第2話 私の出せる範囲でだします

 地に伏していた未来の呼吸がゆっくりになり、やがて起き上がった。フラフラしているので、軽く手を添えてやる。


「悪かったよ」


「いえ。こちらこそ驚かせてすみません」未来が深く頭を下げながらそう言い、またヘッドホンをつけた。なんなんだこいつ。


「で、では話を聞いて下さい」


 よく聞こえないほど声が小さい。俯いていてこちらを見もしない。両手はスカートを強く握りしめている。緊張しているのだろう。


「あのなぁ、俺はいじめとかどうでもいいんだよ、また怒らせたいのか?」


「わ、私が頼みたいのはいじめなんてちゃちなものではありません。世界を救って欲しいのです」


「世界? お前やっぱ頭おかしいだろ。厨二病かなんかか?」


「ち、違います。でも理解頂けないのもわかります。で、ではアルバイトということにしませんか? そうですよね、私のお願いなど検討にも値しませんよね」


「用心棒ってことか」


「少ないですが、私の出せる範囲でだします」


「全部出せ」


 少女はピンク色のかわいい財布を取り出して中身をがさっとだした。1万8千数百円。


「私の所持金の全てです。どうかこれで今月いっぱい。もし足りなければ親に借りることもできますが、まずはこれで」


 未来は泣きそうだ。


「少ねぇな。でもまぁいいか。また小遣いやらバイト代が入ったら全額よこせ」


「では最初のお願いです。一緒に帰って下さい」


「あのなぁ? そういうのは彼氏とやれ!」


「わ、わたしお金払いました」


「わかったよ」


 2人で並んで下校することになった。こんな経験は随分と久しぶりだった。以前、こうやって帰ったのは……思い出せない。雨雲が空に広がっている。雨が降るのだろうと思うと、未来は赤い傘を持っていた。天気予報だと雨ってことか。


「雨降るのか?」


「あ、これですか?」と未来は自分の傘を振ってみせる。


「これはですね、雨用ではありません。これは剣です」


「そういう設定、キモいよ、マジで……じゃあそのヘッドホンと眼鏡も特殊ななんかなのか?」


「いえ、これは普通に防音用のイヤーマフと遮光用の眼鏡です」


「ヘッドホンじゃねぇのか?」


「音楽は聴けません。私は視聴覚過敏と言って、外音や光に敏感なんです」


「で、パニック障害もお持ちとは……ご愁傷様だな」


「もっと大変な方もいますから」


 巧は無視した。くだらない話をしても仕方ない。そんな会話をしているうちにあっという間に雨雲が広がり、雨が降り出した。パラパラなんてものじゃない。一瞬で視界が悪くなるくらいだ。


「お前、家は?」


「神泉です」


 徒歩圏内か。だが流石に傘なしではきつい。


「私が傘を買ってきます!」


 巧は呼び止めたが、未来はさっとコンビニに駆け込んでしまった。金ないだろ。巧が店内に入ると、未来が焦っている。


「じゃあSuicaで!」


「残高不足ですね」


 巧が横から入って自分のSuicaでタッチした。未来と2人で外に出る。


「ひでー雨だな。お前はその剣とやらを使ってくれ」


 巧はそう言ってコンビニで買ったビニール傘を開くが、未来は自分の傘を開こうとしない。


「おい、どうしたんだ? 壊れてんのか?」


 そう言って未来から傘を取り上げて開こうとしたが開かない。もっと力を入れるとバキッという音と共に中の骨が折れた。


「すまん」


「いえ。元々です。2人で一本の傘に入りましょう」


 巧はその申し出を黙殺してコンビニで傘をもう一本買ってきて、2人で歩く。


「私、巧様と同じ傘に入りたかったです」と未来はいい、地面にできた水たまりを蹴った。ガキか。


 とりたてて話すこともない帰り道。雨の音だけが響く。不意に未来が口を開く。


「私のことどう思いますか?」


「どうとも」


「そうですよね、巧さまにとって私はどうでもいい存在ですよね」


「そうだな」


「でも守ってくれるんですよね」


 その瞬間に昔のトラウマが蘇る。あの時、俺は守れなかった。力が及ばなかった。今でも夢に見る。


「どうだかな」


 高速のすぐそばを歩く。雨が降ったから多少はマシだが、埃っぽくて嫌になる。神泉に近づいた頃には雨脚は弱くなった。未来の家に着く頃には雨があがり、虹がでていた。


 未来の家はパン屋だった。いかにも高級そうな店だ。たぶん巧が入ったら一つも買わないであろう店。


 未来は店内に入ってくれるように手招きする。仕方なく入ると比較的若い女性がエプロンを着けていた。髪は黒く、艶やかなところから察するに未来の母親だろう。ただ未来のような暗さはなく、人好きする雰囲気がある。


「みーちゃん。どなた?」


「クラスメイト。私のこと守ってくれる人」


「誰から守ってくれるの?」


「インベーダーだよ。いつも話してるじゃん!」


 母親と思しき女性から声をかけられる。


「私、未来の母の香川未奈子と言います。この子、いつも変なことを言うんです。ご迷惑おかけしてませんか?」


「ああ」


 イエスともノーともとれる曖昧な返事をする巧。


「もしよかったら今晩のご飯にパンはいかがですか? 未来のご友人なら全て無料にしますから。友人を連れてくることなんてないので」


「あんた俺のこと見てなんとも思わないのか?」


「どういう意味ですか?」


「俺の風貌だよ。チンピラだとは思わないのか?」


「そうですねぇ……未来が連れてきたのだから間違いのない方だと思ってますよ。たしかに見た目は少し派手かもしれませんが」


「巧様! うちのパンはすごく美味しいと思いますよ。もうこの時間だと色々売り切れてますけど……カレーパンなんてどうですか?」


 カレーと聞いてつい表情が崩れた。


「お好きそうですね」と未来母。未来もにこりとして、トングをカチャカチャ鳴らす。


「じゃあ私のチョイスで選ばせてもらいますね」あっという間に10種類ほどが詰まった袋ができあがって、それを受け取って巧は帰ることにした。香川母・娘に見送られながら。


 帰り際に自分と母親のことを考えた。香川家のように良好な関係だったら自分はまた違う道を歩くことになったのだろう。

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