第33話 三日月と飛行機

 * * *


 あれから数日経っても楓は俺たち以外の色を持った人物を見ていないという。本当にここでは心を持った人が存在していないのかもしれない。結局五人の中で行き着いた結論は栞と再会できるまでは無感情な人間として日々を過ごすしかないということだった。いつ再会できるか分からないが何故かそれが途方もなく先の話のような気がして、この閉塞的な日々に絶望した。

 そして気づく。この感覚、もとの世界と全く同じだ。周りの環境は違うはずなのにまるでどちらの世界にいるか分からなくなるようだった。それだけもとの世界も無に近い世界だったのだろう。

「ねえ私ちょっと怖いことに気づいちゃったかも」

「なんだよ、いきなり」

「あのさ、なんかずっと見られてる気がするんだよね」

「見られてる……?」

 美咲が不穏なことを言い出した。聞けば無感情なはずの人々の中から時々視線を感じるらしい。しかし視線を感じる時は大抵周りに沢山人がいてそれらしき人物を見つけることはできなかったそうだ。

「実は……私も同じようなことが何回かあって」

「楓も?」

「私一応感情ある人は色付いて見えるじゃん?だから視線感じた時に周りを見渡してみたのね。でもどこにも見当たらないの」

「まじか、俺は全く気づかなかったな」

「俺たち鈍感なんじゃね?」

「海斗と一緒にされるのは心外だけど、まあそうなのかもね?」

「なんだその言い方は」

「冗談冗談」

 海斗と颯は特に視線は感じなかったらしい。

「壱希は何も感じなかった?」

 俺はここ数日間の生活を振り返る。油断していたのか、全く心当たりがない。

「俺も全くと言っていいほど気づかなかった」

「んー男子は皆無いの。私たちの妄想なのかなあ」

「……でも私はあの視線が気のせいとは思えないな」

「もしかして遠くから見られていたのかもしれない」

「それは、つまり双眼鏡とかでってこと?」

「例えばの話だけどね、衛星で追われてる可能性だってある」

「そんな怖い話あるか?」

「この前言ったように俺たちは指名手配犯に等しい。監視されるのは仕方ない、とは当然言えないけどそういうことも有り得るって思っておかないと」

「んー、生きづらい世界だねえ」

「これじゃ何のために記憶残ってるのか分からなくなっちゃうな」

「おい、海斗。それ栞の前で絶対言うなよ」

 颯が少し怒り口調で海斗に言った。

「え?なんで」

「栞は俺たちをこっちに安全に逃がすために命懸けてたんだぞ。そんな言葉聞いたらがっかりするだろ」

「そうかもしれないけどさぁ」

「海斗」

「分かってるよ、気をつける」

 それはこの場の誰もが少なからず感じていることでもあった。この世界に記憶を持つ者として来た理由なんてそもそも無いんじゃないか、閉ざされた地で怯え苦しみながら生きていくしかないんじゃないかと。しかし実際に会って話を聞くまでは栞を信じて待ち続けるしかないということも皆分かっていた。このような議論を脳内で何回もループしては、答えのない問いだと悟るのだ。

「折角集まったんだし皆でいる時くらいは楽しい話しようよ」

「……そうだね。一人の時と同じようじゃ駄目だ」

「そういえば、こんなところよく見つけたね」

「あぁここね、ちょっと俺たちの家から遠いけど人目につきにくい場所だなと思って」

 今、俺たちが集まっている場所は学校の最寄り駅から電車で三十分ほどかけて辿り着けるいわゆる田舎。街の中心から離れていて落ち着いた雰囲気だった。人通りも少なく夜になると一層静けさが増す。

「それにしてもここに泊まるのはちょっと怖くない?」

 集まるなら人々の行動が減る夜だろうという話になり、日が沈む頃を目掛けてここにやってきたのだが、颯が提案したこの場所はまさかの廃校舎であった。美咲の言う通り流石にここで一晩過ごすのは無理がありそうだ。

「大丈夫だって、鍵閉められる部屋だってあるんだし。それに今更戻るのも厳しいでしょ?」

「だから私はもうちょっと良さげな個室提案したじゃんー」

「あそこは中心部に近すぎるよ。絶対監視の範囲内だって」

「そこまで考えなくてもいいってぇ、ねえ楓?」

「え、私?……いや、でも正直仕方ないんじゃないかな。確かに私もこんな場所で朝までいるのは気が気でないけど……」

「まあいいんじゃねえの?一晩くらい。なんか楽しそうだし」

「楽しくない!」

「けどここで泊まるなら誰か一人は常に起きてた方がいいかもな。防犯的に」

「そうだね」


 それから俺たちはよく分からない小学校の廃校舎で昔の話をしたり、記憶の埋め合わせを行ったりした。分かったことは俺が皆と比べて多くの記憶を失ってしまっているということだった。美咲や楓から小中の話を聞かされたが、ほとんどピンと来なかった。そんなこともあったかなと思うことしかできなかった。一方ぼんやり記憶が残っていたという颯や海斗は順調に思い出してきたらしい。少しずつ盛り上がる会話の中俺はなぜ自分だけが記憶を取り戻せないのか理解できなかった。

