第26話 勧誘

 * *


「川上颯さんですか?」

 私は今、目の前の人物にアルバイトの勧誘をしている。突然の言葉に立ち止まる颯は怪しいものを見る目つきで私の方を見ている。やっぱり思い出さないか、と心の中で溜め息をついた。流石にこんなのじゃ、伝わるものも伝わらない。見張りさえいなければもっと自然に勧誘できたのに。

 颯は私を見ても私だとは気付かなかった。これがあの時の後遺症なのだと考えると胸が痛む。記憶の無くなり方は人それぞれ。自殺未遂付近の記憶が抜け落ちることで関連した人物の記憶も人生全体の記憶から無くなってしまうこともあるらしい。早速私は壁にぶつかってしまったのかもしれない。

 演じれば演じるほど馬鹿らしく感じた。颯の関心が薄れていくのも感じた。いつの間にか私の言動は空回りしていて「すみません、もう夜も遅いし帰りますね」そう颯に言われた時、やってしまったと思った。

 どうしようか、とにかく引き止めないと。こうしている間にも颯は私に背を向けて歩き出そうとしている。


「三十万」


 それが咄嗟に出てきた言葉だった。珍しく声を張り上げた。周囲の人達は私の方を腫れ物に触るかのようにしばらく見ていたが、少し経つと皆再び歩き出した。しかし颯だけはその場に立ち止まっている。そして私の方を振り向いた。恥ずかしさで赤くなった顔を夜の影で隠し、次の言葉を探す。とりあえず説明はしなければいけない。

「一日の給料です……」

 颯は驚いた顔をしていたが、興味を持ってくれたのか今度は颯の方からからアルバイトの話について色々聞いてきた。私はそれに対して話せる限りのことを丁寧に答えた。非現実的な話だということは、私も嫌というほど分かっている。けれど二年間もその非現実的な現象を目にしてきて、これが現実以外の何でもないのだと思い知らされてきた。

「どうしますか、川上颯さん」

「……」

「アルバイトの内容は百歩、いや、千歩譲って分かりました。でも、こんなに貰えるものでしょうか。何か闇があるんですか?」

「闇なんてありませんよ。むしろこれは国の公共事業です」

「それはいくら何でも無理がありませんか」

「無理はありません。そもそも民間の活動ならこんな大きな規模にならないですし」

 そう言っておきながら、私もどこからそんな沢山のお金が出ているのか知らなかった。アルバイトは颯以外にもそれなりの人数がいる。一人一人に日給三十万というのは確かに高すぎる気もするが。


「あの、その話もっと聞かせてくれませんか」

「それはつまり、提案を聞き入れるということですね?」

「はい、そういうことです」

 颯の顔からは同情のようなものが読み取れた。きっと私が不器用に勧誘しているのを見て、試しにやるだけやってみてあげようと考えたんだろう。颯は初対面の人でもそういうことをしてしまう性格だ。多くの人がその思いやりに救われてきたに違いない。

 颯が承諾してからは、このアルバイトの話は限られた人にしかしていないということ、颯は私が推薦したということなどを伝えた。

「とにかく今日はこれで終わりです。長く付き合わせてすみませんでした。何かとやりとりしなければいけないことが増えると思うので、連絡先だけよろしくお願いします。お疲れ様でした」

 こうして私たちは別れを告げるとそれぞれの方向に帰った。


 私が颯をアルバイトに推薦した理由、それは颯の並行世界に移動する条件だった。最初にそれを知った時は少し複雑な気持ちになったが、颯の条件は美咲だった。正確には美咲がそばにいること、あるいは美咲のことを強く思い出せる状態にあることが移動の条件となっていた。ふとあの時の記憶が甦って胸が強く締め付けられた。

「それって君が殺したってことじゃない?」

 あの男の言葉が脳内に響く。

 駄目だ。そんなこと考えている場合じゃない、と必死に自分を諭した。私にはやらなければいけないことがある。

 颯にアルバイトとして美咲を並行世界に送ってもらい、その後すぐに颯が自分で移動するというのが一番現実的な案だった。そうすれば私の目で二人の移動を見届けることができる。

 そして美咲が移動するための条件は墓地だった。特定の墓地に思い出がある訳ではないようだが、美咲は高校生になってから頻繁に肝試しに行くようになったらしい。美咲の霊感が強いことは小学生の頃から知っていたが、当時肝試しに行ったことは一度もなかった。第一、美咲がそれを極度に嫌がっていたので行こうという話になることすら無かった。今ではもう何回も行っているのか。だけどおそらくそれは本人の意思ではないということは何となく分かる。

 並行世界へ移動するカギとなる強い思い出は必ずしも良い思い出ばかりではない。美咲の移動の条件が墓地なのは、もしかしたら今までの肝試しに対する負の感情が積もりに積もった結果なのかもしれない。そう思うと辛かった。


 ある程度の下調べが終わったため、颯に連絡を入れた。

 "夜十時先日私が話しかけたあたりに来て下さい。"

 自分で送った簡素なメッセージを見て、変な気持ちになった。いつまでこうしていれば良いんだろう。このままずっと気付いてもらえないのかな。監視の目がある間は下手に動くことはできないと思うが、それが無くなったとして今から名乗っても信じてもらえるのだろうか。言い出すタイミングすら見つけられないのかもしれない。


 夜十時前に駅前に到着した私は美咲の情報を確認しつつ颯を待った。今日は高校に入ってからいつも一緒にいる三人と肝試しに行くことになっているようだった。

 莉子、彼女は幼い頃に見知らぬ男に誘拐されそうになったことがある。幼い頃のトラウマというのはその人を一生縛り付けるくらい強烈な存在となる。これが彼女の移動条件になっていることを考えると本当に可哀想だと思った。

 葵、彼女は心霊やオカルトなどの類に強い興味を持っている。学年に一人はいるような手の付けられないくらいのマニアである。彼女の移動条件は肝試しという状況下で十分満たされていた。

 真奈、彼女の移動条件は美咲。颯と同じだ。二人から思い出の人物として認知されているなんてやっぱり美咲はすごいなあ。と思った。美咲の天真爛漫な性格は人を強く惹き付けるのだろう。

 そんなことを考えていると大きな足音が聞こえた。タブレットの画面から目を上げると息の上がった颯がすぐそばにいてびっくりした。でもすぐに気を引き締めて「遅刻ですよ」とだけ言った。こんな人通りの多いところではとても話せないので、近くの公園に移動することにした。そこには他のアルバイトも待っている。

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