6話 お誘い

 小学生のころ、朝人は引っ越してきたばかりの叶枝町で初めての転校を経験した。

 6年生での転校だ。当然、入学から6年も経てば誰しもがクラス内外問わず同級生の顔を一度は見ているし、仲良しグループも既に強固なものになっている。

 そんな状況で、突然やってきたよそ者がきちんと馴染めるはずもなく、朝人はクラスの中で明らかに浮いていた。

 今になって思えば、朝人がクラスメイトとの距離感を測れないだけではなく、きっとクラスメイト側も朝人との距離感を測りかねていたのだろう。

 だけど、そんなのは当時11歳の少年に理解できるはずもなく、居心地の悪さに耐えながら日々を過ごしていた。


「――ねえ、赤嶺くん」

「ん……なに?」

「それ、赤嶺君だけの仕事じゃないよね? 他の人は?」

「あー……なんか大事な用事あるからって先に帰っちゃったよ」


 だけど、それでも朝人は少しでも距離を縮めようと思い、みんなが嫌がるような仕事を積極的にやるようになった。

 この日は、明日の朝集会のための会場づくりだ。机やいすを動かして場所を確保するだけの単純作業だが、朝人以外の2人は仕事を放棄して帰ってしまった。

 やらなければもちろん3人まとめて連帯責任で先生に怒られるのだが、彼らは知っていたのだ。朝人は仕事を途中で放り出して帰るような人間ではないと。

 そう。結果として、朝人は周囲の人間からそれなりに頼られるようになったが、それはただの”使い勝手のいいパシり”としてであって、決して”友達”として、ではない。


「……なんで、引き留めなかったの?」

「うーん……まぁ、これくらいなら僕一人でもできなくはないし、大事な用事なら仕方ないから」

「多分、その子たちどっかで遊んでるよ? わたし、前に見たことあるもん」

「……それでもいいよ。大事な友達との約束だったかもしれないし」


 ある時、クラスメイトの女の子の一人が、一人作業に勤しむ朝人に声をかけた。

 彼女はクラスカーストの中でも恐らく最上位に位置する、とても人気の高い容姿の優れた女の子だった。

 そんな彼女が、こんなクラスカースト最下位の男に何の用なのだろうかと疑問を抱きながらも、朝人は手を止めることなく机を運んでいた。

 彼女は少しの間黙ってその様子を眺めていたのだが、やがて自らも机を手に取り運ぶのを手伝い始めた。


「――えっ?」

「手伝ってあげる。このままだと帰るのかなり遅くなっちゃうでしょ?」

「……いいの?」

「わたし、人に仕事押し付けるタイプの人、嫌いだから。ほら、早くやっちゃおうよ」

「う、うん……」


 それが多分、とのはじまり。

 クラス内に誰も味方が居なかった朝人に、はじめて手を差し伸べてくれた人。

 彼女の名前は確か――


 ♢♢♢


 授業終了のチャイムが鳴ると同時に、いたるところから声が上がり始める。

 それを聞いた先生が、若干不満そうに急ぎ足で話を畳んで、教室から出ていった。 

 それと同時に、一気にクラス内は昼休みモードへと突入した。


「ふあぁっ……ようやく終わったぁ……」

「ずっと眠そうにしてたよね、朝人。寝不足?」

「ん……そうでもない、と思う。早起きはしたけど」

「そか。昼はどうするんだ?」

「せっかく場所教えてもらったからまた屋上で食べようかなって思ってる。遥輝も行く?」

「悪い、オレはちょっと部活関連で用事があるから今日はいけない」

「そか。じゃ、また今度だな」

「おう」


 そう言って手早く準備を終えた遥輝が教室の外へと出ていった。

 さて、いつも通り菓子パンとペットボトルを持って自分も行くかと立ち上がると、いつも通り何人かの生徒に囲まれている瑠璃の姿が目に入った。

 相変わらず人気だなぁと思いながらも、何故か彼女の意識がこちらに向いているような気がして、背中がむず痒くなった。

 そして、ドアに手をかけようとすると、その前にドアがスライドした。


「あっ、赤嶺くん! ちょうど良かった!」

「あれっ、確か……野々咲さん。俺に何か用事があったの?」

「うん! もし用事とかなかったらお昼ごはん一緒にどうかなって!」

「えっ、ま、まぁ、特にやることもないしいいけど、そのためにわざわざ来てくれたのか?」

「うん、そうだよ?」


 さも当然かのように言い放ったオレンジ髪の美少女、野々咲希海は、丁寧に包まれた弁当箱を朝人に見せた。

 昨日再会したばかりだというのにこの行動力、いったい何が彼女を焚きつけたのだろうか。

 記憶を辿る限りでは、朝人と希海はそれなりに仲良くやれていたと思うが、特別親しい関係ではなかったはず。


「とりあえずいこ!」

「っと、分かった分かった」


 あれこれ考えているうちに希海が朝人の手を取り、やや強引に教室の外まで連れ出した。

 だが、その時ちらりと見えた瑠璃の視線が恐ろしく鋭かったのは、何故なのだろうか。

 

 ♢♢♢


「はい到着! ここ、静かでいいんだよ!」

「へぇ、こんな場所もあるんだね」

 