「壱希、なんか元気ない?」

 楓が心配そうに俺の方を見た。

「ううん、そんなことないよ大丈夫。」

「あんまり難しく考えちゃ駄目だよ壱希。ここはもう私たちの知ってる世界じゃないんだし、これからどうなるかなんて考えても仕方ないと思うの」

 そんなことは分かってるんだ。でもこれではどうしても俺だけ置いてけぼりにされたように感じてしまう。

「今日はもう寝よっか」

 俺に配慮してくれたのか颯がそう言った。皆も颯の提案に同意し保健室に移動することになった。

「ごめん、俺全然寝られそうにないから起きておくよ」

「分かった。もし眠くなったらいつでも起こしてね。交代するから」

「うん、ありがとう」

 もうすぐ日付が変わりそうな時刻なのに普段と違って全く眠気を感じなかった。妙に心がざわめいて鼓動が速まっている。おやすみを交わしてからしばらくして皆が完全に寝たのを確かめるとベランダに出て外の景色をぼんやりと見つめた。

 雲一つない夜空の中に少し太った三日月が浮かんでいる。夏が近づくこの時期は夜も気温が下がらず時々吹く風が涼しく感じられた。俺は全力でその風を吸い込む。肺に冷たい空気が勢いよく入ってきて胸の辺りがキュッと収縮した。そしてその空気を溜め息に換えて吐き出す。思わず声も溢れ出るほど大きな溜め息だった。

「随分とお疲れだね、壱希」

 背後から声が聞こえた。寝たばかりなのにもう起きたのかと最初は思ったが、四人の声でないとすぐに分かった。後ろを振り返ると楓でも美咲でもない同年代と思しき人間が立っていた。

「どなたでしょうか」

「どなただと思います?」

 そう言って口角をやや上げた彼女は俺の事をよく知っているような様子だった。

「もしかして栞?」

「正解。……でもやっぱり壱希は覚えてないんだね」

「うん、悔しいけど全く思い出せない」

 この世界においては感情を持って話す目の前の人物が栞であることを疑う余地はなかった。しかしそれを分かっていても彼女は俺の記憶の中に存在しない人物なのだ。

 栞はついさっき俺がやったのと同じようにベランダの縁に腕を乗せ、遠くの太った三日月を眺めた。三日月は先程より高い位置に移動していた。

「なんでこの場所が分かったの?」

「頑張って見つけたの」

「それ颯も同じこと言ってたな。栞に関しては流石に無理があると思うけど」

「あのね、颯に五人で集まる場所に目印を置いておくようにお願いしてたんだ」

「もとの世界での話?」

「そう。もう聞いてるかもしれないけど、この世界は色々とおかしなことになってて、それについて私の口からちゃんと説明しなきゃなと思ってたから」

「こんな変な場所を選んだのも颯なりに目印をつけやすい場所だったからか」

「そういうことだと思う」

 そう言うと栞は再び空を見上げた。何も言わずただ遠くを見つめている。

「こんな時間にも飛行機飛んでるんだね」

「たしかに。でも客用ではないかも」

「そっか、貨物専用便もあるもんね」

「うん」

 それから着地点の無い会話がしばらく続いた。どちらかが話を切り出してはすぐ途切れて沈黙が訪れる。そんなやりとりを繰り返した。

「ねえ、栞」

「うん?」

「率直に質問していいかな」

「いいよ」

「なんで俺たちのこと記憶を残したままこっちの世界に送り出したの?」

「颯から全部聞いてる?」

「全部かは分からないけどある程度は」

「そっか」

 栞は少し考えているようだったが、すぐに口を開いた。

「その理由だけど、多分単純に友達だったから。かな」

「友達だったから。か」

「親友の記憶が目の前で失われそうになってて、その時自分はその未来を変えられるかもしれない立場にいた。もし壱希が同じ状況だったらどうする?」

「それは……全力で変えようとするだろうな」

「まあつまりはそういうこと」

「なるほど」

 颯が言っていた栞が色々苦労してそうだった、という言葉の意味が何となく分かった気がした。でもきっと今俺が知っている事実はほんの一部分でしかないのだろう。いずれそれについても知らなければいけない。

「壱希は皆と再会しても記憶戻ってこない?」

「現時点ではほとんど進展なしだな」

「これからちょっとずつ思い出せるといいね」

「そうだね」

「大丈夫、絶対いつか全ての過去を共有できる日が来るから」

「俺だけ取り残されないといいけど」

 栞は少し微笑んで、そんなことありえないよ。と小さな声で言った。

「私起きてるからさ、壱希寝てきなよ」

 そう言われた途端強烈な眠気に襲われた。

「……寝なくていいの?」

「うん、大丈夫。朝になったら起こすよ」

 あくびが止まらなくなってしまったので、素直に栞の優しさに甘えることにした。

「分かった。ありがとう」

「おやすみ」

 おやすみを返して保健室の中に戻った。空いているベッドに横になると、全身の力が抜けて海斗の大きないびきもすぐに聞こえなくなった。

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