第9話 抱きしめてください
紫パーカーの事件から二日が経ち、未来は学校にもどってきた。登校してきた巧はさっそく未来に声をかける。
「とっととキスしちまおうぜ」
「じゅ、授業終わりの藤棚の下でお願いします。」
「べつに今だって構わないだろ?」
「だって人目がありますし、歯も磨きたいですし……」
女ってのは合理性に欠ける。メイクが落ちてきているから顔を合わせたくないだの、髪が決まらないから写真は嫌だの面倒くさい生き物だ……決して女嫌いというわけではない。もちろん楽しい、嬉しいこともあるが、本質的に巧は一匹オオカミなのだろう。
かったるい授業が終わり、昼休みになる。
学食でなにを食べようかとメニューを見るとペペロンチーノがあったが、すこし考えてラーメンにした。ペペロンチーノは匂いがつく。そこまで考えて、すでに未来に思考が乗っ取られてるなと自嘲した。
ネギ抜きのラーメンをすすっていると、何も言わずに横に誰かが席に腰を下ろした。見ると悠だった。
「今日でしょ? 正式入団」
「ああ、今日キスする予定だ」
「未来ちゃんはね、すごくいい子。いい子すぎるくらいいい子。だからね、裏切ったらダメだから。絶対に。あんたと話すときだっていつも緊張しているのが伝わってくる。ちゃんと見守ってあげてね。あと、私も少し遅れていくから。またね」
そう言って悠は食べかけだったサンドイッチを持ったまま別の席に動いた。一緒には食べたくないらしい。
どんな心境だろう。兄が助けた人と食事をするのは……。
◆
放課後。
一足先に藤棚のところへ行けという未来の言いつけを守って、待っている。タバコでもと思ったが流石に臭いか……。7月に向けて気温が高くなりつつある。夏にはまだ早いというのに、湿気がひどい。
まだマシなのは風があることくらいか。涼しく感じられる。
15分くらい待っただろうか、体感としては30分くらい待った。待ちくたびれた頃に未来はやってきた。
「お待たせしました」
おせーよ! と思ったが、未来の様子をみてやめた。
最初に感じたのは髪の毛の艶やかさだ。あれだけのロングを日々、手入れしているのも大変だけが、今回はより入念に髪を梳いたらしい。
それに香水だろうか? ほんのりと甘い香りがする。
「学生が少しはけたらしましょう」
「お、おう……」巧も緊張してきた。
とはいえ口を軽く重ねる程度だろう。それくらいは馴れている。
「では。巧様、私を抱きしめてください」
「え?」
「抱きしめてください」
「お、おう」
「もっと強く」
そういう未来も巧の身体をしっかりとつかんでいる。左手で巧の腰のあたりを掴み、右手は巧の頭あたりを押さえる。右手が蠱惑的に、巧の首筋や耳のあたりをなで回す。
未来の鼓動が聞こえる。身体の温かさを感じる。こうして人を抱きしめたのはいつぶりだろう。未来が耳元でそっと吐息混じりで囁いた。
「キスしましょう」
未来が口先を近づけてくる。未来のかかとがあがるが、それでも背が届かない。巧が少し前屈みになる。2人の唇が重ね合った。それで終わりだと思った巧は身を引こうとしたが、未来が巧の頭をホールドして離さない。
未来の舌が巧の口の中に侵入してくる。くちゅり、くちゅりと音がする。舌は巧の上前歯の裏側にまで回ってくる。巧もそれに合わせて、未来の舌と自分の舌を絡めた。
抱きしめられているせいか、心拍数が上がるのがわかる。
キスはこんなに気持ちのよいものだったか。いつも前戯的にするだけだから、こんなにも熱を感じ、身体を感じたことはなかった。それまで戯れのように動いていた舌が、巧の口の中でで止まった。
動かない。巧は自分の舌をどこに置けばいいかわからなかった。
そうこうしていると、未来が離れた。
「気持ちよかったですか?」未来の頬が赤くなっている。
「あ、ああ」
いつもは本当のことを言わない巧もつい本音が出てしまった。そう言った途端、左右から何かに押しつぶされるような耳鳴りが襲ってきた。思わず、膝をつく。
そのまま倒れ込んでしまった。
「巧様、大丈夫ですよ。免疫反応のようなもので、少ししたら落ち着きます」
うわわわわわ。思わず叫び声を上げ、嘔吐した。それでも身体が痙攣している。上から未来が抱きしめてくれているのを感じた。
「大丈夫ですよ。最初だけですから……」
10分経っただろうか……。巧はゆっくりと立ち上がる。周りを見渡すと、遠くにいる女子2人の会話が聞こえてくる。最上階にいる男子生徒の表情も見える。
「なんだこれは」
「力です。この力をもって敵を打ち倒すのです」
「未来、お前はずっとこんな世界を見ていたんだな」
「そんなところです。でも巧様のその症状は一日くらいで治りますからご安心ください。では帰りますか?」
「いや、せっかく力をゲットしたんだ。試さない手はねぇよ」
「言うじゃん」
そちらを見ると、悠が不敵に笑っていた。
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