7話 シチュエーション

「――おかえり。野々咲さんとのお昼は楽しかった?」


 希海との楽しい昼食を終えた朝人が教室に戻ると、そこには不満そうな顔をした瑠璃が待ち構えていた。

 心なしかどこか言葉に棘がある。


「えっと、ま、まぁ楽しかった、かな?」

「……そう。それは良かったわね」

「う、うん……」


 昨日話しかけられた時、去り際に軽く挨拶をしていたはずだが、ひょっとして希海と瑠璃は仲が悪いのだろうか。

 そんな想像をしながらも、流石に今この状況でそれを聞く勇気はなかった。

 いや、仮に仲が悪かったとして、朝人が誰と行動を共にしようが瑠璃にとっては本来どうでもいいはず。

 もしそれを気にしているのだとするならば、瑠璃は朝人に対して特別な感情を抱いている可能性が浮かび上がる。


(ひょっとして両想い――って、何浮かれてるんだ俺は)


 安易に自分に都合のいい妄想をしてしまうのは、自分の悪い癖なのだろう。

 だけどもし、瑠璃が自分のことを想ってくれているのならば最高だ。

 ああ、相手の本心を知る方法があったらいいのにな、とこの時ばかりは思った。


 ♢♢♢


 結局、放課後になっても瑠璃の機嫌は直らなかった。

 最低限の受け答えはしてくれるのだが、瑠璃の放つ不機嫌オーラで話を続けることが出来なかったのだ。

 これは今日も帰りを誘うのは難しいだろうと判断した朝人は、半ば逃げるようにある場所へと足を運んだ。


「こんにちは、月白先輩」

「やあ、こんにちは、赤嶺くん。今日も来てくれたのか」

「はい。その、お邪魔でなければいいんですか」

「ふふっ、生憎とここは私の私室ではない。一人を好むならば部室に籠っているさ」


 やや遠回しな言い方だが、図書室ここにいても構わないという好意的な答えだろうと受け取った。

 昨日と同様受付カウンターの中で腰をかけて何かの本を読んでいる。

 だが朝人が昨日教えてもらった読書スペースに足を運ぶと、それを追うようについてきて昨日と同じ対面に座る形で再び本を開いた。


「それで、今日はどんな本を読むのかな?」

「あ、いえ、特に決めてきたってわけではないんですが……」

「ふむ……なら今日もよければひとつ相談に乗ってくれないかな?」

「ええ、もちろんです」


 ここに来た目的はまだ家に帰りたくなかったのと、紡姫に会いに来たというものなので、こうして話ができるなら願ったり叶ったりだ。

 せっかく親しくなれそうな先輩を見つけたのだから積極的に交流しておくべきだろう。

 それが建前。そして本音はもちろん、こんな美人と二人っきりで話せる機会逃すのは勿体なさすぎるだろう、という助平心からだ。


「今日も例の恋愛小説についての相談ですか?」

「そうだね。もうまもなく最も盛り上がるであろう告白シーンに突入するわけだが、その手法に困っているんだ」

「告白の仕方、ってことですか」

「セリフも含めて、だね。ただ単に付き合ってください、恋人になってください、では華がない。何かこう、女の子の心を大きく揺らすような決め台詞が欲しいんだ」

「なるほど……」


  これはまた回答に困る難題だ。

 生憎と朝人は生まれてこの方告白などというものをしたことがない。

 創作作品に出てくるベタなセリフならいくらか浮かんでくるが、それが女の子に響くかどうかなど分かるわけがない。

 そもそも男である朝人に女の子の気持ちなどわかるわけもないのだが。


(そんなのが簡単に分かったら瑠璃さんともっと上手くやれてるだろうし……)


 そんなことを思いながら紡姫の方を見てみると、顎に手を当てて何かを考えていたかと思えば、本をパタリと閉じてこちらを見た。


「……ならこういうのはどうだろう。私をヒロインに、君を主人公に見立て、私がいくつか用意した告白パターンを再現する。そして私の心が最も動いたものを採用する」

「ええっ……再現って、俺がやるんですか!?」

「ちょうど歳の近い男女が二人いるんだ。実際に試してみた方が、描写にもより一層磨きがかかるだろう。単純に私に興味があるというのもある。それとも……」


 わざとらしくどこか悲しそうな表情をする紡姫。


「相手がわたしでは……嫌かな?」

「――ッッ!!」

 

 不覚にもドキッとしてしまった朝人。

 もうそのセリフでいいんじゃないかとすら思ったが、これは紡姫の容姿の良さと朝人の癖が噛み合ってこそ成り立つもの。

 クールでミステリアスな年上の美女がデレるシチュエーションは朝人に深く刺さってしまった。


「……分かりました。演技が下手でも怒らないでくださいね?」

「もちろんだ。ありがとう、赤嶺くん」


 一転して笑顔を浮かべる紡姫。

 逆に相手が自分でいいのだろうかと思ったが、あんなセリフを吐くくらいなのだから、紡姫的にはきっと朝人はな方なのだろう。

 紡姫は嬉々として告白のシチュエーションが記されたメモを手渡して来た。


(ちょっと待て、ここまでするの……?)


