第8話 彼シャツがよかったです

 土曜日。巧は外の雨を眺めながら憂鬱だった。もともと雨に関して面倒くらいしか感じなかったが、浸食が始まってから雨がいやになった。この雨の中、なにかがうごめいている感じがするからだ。


 朝食を適当に済ませ、叔父貴からもらった将棋盤に向かう。三間飛車の強さはその速さにある。飛車が矢のように飛んで行く姿が好きだ。でも今は、囲いの勉強をしている。いくら攻撃が早くても、持久戦になったら耐えきれないからだ。


「お前は守りがよわい」


 叔父貴の言葉だ。


 ドアのチャイムが鳴った。ピンポーン。なんだこんな時間に。荷物なんて頼んでないぞ。


 ドアを開けて驚いた。未来がびっしょりに濡れて立っていたからだ。


「おいおい。どうしたんだよお前」


「荷物を持ったら傘が持てなくて……」


 不器用にもほどがあるだろ。とりあえず部屋に上げた。ファッションはこの前と似ている。どこかレトロな服装で、薄水色の丈の長いスカートをりぼんで留めている。上は手許にフリルがついたふんわりとした長袖。ここにも水色のリボンがあしらってある。それにベスト。カラーが大きい。


 だが致命的なのはこの非常に綺麗な服装がびっしょりというところだった。ひたひたと雨がしたたっている。


「うーん。なにしに来たかわかんねぇが、とりあえずシャワー浴びるか?」


「はい。ありがとうございます」


 そういう未来の唇は紫色だった。メイクも崩れている。


「この服、普通に洗濯していいのか? なんかこのふりふりとかしわ寄りそうだが……」


「大丈夫です。自然乾燥させてください。あとでちゃんと洗いますので。」


 そう言われればそうか。


 未来が持ってきた者をテーブルに出してみる。


 豚肉、衣、パン粉、卵やタマネギが入っていた。カツ丼の具材だろうか……もう一つの紙箱にはケーキが入っていた。なるほどこれを傾けないために傘を差さなかったのか。


 未来から声がかかる。


「すみません。なにか着るものを」


 おっと忘れていた。ちゃんと洗ったのを確認してジャージを渡そうと脱衣室のドアをあけると、裸の未来がいた。


 下着は着けていたが、驚いてジャージを投げて渡し、ドアを閉めた。未来の身体は全体的に線が細かった。肩幅もそうないし、骨もほそい。そこに肉がついている感じだった。


 筋肉がつきにそうな身体だ。だが実際の運動面でそのような印象はうけない。たぶんだが、インナーマッスルがしっかりしているのと、身体が柔軟なのだろう。


 ぶかぶかのジャージを着て、風呂場から出てくる未来。


「彼シャツがよかったです……」


「なんだそれ?」


「彼氏のシャツをこうやって着ることです」


「バカ行ってんじゃねぇ。早く髪を乾かせ」


 未来が髪を乾かす間に、揚げ物用の鍋に油を入れて加温しておく。


「私がやろうと思ったのに!」


 とさえ箸を奪い取られてしまった。そして寝室に追いやり、出てこないでくださいと幽閉されてしまった。


 30分ほど経っただろうか……。


「おまちどうさまです」


 卵がきらりと光るカツ丼だ。うまそう。


「どうぞどうぞ。召し上がってください。これは慰労みたいなものなので」


「そう言われればそうだよな。何で来たんだ?」


「これを食べてからにしましょう」


 カツ丼もケーキも食べた。これはチートデーにしてもちょっとカロリーオーバーだろうか。


「私、謝らないといけないことがあるんです」


「なんだよ急に?」


「優乃さんに言われたんです。巧様を危険な目に遭わせているって」


「俺だって嫌々ってわけでもないが……」


「それが甘えだと言われたんです。私は巧様に甘えているでしょうか?」


「あーだりー質問だな。そんなのどっちでもよくないか? じゃあ例えば甘えているとしてお前はなにしてくれるんだ?」


「そうなるかと思って、追加のお金を持ってきました」


 封筒を見ると10万入っている。


「こんなにいいのか?」


「私の貯金です。でもこれで巧様への借りは返せないと思っています。命をかかけてくださっているので……」


「金はもらったよ。これで充分だ」


「でも私にはそれくらいしかできないんです。もう一つできることがあります」


 巧様と手を引かれ寝室のベッドに押し倒された。


 おいおい。こういう展開かよ?


 未来がジャージを脱ぐとノーブラだった。


「さっきからスースーしてました。触ってもらえますか?」


 巧の手をとって自分の胸にあてがう未来。


「こうしたら男はイチコロだと本にありました」


「あのなぁ……本の知識に頼りすぎなんだよ」


 巧はこのまま未来とセックスしてもいいと思っていた。最近してなかったしな。既成事実なんて言い方があるが、実際のところさっとしてさっと分かれるなんて日常茶飯事だったからだ。


 だが相手は未来だ。これからも関係が続く相手。セックスをしてもいいか悩んでいた。


 しかし未来は真剣な顔をしている。そんな睨むような目で見つめんなよ。


 未来の顔に手を当てると、なんだか熱い。火照っているのか? それにしても熱くないか?


「未来、なんかおまえ熱くないか?」


「火照っています。下の方も……」


「いやいや熱がある気がするんだが?」


「ああ。それは天気痛ですね。私、天気が悪いと頭が痛くなったり熱が出たりするんです……」


 興が冷めた。というかもともとそこまで興に乗っていたわけではない。


「どうする? 雨合羽着てバイクで飛ばすか? それともここで休むか……」


「ではここで一晩、お世話になります」


「親にはちゃんと連絡しろよ?」


「それは済んでます」


「泊まるのも織り込み済みだったのか。俺はシャワー浴びてくるから先に寝てろ。布団は一枚しかないから共用で頼むぞ」


「わかりました」


 巧が風呂からでると、未来はすでに寝息を立てていた。彼女にとっては大冒険だったのだろう。

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