世界浸食 〜ヤンキーは電波少女の妄言に巻き込まれ本から出現した侵略者と戦う〜
清原 紫
第一章
第1話 気が変わった
通勤・通学で満員になった電車内、
半袖シャツは第2ボタンまで開けられ、左腕に刃物で切りつけられたような大きな傷がある。近づきにくい雰囲気だ。
巧は次の駅で下車しようとスマホをポケットにいれ、車内を見ると女学生が痴漢に遭っていた。サラリーマン風の男が女のスカートに手を入れまさぐっている。
スカートの柄から巧と同じ高校だとわかった。いかにも気が弱そうなその女はグレーのレンズがはまった眼鏡をかけ、ヘッドホンをしていた。カラーレンズ入りの眼鏡は、ファッションにしてはどこかちぐはぐな印象を受ける。
自ら進んで厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。巧が無視しようとしたその一瞬、女と視線が交差する。気が変わった。
席を立つと、痴漢をしていた男の顔面を殴りつけた。暴力とはなんの前触れもなく振るうのが効果的だ。ひるんだところを、膝でみぞおちめがけて蹴り上げる。たった二発の打撃で男は泡を吹いて気絶した。
車内がざわついたが知ったことではない。痴漢をされていた女も呆然としている。わずか数秒の出来事。誰かが気絶した男に声をかけているのが聞こえる。
巧は目的の駅、渋谷で女の腕を掴み下車した。プラットフォームに下りてからも彼女は口がきけない。ただ口をパクパクしているだけだったが、深々とお辞儀をしてきた。
助けたわけじゃないんだ、一瞬そう言おうかと思ったがわざわざ声に出す必要は感じられなかった。女を置き去りにして巧は改札をでて、転校先の高校へ向かった。今日が転校初日だ。
学校で担任と適当に挨拶を交わした後、クラスで自己紹介をして席に着いた。先ほどの色眼鏡女と一緒のクラスだった。HRが終わり、少し寝ようとするとでかい声が響いた。
誰かが色眼鏡女を後ろから脅かしたようだった。随分と子供じみた遊びをするものだと、彼女の方を見るとヘッドホンをひっぱって外されたようだった。ヘッドホンなんかつけているからだ。からかわれても仕方ない。
授業を半分起きて、半分寝ながらやりすごし下校の時間になった。大きな伸びをして下駄箱に向かい、靴を取り出そうとすると一通の手紙が入っている。
藤棚の下でお待ちしています
果たし状だろうか、巧は最初にそう思ったが果たし状で敬語を使う奴なんかいない。だが呼び出されたのに行かず、逃げたなどと言われたらメンツが立たない。行くことにした。
藤棚の下には少女が立っていた。朝の色眼鏡女だ。こいつが香川未来らしい。
「朝のお前か」
巧が声をかけると、未来は視線を泳がせ、まともにこちらを見ない。
「なんとか言えよ。俺だって暇じゃないんだ」
二人の距離が1mほどになって、未来はこう言った。
「私とキスをしてもらえませんか?」
「は?」
「やっぱり私みたいな陰キャとキスするなんて嫌ですよね。わかってます。わかってます。キモくてごめんなさい」
「キモいキモくないの話じゃなくて、よく知らないやつとキスするかって話だ」
「では、仲良くなったらしていただけると?」
「その日は来ないと思うがな。あばよ」
意味のわからん奴に絡まれた、たぶんこいつは頭がお花畑なのだ。朝はとっさに関わってしまったが、関わってはいけない類いの女だ。そう思ってきびすを返す。
後ろからシャツをつかまれたが、無理に引けば振りほどけるくらいの微力。突き放そうとすると微かに泣き声が聞こえる。
「わ、たしを、た、たすけて、ください……」
巧は怒りの沸点が低い。イライラとして声を荒げた。
「あのなぁ。いじめで困ってんだかなんだか知らねえけどよ、俺はそういう面倒なのが嫌なんだよ。大体なんだよそのヘッドホンはよ! 人にもの頼む態度か? サングラスだかなんだかかけやがって! 舐めてんのか?!」
未来のヘッドホンをとりあげて、地面になげつける。それから彼女の胸ぐらをつかんでこちらに引きつける。
「おい、わかったか?! わかったかと聞いてるんだ!」
顔面に向かって怒鳴りつけた。
手を離すと未来の様子がおかしい。全身を震わせ、ゼーゼーと荒い息づかいになったかと思うと、そのまま地面に伏せてしまった。演技には見えない。
巧にはなにが起きたかわからなかった。とりあえず救急車を呼ぶべきか迷うと、未来は赤いカード状の、旅行鞄につけるタグのようなものをこちらに見せてくる。それにはこう書いてあった。
「私はパニック障害という病気をもっていて、時々過呼吸を起こします。〔…〕救急車は呼ばないでください。ご協力感謝します」
やれやれ、面倒なことになったな、と巧は未来が回復するのを横で待つことにした。
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