 希海が案内してくれた場所は、校舎の右奥にあるベンチの一つ。

 所謂”憩いの場”として開放されている、緑に包まれた落ち着く空間だった。

 本当は中庭のベンチを使おうと思っていたらしいが、そこは既に先客がいたためこの場所になったらしい。

 だが、朝人としては中庭のような目立つ場所で希海のような美少女と二人きりで昼食を取っていたら、あらぬ勘違いをされそうだったので結果オーライだと思っていた。


「さ、食べよ!」

「そうだね」


 希海がそう言って包みをほどくと、中からは意外と大きめな弁当箱が出てきた。

 しかもその上にはラップに包まれたおにぎりが三つも乗っかっている。

 かなり細身のはずなのだが、実は結構な大食いなのだろうか。

 そんな事を考えながら、朝人は昨日と同じ菓子パンの封を切った。


「って、朝人くん。お昼それだけなの?」

「うん、そうだけど」

「えーっ、それだけじゃ元気でないよ! 午後頑張れないよー!」

「そんなことは無いと思うけど……」

「今日はちょっとおかず作りすぎちゃったから少し分けてあげる! 好きなの食べていいよ!」

「いいのか?」

「うんっ!」


 希海の手によって大きな弁当箱のふたが開かれ、中身があらわになる。

 そこには空揚げや卵焼き、ウインナー、その他冷凍食品らしきものがぎっしり詰まっていた。

 これだけの種類のおかずを朝から用意するのは大変だろう、と、料理の手間を知っている朝人は思った。

 もしかして朝人のためにわざと多めに作ってきたのだろうか。

 それが思い上がりでなければ、誘いを断らなくて良かったと思った。


 朝人に割りばしを差し出し、ニコニコと笑みを浮かべながら、朝人が何を選ぶのかを待っている希海。

 そのような視線を向けられてしまっては断るのも失礼というもの。

 朝人は割りばしを割って、一口サイズに切り分けられた卵焼きをつまんだ。


「――んっ!」


 ただ見た目がきれいなだけではない。

 ふんわりとした焼き上がり、そして絶妙な味付けがなされただし巻き卵だ。

 料理人の和食の腕は卵焼きを食えば分かるという言葉を聞いたことがあるが、それを信じるのならば、希海は相当な料理上手と考えられる。


「どうかな……?」

「美味い。お世辞じゃなく、マジで」

「ほんと! やったぁ! まだまだあるからもう一個食べていいよ!」

「ありがとう」


 満面の笑みを浮かべて喜ぶ希海を見て、もっと気の利いたコメントを言えたんじゃないかと思ってしまう朝人。

 だが、本当に美味いものを食ったときに出る言葉はこんなものなのだろう。

 もう一個食べても良いと許しが出たので、遠慮なくそれを口に運ぶ。

 これに合わせる主食が、甘い菓子パンであることを後悔するレベルで美味しい。

 こんなことならば自分もおにぎりを買っておけば良かった。

 

 朝人が美味しそうに食べている様子を満足そうに見ていた希海も、自らが作った出し巻き卵を口に入れ、頷いた。

 自分でも満足のいく出来だったのだろう。それからラップを剥がして大きなおにぎりにかぶりついた。

 見ていて気持ちのいいほどの食べっぷりだ。朝人が他のおかずを少しずつつまんでいる間に、気づけばおにぎり3つが全部なくなっていた。

 パンの味をかき消すようにお茶を飲みながらの食事だったので朝人のペースが遅かったのは事実であるが、それでもかなりのペースだ。


「ふー、美味しかったぁ……赤嶺くんも満足してもらえたかな?」

「うん。どれもクオリティが高くて正直驚いたよ。野々咲さんって料理上手だったんだね」

「えへへー、そう言ってくれると嬉しいなぁ」


 照れながら髪を掻く仕草をする希海。

 瑠璃とはだいぶ毛色が違うが、彼女も別次元の美少女であり、特別朝人の癖に刺さる見た目という訳ではないにも拘らず素直に”かわいい”と思わせる魅力がある。

 何より根が明るいので、一緒にいて楽しいタイプの人間であることは肌で感じていた。


「赤嶺くんっていつもそういう感じのお昼食べてるの?」

「基本的にはそうかな。たまーに作ってくることもなくはないけど」

「だったら今度はもっと多めにお弁当作ってくるから、その時はまた一緒に食べようよ!」

「そ、そこまでしてもらうのはなんか悪いような……」 

「ううん、私がやりたいからやるだけだから。あっ、そうだ。連絡先交換しようよ!」


 そう言って希海はスマホを取り出して、メッセージアプリを起動した。

 電話番号やメールアドレスよりも先にメッセージアプリが出てくるのは、やはり現代ならではなのだろう。


「小学生の時はお互いスマホなんて持ってなかったからね。中学も別々だったし」

「そ、そうだね。とりあえず登録させてもらったよ」

「うん! ありがと!」


 段々と、朝人の脳裏にぼんやりとした記憶が蘇ってくる。

 希海は小学生の時、唯一対等に話せる女の子だった。

 放課後に一緒に遊んだりするような仲ではなかったが、学校の中ではそれなりに会話をする方、だったと思う。

 こうして今朝人のことを良くしてくれているのは、そのよしみなのか、それとも別の思惑があるのか。

 

 食事を終えた二人は、小学校卒業後のお互いが知らない期間についての話で盛り上がった。

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