第31話 違反者仲間


 * *


 今回の計画は生きて帰れるか分からない。彼女にかかっているのだ。そう、穂乃佳に。気づけば二階の高さまで落ちてきていた。スピードも速くなっている。もうすぐ地面に叩きつけられるかもしれないと思うと怖かった。

 しかし次の瞬間、ふわっと全身が包まれる感覚があった。どうやら大きなクッションが私のことを覆っているようだ。それを見て生きて帰れたことを認識した。途端に緊張が解けて、そのクッションから転げ落ちてしまった。

「ありがとう穂乃佳」

 クッションを広げていた主は穂乃佳だった。

「受け止めてって言うから来てあげたけど、どういうことなの!説明責任果たしてもらうからね!?」

 穂乃佳にはだいぶ重い責任を負わせてしまったのかもしれない。

「あのね穂乃佳、私は私なりのやり方でなんとか結末を変えようとしてるんだ」

 まだ序章に過ぎない。けれど確実に望む結末に向かっているはずだ。

「栞…もしかして、あんたもあっちの世界に…」

「さっすが穂乃佳、勘がいいねぇ」

「……はあ、ほんと栞は恐ろしいわ」

「穂乃佳も何かやるって言うなら私は手伝うよ。この恩返さなきゃいけないし」

 グラウンドを吹き抜ける強風の音だけが際立った。穂乃佳は大きくため息をついて何か決意したような表情で言った。

「そういうことなら私もちょっとくらい運命に抗ってみようかなあ。」

「いいじゃん、穂乃佳先輩」

「先輩って言わないで!」

 二人で笑い合って空を見上げる。星座のひとつも見えない真っ暗な夜空。これから私たちはその中にたった一つでも星を見つけられるだろうか。


 * *


 こちらの世界が閉じるまでに残されている時間はそう長くなかった。人類の大半は約三年に及ぶ移行プロジェクトで並行世界へ送られていたが、まだ移動していない人達を早急に全員送る必要があった。彼らの多くは移動条件の解析が難航している人物であったため、最近ではPMOの人員を総動員して昼夜を問わず解析が行われている。私もこのプロジェクトの担当として今まで以上に業務に追われていた。

「琴宮」

「あ、お疲れ様です」

 珍しく上層部の人間が私の部署にやってきているようだった。こんな忙しい時に何の用だというのか。

「お前のところは順調か?」

「ええ、まあ」

「そうか」

 嫌な予感がした。

「……今日はどういったご用件でしょうか」

「大したことじゃないが、どうやら不正を働いた奴がいるらしくてな」

「そうですか」

「心当たりのある人物はいないか?」

「いえ、まったく」

「そうか。どういうわけか装置の適用記録が無いのに、移動が完了したことになっている人がいるとのことだ」

「そんなことがあったのですね」

「琴宮」

「はい」

「念の為忠告しておくが、確実な証拠が出揃う前に自首しておけば首は飛ばずに済むぞ」

「何の事でしょうか」

「そうお前の部下に伝えとけ、って話だ。」

「そうですか」

 それ以上何も言われずに上層部の人間は部屋を去っていった。大きな溜め息が出た。やっぱり私が一番に疑われるか。それにしてもあの言い方、もうある程度の証拠は準備できているのだろう。どうせ自分の口から白状したところで首は飛ばされる。決定的な証拠が見つかる前にこの世界が閉じれば捜査のしようがなくなるし、それを待つしかないかもしれない。最も上層部はそれで焦って自白を促しているに違いない。日に日に私へ向けられる疑いの目が増えていくのを感じる中、この世界が閉じるまで二十四時間を切った。

 一般人の移動はなんとか昨日までに完了し、最終日は私たちPMOスタッフの移動の日だった。一週間ほど前に移動についての通達が各自メールで届き、PMO用の移動装置が適用されることが伝えられていた。結局あれから咎められることの無かった私も勿論例外ではなかった。一斉移動がこの世界の閉じる三時間前に行われることになっており、その後向こうの世界でまた指示が出されるのだという。PMOスタッフは残りの二十時間ほどを自由時間として与えられ、各々好きなことをやっていた。しかしこの世界でのPMOの業務が全て終わってしまった今、上層部にとって不正を暴く最大のチャンスでもあった。私が生きて向こうに行けるかはこの二十時間次第だ。

 

「おつかれ、栞」

「穂乃佳先輩じゃん。お疲れ様です」

「あんたいつまでその呼び方するつもり?」

「えぇ、穂乃佳先輩に借りを返せるまでかなぁ」

「それならもうとっくに返してもらってるんだけど」

「あ、てことはもしかして?」

「うん。私も違反者の仲間入りしちゃったかな」

「そっか、間に合って良かったね」

「まあね。だけどそんなことより私たち自身の心配をしなきゃいけないかも」

「そうだね、逃げ切れるかなあ」

「ここまで来たら神頼みだけど、お互い頑張ろ」

 じゃあまた後でね。そう言って穂乃佳は行ってしまった。二度死にかけた人生、もし万が一のことがあっても正直覚悟はできている。けれどそれでは私が勝手に送った五人にとって迷惑なだけだ。あの五人には自分の口から説明する責任がある。


 一斉移動の三十分前となった。穂乃佳とはもう一度話しておそらく逃げ切れそうだということを共有し、移動間際の一連の行動を確認し合った。しばらくすると全体アナウンスが入り、配布された装置の電源を入れるよう指示が出された。普通の装置は電源を入れた瞬間に作動するが、この装置は電源を入れた状態で待機し、上層部の持っている親機が作動するのと同時に作動する仕組みになっているらしい。パクり技術にしては良いシステムを作ったものだ。やがてカウントダウンが始まった。

「六十、五十九、五十八、……」

 脳内で何度もシミュレーションした通りにやるんだ。私は人目のつかないところに移動し、一度目を瞑って深呼吸をした。そして配布された装置の電源を切り、ポケットから自分で作った改造版の装置を取り出す。その時だった。

「琴宮栞。」

 まさか。ずっとこの瞬間を狙われていたのか。本当に最後まで呆れるほど抜かりがない。

「何か用ですか」

「言う必要もない」

「確実な証拠が出揃わなかった、ということですね?」

「その装置は配布したものと異なるようだが」

「これですか。これは、」

 私の言葉の途中でカチャッと乾いた音が聞こえた。顔を上げると目の前に銃口があった。

「な、何のつもりでしょうか」

「まだとぼけるのか」

 これはもうダメだな。ギリギリまで粘るつもりだったけど、今にも発砲してきそうな勢いだ。

 私は配布された方の装置を力一杯地面に投げつけた。男はほんの一瞬下に目線を送る。私はそのタイミングを見逃さなかった。今だ。改造版の装置に手をかけ電源を入れる。男はすぐに私の方を見て引き金を引いた。装置を握る手の感覚が薄れていく。銃声と残り十秒であることを知らせるアナウンスの声だけが最後に聞こえた。

 逃げ切った。そう思うと同時に視界が真っ暗になった。しかし次の瞬間見覚えのある景色が目の前に広がった。

 よかった、無事並行世界に移動できたんだ。


 だけど、これからまた次の戦いが始まるんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る