 中には目を疑うようなものがあったのだが、紡姫の方を見ると早く実践してくれと言わんばかりの顔でこちらを待っている。

 仕方がないので、まずは最もダメージが少なそうなものから実践してみてある程度のところで満足してもらうことにしよう。

 朝人はどれを選んだのかを紡姫に告げ、そのシーンに最も近しい位置に着いた。


 紡姫は壁側に、朝人はその前に立つ。

 そしてここで主人公がヒロインに対する思いを告げ、ヒロインはどう答えて良いか困惑する流れだ。

 だが具体的なセリフはメモに書かれていなかったので、大部分は省略だ。


「……だから、俺と付き合って欲しい」

「――ッ、で、でも私は……」


 ヒロインはとても自己肯定感が低い設定だ。

 欠点だらけで、自分なんかでは主人公の足を引っ張ってしまうと思い、素直にその想いを受け入れられない。

 だからこそ、さらなる一手が必要となる。


「――ひゃっ!?」


 壁に右手を置き、閉じ込めるように体をぐいっと寄せる。

 そして間左手で顎に軽く触れ、囁くように告げる。


「俺はお前がいないとダメなんだ……頷くまで、離さないぞ」

「――――ッッッ!!?」


 これは所謂壁ドンと言うやつだ。

 いきなりコレかよと思われるかもしれないが、紡姫のメモにあったものだとこれが一番マシだったのだ。

 何をやってるんだろう俺、と自己嫌悪に陥りそうになったが、改めて紡姫の顔を見ると、顔が真っ赤に染まっていて明らかに動揺しているのが分かった。


「あの、えっと、あぅ……」


(……あれ?)


 これって演技……なんだよな?

 そんな疑問を抱きながら壁ドンを解除して見ると、足元をモジモジしながら、その豊満な胸に手を当てて荒くなった呼吸を整えようとしている紡姫がいた。


「あの……月白先輩?」

「ひゃうっ!? な、なんでもないっ! なんでもないから……」

「いや、なんでもないってことはないでしょう……」


 もしかして、紡姫は恋愛に関しての経験がなさすぎて、とてつもなく初心うぶな女の子だったのだろうか。

 あんな三文芝居でここまで心を乱すとは思わなかった朝人は、かえって冷静な状態で紡姫が落ち着くのを待った。

 しばらくして、ようやく呼吸が落ち着いたのを確認して二人は元の位置に座った。


「す、すまない……キミの演技が上手すぎてつい動揺してしまった。恥ずかしいところを見せてしまったな」

「えっとまあ、お役に立ったなら良かったですけど……」

「改めて聞くが、本当にキミは告白の経験とかはないのか? 初めてとは思えなかったんだが……」

「ありませんよ。昔ドラマとかで見たのを再現しただけです」

「そ、そうか……」


 心なしか、少し安堵しているような様子の紡姫だが、ここまで演技を絶賛されるとむず痒い気持ちになる。

 もしかしたら才能があるのかもしれないと勘違いしてしまいそうになるが、もしこれを他の人にやったら間違いなくキモがられるのでやめておいたほうがいいだろう。

 あくまで紡姫がこう言ったものに耐性がないと言うだけだ。


「……ところで月白先輩。本当に他のもやるんですか? 中には強引に唇を奪ってそれから……みたいなのもありますけど」

「唇を……む、無理だ! そんなの耐えられるわけがない……も、もう一度考え直す!」


 そのシチュエーションを想像したのか、再び顔が真っ赤に染まる紡姫。

 メモしてる段階でそこまで想像力が至らなかったのは何故なのかと疑問符が浮かぶが、どうやらやらずに済みそうなので朝人としても一安心だ。


(と言うか会って2日目の男にキスまで許容するとか、あり得ないだろ普通……)


 普段は取材のためならば自分の体を使うのもいとわないと言うスタイルなのかもしれないが、いざやって見ると思った以上にキツいものがあったのだろう。

 まあ、これほどまでに取り乱した紡姫を見ることができただけでも、恥を覚悟でやった甲斐があったと言うもの。

 結局次のシチュエーションを実行することはなく、紡姫が一度心を落ち着けるために部室に戻ると言った段階で朝人も帰宅することにした。

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