第25話 移行者

 五人が生きているという知らせを聞いて以来、自分が今行っている業務の対象に彼らもなりうるのだとぼんやり考え始めた。当たり前のことなのにどういう訳かあまり実感が無かった。PMOという組織の中にいたとしてもこの現実離れしたプロジェクトと親友の存在を紐付けで考えることは難しかったのだ。

 だからこそ次の移行者リストに「海斗」の名前があった時、開いた口が塞がらないどころか、全身が硬直してしまった。

 昼休みの屋上で、孤独の深淵に沈んでいく私を救ってくれた海斗。彼のこの世界での記憶が抹消されようとしていた。

 急に動悸と冷や汗が止まらなくなる。立っているのが苦しい。目を開けているのが辛い。でも、いずれこうなることは分かっていた。今、本当に向き合わなければいけなくなったのだ。とにかく何か解決策を考えるしかない。海斗の記憶は絶対に守らないと。


 海斗の名前を見てからその日の業務はまるで手がつかなかった。上司から淹れてもらったコーヒーも苦味を通り越して最早味を感じなかった。定時になっても課された業務は終わらず、二時間以上一人オフィスに残った。

 今日は本当に疲れた。食事、シャワーを簡単に済ませるとベッドに転がり込むように横になった。途端に金縛りのような力でベッドに押さえつけられた。

「はぁ……」

 このままでは埒が明かない。そう思った私は全身にのしかかる重さに任せて、瞼を落とした。


 翌朝、鉛と化した体を何とか起こし、海斗の記憶について考えを巡らせた。一つ疑問に思ったことは、いつか閉じてしまうとされているこの世界から私たちPMO内の人間はどのように並行世界に移動するのかということだ。私を含め全員がこの世界の記憶を失って並行世界に移る、というのは明らかに計画として欠陥がある。それに向こうの世界を誰が運営するというのだろう。新しくその世界で生まれた政治家?それとも私たちPMO?あらゆる可能性を考慮しても記憶を保持したまま移動する手段が存在するのは間違いないと思う。

 ひょっとするとこれは海斗を救う大きなヒントになるかもしれない。移行者リストが出されてから実際に移行に取り掛かるまでには時間がある。まだ間に合いそうだ。そんな不確かな高揚感が、私の体の鉛を勢いよく剥ぎ取っていった。



 * * *



 あれから二年、私は相も変わらずPMOで日々の業務をこなしていた。PMOのプロジェクトの進捗は折り返し地点を越え、終盤に差し掛かっている。並行世界に一度に移動する人数の規模もかなり大きくなってきた。それに伴いPMOでは人手不足が課題に上がり、アルバイトの一般募集が提案された。ここに来て飲食店のような運営に変わったことが少し可笑しかったが、担当が私になってしまい、傍から見ている訳にもいかなかったため募集の手筈を必死に考えた。

 募集は迅速かつ秘密裏に行う必要があった。とはいっても、熟考の末結局辿り着いた答えは、名簿からランダムに抽出した人物に直接声をかけるというものだった。適性があまりにも無さそうな場合は見送るが、特に問題が無ければ募集内容を伝える。そこから先は本人次第ということにした。上司も他に有効な方法が見つからなかったのか、特に口を挟むことなくその案を承認した。実はこの方法は私の目的を果たすためにも都合が良かった。あとはいかに怪しまれずそれをやり遂げるかにかかっている。

 海斗を担当してから二年間、幸いにも他の四人が移行者リストに上がることはなかった。しかし、いつリストに乗るかは私にも分からない。できるだけ早く手を打たなければならなかった。


 厄介なことに、並行世界へ移動するためには色々と決まり事がある。最も頭を悩ませてくるのは、各個人によって並行世界に送れる場所、条件が異なるということだ。並行世界へ送る装置は人々の記憶にアクセスする特性を持っている以上、作動させるためにはその人の大切な記憶を想起させなければいけない。強い思い出は世界間の扉を開けるカギとなるのだ。もちろん思い出は単に特定の場所に結びつくものだけではない。特定の人物、音、香りなど人それぞれだ。移行者リストに乗るということは、そうした思い出に関する情報の整理がある程度完了したということなのだ。


「ねえ、栞って家族とかいるの?」

「そりゃいるに決まってるでしょ」

「いや、なんていうか栞ってさ、人との別れに慣れてるのかなぁみたいな?普段の業務とか見てるとね」

「どういうこと?」

「栞は人を向こうに送ることにそこまで抵抗ないように見えるから」

「そんなことはないと思うけど……。抵抗はもちろんあるし、大切な人だってちゃんといるよ?」

 こうして時々話しかけてくるのは同僚の穂乃佳。年齢は一つ上だが、ほとんど同じ時期にPMOに入れられたため同い年のような感覚で接している。普段の私は出来るだけ感情を無にして仕事をしているため、このように非情な人間だと思われることもしばしばある。

「私なんていつ自分の家族がリストに乗るんだろうって毎日怯えてるよ」

「実際乗ったことあるの?」

「まだだけど、」

「私はあるよ。大切な親友がね」

 海斗。彼は二年前に移行者リストに乗った。

「え、そうなの?初めて聞いた」

「わざわざ言う必要ないでしょ、あんまり記憶掘り返したくないし」

「そっか、そうだよね。ごめん」

「謝らないで。私はもう前に進んでるんだから大丈夫」

「あぁ、私も家族を救えないまま終わっちゃうのかな」

「それは穂乃佳次第なんじゃない?」

「どういう意味?」

「私はいざそうなった時にね、何も準備できてなかったんだ。だから急いで頑張ったんだけど、色々あって結果的に殺されかけた。」

 穂乃佳の表情が強ばるのが分かった。

「まあ要するに、ただ日々を過ごすだけじゃ何も結末は変わらないってこと。過ごし方は穂乃佳次第だよ」

 しばらく沈黙があった後、穂乃佳は「勉強になります。栞先輩。」とだけ言ってそそくさと仕事に戻ってしまった。私が年下なのに、とツッコミを入れる間も無かった。

 さあ、私も早く準備を進めなきゃな。

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