口に含み、水を流し込む。オーバーヒート気味の体が冷やされる感覚でひと息ついた。

 とっとと目的を果たして下山しようと決意し、歩き出そうとしたルコは、何者かの気配を感じとって周囲を警戒する。

 それは、山道脇の藪に佇んでいた。

 それと目が合い、ルコは思わず「うひっ」と声を出してしまう。


(え? あれって何だっけ? お祭りのお面……ひょ? ひょ?…… あ! ひょっとこだっけ? 確か……で、何ではすに構えてこっち見てんの? 馬鹿にしてんの?)


 ルコの前方の藪に、いつの間にか現れた“ひょっとこ”のお面をつけた男は、江戸時代の岡っ引きのような服装で、腕を組み斜に構えてこちらをジッと見ていた。


(何だろう……すごく、すごくムカつくわ。あのポーズ)


 同じく腕を組み、ヤンキーばりのやんのか睨みを返すルコ。

 互いに譲れない何かを賭けてにらみ合う時間が過ぎてゆく。

 ルコとひょっとこの間を2匹のモンシロチョウが仲睦まじく通り過ぎる。


「ちっ!」


 ルコは大きく舌打ちし、相手を睨んだままリュックを拾い歩き出そうとするが、斜に構えたポーズを維持しながらその進路を塞ぐように移動する。


「ちょっと……何すか?」


 目の前に立ち塞がるひょっとこに不機嫌な声をぶつけるが、動じることなく無言のままだった。右に行けば右に、左に行けば左に通せんぼする。

 不気味な山道で無言カバディをしばらく繰り返したのち、業を煮やしたのはルコの方だった。


「あのさぁ!! 邪魔!! なんだけど。どいてくんないかな」


 ルコの一喝にビクンと反応したひょっとこは、わなわなと震えだす。

 そしてルコを指差し、くぐもった機械音のような声を発した。


『……山ヲ下リロ』


 勝手に裏声で喋るキャラを想定していたルコは、フィルターがかかったようなしゃがれ声に思考が一時停止し、間抜けな返事をしてしまう。


「……え?」


『ダ、ダカラ、山ヲ下リロ』


「あ……えっと……無理っす。仕事あるんで……」


 あれだけ雇い主を悪く言うルコであったが、仕事は真面目に取り組むのだった。

 しかし、その思いはひょっとこには通じなかったようで、パキパキと奇妙な音を立てながら両手を広げ、通せんぼする。


『ココハ……ア、アブナ、イ……キ、キケン』


 ここにきてようやく、「あれ? こいつ人間じゃないかも」と思い始めたルコは、いつでも殴れるように拳に力を溜めながら口を開いた。


「どいてくんないかな? じゃないと、力ずくになるけど?」


 勝気な目を細め、戦闘態勢をとるルコを見たひょっとこはため息を吐き、


『シ、仕方ナイ……オデ、モ力ズク』


 ひょっとこの肩口に巨大なナナフシに似た虫が現れた。つい先ほど、ルコを恐怖のどん底に追いやったアイツであった。


「お、お前かーっ!! そのキモ虫けしかけたの……ぜってぇ許さねぇ」


 巨大ナナフシを見て怒りに火が付いたルコの両拳に薄い光が膜のように現れる。これがルコの力、幽霊を絶対にぶっ飛ばす光だった。以前、佐久間はそれを聞いて鼻で笑った。

 だが、幽霊を絶対にぶっ飛ばす光をまとった拳をひょっとこに叩き込もうとする前に、巨大ナナフシが大口を開けて叫ぶ。


『ミョーン!! ミョン、ミョン』


「はあ?」


 気勢をそがれ、いったん止まってしまったルコは、それが何かを呼ぶ声だと気づくには遅すぎた。ひょっとこの周囲の地面が盛り上がると、そこから大型犬サイズの“蟻”が現れルコを囲む。


 その数6匹。


 流石に大型犬サイズの蟻が本物のように無数に這い出てこられると太刀打ちできないが、6匹でも脅威だ。しかも見た目が昆虫の蟻よりグロかった。

 蟻は半透明の緑色で、外皮がジェルのように滴っている。そしてそのジェルった脚の先端は人間の手であった。

 そんな蟻が、ルコを見ると子供のような声で「お姉ちゃん」と口々に呼びかけながら殺到してくる。


「ちょっとぉぉぉー、どこのクトゥルフぅぅぅー!?」


 ルコは藪に飛び込み全力で逃げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る