3話 放課後の図書室

 なんとか午後の授業を乗り切り、ようやく訪れた開放の時間。

 立ち上がって大きく伸びをすると、脳が溶けてしまいそうな感覚に陥りながらも体が喜んでいるのを感じた。


「転校初日お疲れ様、朝人。この後はどうするんだ? 直帰?」

「いや、一つ用事があるからそれを済ませてから帰る予定だ。遥輝は?」

「オレは普通に部活だよ。ちなみにサッカー部な」

「すげーイメージ通りだ」

「それどういう意味だよ。運動バカに見えるってか?」

「まさか。褒め言葉だよ」


 そんな言葉を交わしながら、部活へと向かった遥輝を見送った朝人は、荷物をまとめて席を立つ。

 するともう帰る準備が整っていそうなのに未だ座ったままの瑠璃の存在に気づいた。


「えっと、瑠璃さんはまだ帰らない感じ、かな?」

「べっ、別にあなたを待ってたわけじゃないから! その、まだやること残ってるだけだから……」

「そ、そうなんだ……」


 自分を待っていたのかどうかなんて聞いてはいないのだが、朝人を勘違いさせないために言ってくれたのかもしれない。

 あわよくば学校を案内してもらって、そのまま一緒に帰れたらいいななどと考えていたのだが、用事があるならば致し方ない。

 朝人もできれば今日のうちに寄って行きたい場所があったので、今回は諦めることにした。


「それじゃ、瑠璃さん。今日はありがとう。また明日ね」

「えっ……あっ、うん……また、明日ね。朝人くん」


 瑠璃は何故かちょっと驚いた顔をしたかと思えば少し寂しそうな表情で、教室を出ていく朝人を見送った。

 扉を閉める直前、後ろから大きなため息が聞こえた気がするが、きっと自分には関係のないことだろうと頭の様に追いやり、朝人は目的の場所を探して歩き始めた。


「はぁぁ……結局言えなかった……一緒に帰りたかったけどそれも言えなかった……」


 普段よりも1オクターブ低い鬱屈とした声は、誰の耳にも届くことはなかった。


 ♢♢♢


「ーーやっと見つけた!」


 朝人が訪れてたのは、別館4階の一番奥の部屋。

 あらゆる書物が無料で読み放題かつ静かで誰にも邪魔されず自分の世界に浸れる、時間潰しに最も適した環境が魅力の場所――図書室だ。

 朝人は転校先の場所でまず図書室を見つけ、使い方を確認しておくことが習慣になっていた。

 人間関係の構築に苦労してきた朝人は、こうして早い段階から学園内に逃げ場所を確保しておくことで、これまでの学生生活をなんとかやり過ごしてきたのだ。


(ま、元々本読むのは好きだから、仕方なくって訳じゃないんだけどさ)


 誰に言い訳するわけでもないのに心の中でそんな呟きをしながら、ドアをゆっくりとスライドさせる。

 中に入ると思ったよりも広い、静かな空間が朝人を出迎えた。

 まず目に入った受付カウンターには司書教諭の先生が――いなかった。


「……おや、珍しい。初めて見る顔だ」


 代わりに腰まで届く鮮やかな紫色の髪が特徴的な女子生徒が腰をかけて本を読んでいた。

 彼女はこちらに気づくと、本をパタリと閉じ、じっくりと観察するように視線を泳がせた。


(くっっっそ美人だ……しかも俺が2番目に好きな、知的なお姉さんタイプ……!)


 緊張して思わずよこしまな考えが脳裏によぎるが、慌てて首を振って邪念を振り払う。

 その女子生徒はひと通り観察をし終えると、ふむ、と頷いてから立ち上がってこちらに寄ってきた。


「やあ、はじめまして。わたしは3年の月白紡姫つきしろつむぎという。よければ君の名前も教えてくれないか」

「あっ、はい! えっと2年の赤嶺朝人です。今日転校してきたばかりですが、よろしくお願いします先輩」

「ふむ……転校生だったのか。しかし初日の放課後にわざわざこの図書室に訪れるとは珍しい。好きなのかい、本」

「は、はい……一応前の学校でも結構通ってたもので……」 

「そうかそうか。この学校でこの時間にここを訪れる物好きは滅多にいないから嬉しいよ。ゆっくりしていくといい」


 そう答えると、紡姫と名乗った先輩は、少し嬉しそうに笑みを浮かべながら歓迎の意思を示した。

 そして朝人に図書室の利用方法を教えながら、どこにどのような本があるのかを案内してくれることになった。


「この時間は基本的に学生が寄り付かないから、わたしが先生に変わってここを管理しているんだ」

「そうなんですか。凄いですね」

「別に凄くはないさ。わたしの所属する部活が、ここの隣に部室を構える文芸部でね。残念ながら所属部員がわたししかいないものだから、こうしてここで手伝いも兼ねて本を読みながら細々と活動しているという訳さ」

