第35話 贖罪の薬

 * *


 俺は栞のことが好きだった。でも周りの人からの陰口、いじめがトラウマとなり栞の告白を一度断った。一年後も栞が好きでいてくれるなら俺は喜んでその告白を受け入れようと思っていた。しかし一年経ってもトラウマは消えなかった。むしろ陰口やいじめは加速する一方だった。しまいには「栞が壱希のことを好きな訳がない。騙そうとしてるだけだ。」というクズの言葉を真に受け、栞の好意を疑うようになってしまった。間もなく栞から二度目の告白を受けた俺はとてもそれにOKを返せる精神状態ではなく、拒んでしまったのだ。

 あの時本人に真実を聞いていれば。まだ何か未来が変わる可能性を残せていたかもしれない。と今では思う。

 その後俺は美咲から告白されたものの栞への気持ちが諦めきれず断った。俺に美咲は勿体ないと思ったからでもあった。しかしそれによって生まれた罪悪感に苛まれ、気を紛らわそうと何度か恋愛を重ねた。告白されたら受け入れ、相手に冷められたと思ったらすぐ別れる。そんな低劣な生き方をあてもなく続けていた。

 腐りきった俺の背中に一本の釘が打たれたのはある日の帰り際の事だった。海斗が罵り口調で「俺、栞と付き合うことになったから。」と一言。予期せぬ内容に俺は何も言えないまま立ち尽くした。海斗が去ってもなかなか身体が動かなかった。次の日俺は六人の中でも特に親しかった楓に相談を持ちかけた。俺は栞のことが好きだった。そして栞も二度俺に告白してくれた。それなのに余計な気持ちが邪魔をして俺たち二人は結ばれずに終わる。こんな情けない話を打ち明けられるのは楓しかいなかった。カフェに入る俺と楓、テーブルの上にはコーヒーとクランベリーパンケーキが運ばれる。コーヒーの苦味が一層強く感じて吐き出しそうになった。今は甘さが欲しい。そう、向かいの楓が食べているクランベリーパンケーキのような。

「ねえ楓、――」

 それから俺は甘さを求めて冬のほとんどの時間を楓と一緒に過ごした。クリスマスや正月は勿論のこと何も無い日でもカフェやカラオケ、お互いの家で集まってひたすら意味のないような会話をしていた。時には楓の好きな人とやらを探ることもあった。しかし俺はそんな日常の中で必然的に気づいてしまう。

 楓は俺のことを好きなのだと。

 腐敗は背中から全身に広がっていく。楓の気持ちに気づいた俺は自分の傷を癒すためにそれを利用した。きっと楓は俺がどういう気持ちで自分に告白してきたのか分かっていたはずだった。それでも楓は付き合うことに同意した。お互いが自分のためにしかならないと理解したうえでの関係を俺たちは結んでいたのだった。

 この時点では俺だけの罪で済んだのかもしれないと今になって振り返る。次々に他の部分で綻びが出始めるのはここからの話だ。最初の綻びは楓と校区から離れたカラオケに行こうとした時だった。ここなら知り合いは誰もいないだろうと思っていた。しかし二人で歩いているとどこか聞き覚えのある声が耳に入ってきた。周りを見渡すと俺たちが歩く少し前に颯と美咲が手を繋いで歩いていたのだ。楓もほぼ同時に気づき立ち止まる。

「………今のって、颯と美咲…だよね…?」

「うん、絶対そう」

 その二人はお似合いだったが、違和感もあった。美咲に関しては少し前に俺に告白してきたばかりだったのにもう切り替えているのかと驚いた。まるで最初から颯の告白を保留にして俺に告白したようにも思えてしまう。颯も何か大事なことを隠してそうな顔を浮かべていた。二人に自分と同じような腐敗を感じたのは気のせいでは無かったと思う。

 いつからだろう。俺たち六人はどんなことでも一緒に乗り越えていける最強の仲間だったはずなのに、ここまで腐ってしまったのは。これからどうやって生きていこう、どうやって普通の人間に戻ろう。そんなことをぼんやりと考えている日常の中で突然栞が屋上から飛び降りたことを知らされた。その時腐敗を元に戻すなんてことは最初から間に合う訳がなかったのだと悟った。栞としばらくまともに話せていなかった俺はその原因が自分にあったなんて思ってもいなかった。

 翌日栞を除く俺たち五人は久しぶりに秘密基地で集まった。久しぶり。などと交わすや否や海斗が第一声。

「くそっ…俺は栞を…守れなかった…」

 と言った。確かに海斗は栞を一番近くで見てきた存在だった。俺にはなれなかった関係を築いたのだから。しかし次の颯の言葉で場が凍る。

「え、待って。俺も栞と付き合ってたんだけど」

 颯は美咲と付き合っていたはずだった。衝撃の事実に俺と楓、海斗はしばらく呆気に取られたまま固まっていたが、美咲は違った。

「ねえ颯どういうこと?浮気だよね、告白してくれた言葉は嘘だったの?」

「ちょっと、美咲落ち着いて……」

「あなたに諭される筋合いはない!」

 ヒートアップする中、必然的に栞も浮気していたことになるという恐ろしい事実も明らかになる。

「大体……」

 話を遮る勢いで海斗が俺の胸ぐらを掴んで涙を溢しながら叫ぶ。

「大体!栞が闇を抱えて俺らの約束に来なくなったのはお前のせいだろ、壱希!」

 海斗によれば、栞は中一の頃から本当に俺のことを好きでいてくれていたらしい。それなのに俺はその気持ちを信じてあげることができなかった。しかも別の女子とも、しまいには親友だった楓の気持ちを利用して付き合うこともした。そんな様子を一部でも噂に聞いていたとしたら裏切られたという解釈は無理ないだろう。いや、確かに裏切ったんだ。俺が明確な意思を持って。栞の死は全部俺のせいだ。償えるなら俺はこの命を捧げてもいい。

「……これからどうする?」

 颯が沈黙の中切り出した。

「きっと全員が同じくらい悪いんだよ」

「……俺たちこれからまた普通の生活できると思うか?」

 皆の声は震えていた。栞が死んでしまった原因は自分にあると全員が思っていた。

「……俺は無理だ。」

 

 俺がそう言うとタイミングを窺っていたのだろう、楓が怪しげな瓶を取り出した。

「これ、効力の強い薬だから少ない量で致死量に達するの。……私今日これで償いをしようと思って」

 いかにも楓らしいと思った。楓よりずっと俺の方が償わなければいけないのに、彼女はどうしても責任を感じてしまうのだろう。しかも楓は目の前で栞の飛び降りを見た唯一の人物でもあった。その光景が楓に与えた影響は大きかったはずた。

「俺にも……ちょうだい」

 楓がここまでして償うなら俺はそれに従うしかなかった。他の皆も瓶に手を伸ばす。皆が二粒取ったのを見て俺はもう一粒追加する。誰よりも苦しまなきゃいけないのは自分だ。そう必死に言い聞かせて薬を口に運んだ。

 瓶の中から溢れる病院の匂いは秘密基地の湿った空気と混ざりあって充満していった。


 末端から冷たくなっていく身体、遠のく意識。

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