「そうだったんですね……」


 紡姫は久しぶりの来客で気分が良いのか、ついでに色々と事情を語り聞かせてくれた。

 しかし所属部員が1人だけで、その1人が来年卒業する3年生というのもなかなかにレアだ。

 そのような部活は普通廃部になってしまうのだが、続いているのにはきっと何かしらの理由があるのだろう。

 そんなことを考えながら、丁寧に各種コーナーを紹介してもらった後、読書スペースとして置かれている席に紡姫と対面するように座った。


「ところで赤嶺くんはどのような作品を好むのかな? 気になる作品がここにあれば良いが」

「えっと……割となんでも読みますね。昔の名作小説から最新のまで。図書室にはほとんどないですけど個人的にライトノベルや漫画なんかもよく読みます」

「ふむ……ジャンルとしてはどうかな? ひょっとして恋愛ものなんかも読んだり……?」

「えっ……ま、まぁそういうラブコメとかを読むこともなくはないですが……」


 いきなり恋愛ものの話が出てきたので少し動揺してしまう朝人だが、紡姫の方はふむ、と顎に手を当てて何かを真剣に考えている様子。

 ここから何を聞かれるのだろうと、戦々恐々としていた朝人だが、紡姫の口から出てきたのは意外な言葉だった。


「幼い頃に結婚の約束をした幼馴染と、お金持ちでキミの好みの見た目をした許嫁いいなずけのお嬢様、キミならどっちと結婚したい? なおどちらも十分に交流を重ねているが、親密度は幼馴染の方が高いものとする」

「えっ!? な、なんでそんなこと……」

「いや、ね。私が今書いている小説のオチの話なんだが、このダブルヒロインのどちらと結ばれて終わるのが良いのかずっと悩んでいたんだ。できれば男性視点で忌憚なき意見を聞きたい」

「あ、なるほど……って、やっぱりいきなりそんなこと言われても……」


 これをいきなり聞かれて即座にこたえられる男が本当にいるのだろうか。

 せめてもっと情報があれば上手く差別化できたのかもしれないが、その情報だけでは具体的な答えを出すのは難しい。

 だが、強いていうなら……


「うーん……そのお話を読んだわけではないのであくまで個人的な意見ですけど、俺なら幼馴染を選びますかね……」

「ふむ、その根拠は?」

「もちろんそのお金持ちでタイプの女の子も魅力的なんですけど、強いていうならそれを基準に選ぶよりは心の底から隣にいてほしい子を選んだ方が長く続くのかなぁって……まあ、本当に僅差ですけどね」

「ふむふむ、とても参考になったよ。ありがとう」

「いえ……大したことない意見で申し訳ないですが」


 紡姫はいつの間にか取り出したメモ帳にサラサラと何かを書き込んでいた。

 紡姫が所属していると言っていた部活は文芸部。

 そう考えると個人的に小説を書いていたとしても不思議ではない。

 今の自分の意見を受けて、紡姫が物語をどう導くのか、その答えが気になってきた。


「いや、すまないね。恥ずかしながらわたしは恋というものをしたことがなくて、あまりこういったシチュエーションに慣れていないんだ」

「そ、そうなんですか……」

「そこで今回敢えて恋愛小説に挑戦してみることで恋について学んでみよう、と思ったわけだ」


 つまり今の問答も取材の一環、と言うわけだ。


「ところで失礼ながら、赤嶺くんは恋の経験はあるのかい?」

「い、いえ、俺もないですけど……」

「そうか……キミは結構容姿が良いからそうした経験があるのかと思ったが」

「先輩がそれをいいますか……?」


 お前が言うなという言葉はまさにこのためにあるのだろうと朝人は思った。

 あくまで自己評価ではあるが仮に朝人の容姿が10段階中6であったとするならば、紡姫は間違いなく9以上だ。

 そんな人に容姿が良いから云々と言われても嫌味に聞こえてしまうのは仕方がないだろう。

 だが当の紡姫はあまりよく分かっていないらしく首を傾げていた。


「それはさておき、こうして作品について相談ができる異性の友人を得られたことは大変好ましい。ぜひ今後ともよろしく頼むよ」

「は、はぁ……まあ俺なんかでよければいつでも相談に乗りますが……」

「ふふっ、ありがとう」


 そう言って気がつけば席を立って目の前に立っていた紡姫が、朝人の手をとり強く握手をしてきた。

 どうやら紡姫にとって朝人はもう友人認定されてしまっているらしい。

 女の子の手に触れた経験などほとんどない朝人は、それだけで若干照れてしまうが、こうして話ができる先輩ができたと言うのは決して悪いことではないと思い、それを受け入れることにした。


「お礼と言ってはなんだが、もし困り事などがあったら遠慮なく聞いてくれ。学年の差こそあるが、出来ればそのあたりはあまり気にして欲しくはないんだ」

「は、はい。ありがとうございます」


 結局それからも紡姫の描くストーリーに関連する様々な質問攻めにあいながらも、彼女がお勧めする本を一冊借りたところでチャイムの音がなって解散することになった。

 なんだかどっと疲れた気がするが、悪い一日ではなかったなと帰り道で思う朝人だった。

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