第22話 訪問者

 北の方では初雪が観測され始めた頃、依然として屋上が私だけの空間だった頃、誰も私の不在に異変を感じず普通に日常を送っていた頃。


 私だけの空間に一人の訪問者がやってきた。


「よ。栞」

「わ、海斗かあ。びっくりしたよ」

 丁度ミニトマトを食べようとしていた時、隣に海斗がやってきて腰を下ろした。海斗よく私がここにいるって分かったなぁ。自分の存在が認められた気がしてなんだか嬉しかった。半年前も同じ気持ちを颯に対して感じていたな、と思い返した。

「……寒いでしょ。これ着なよ」

 海斗はそう言い学ランの上着を私の肩にかけた。その直後思わず海斗がくしゃみをするのを見てなんだか申し訳なくなったが海斗なりの優しさが嬉しくて学ランを返したりはしなかった。私は肩から背中にかけて広がる温かさにしばらく浸っていたいと思った。

「そういえば今日はどうして屋上に来たの?」

 いつも通りのトーンを心がけて尋ねる。


「あの……聞きにくいこと聞くんだけどさ……お前、なんか隠してない?」

 海斗やっぱりそうだよね。ごめん心配させて。でも私は話を聞いてもらう資格なんてないんだよ、だから無理しなくていいんだよ。

「え?何かって何?別に……」

 ここは平然を装うのがお互いのためだと思った。しかし海斗は引き下がってくれなかった。

「無理はしないでよ。俺らと遊ぶ約束来なくなったのだってそのせいだろ?何か分かんないけどそういうのは独りで抱え込むなよ。心配なんだ、話して?」

「海斗……」

 空は今にも雪を降らせそうな顔をしている。この季節はほかの生き物の声が聞こえなくて、より一層孤独を感じさせる。しかしそんな冬空の下、私の隣には海斗がいた。

 全て一通り話すことにしようと決めた。


 話しているうちに海斗から相槌が減ってきているのを感じた。それでも話を聞いてくれて私は少し楽になった。こんな私の話を聞いてくれる人がいる。そう思うと勝手に涙がこぼれた。

「俺で良ければいつでも話聞くよ」

「ありがとう……」


 私は本当に嬉しかった。海斗に感謝していた。しかし海斗が私に優しくすればするほど申し訳なさが積もった。

 ごめんね……海斗。

 ごめんね……颯。


 そんなことを思っていると鼻先に何か冷たいものが当たった。

 あ……見上げると雪がチラチラと落ちてきた。

 また新しい冬が始まるんだ。

「ねえ雪!」

 初雪の感動を中二とは思えないほど素直に表現してみた。こんな風に振る舞うのは何年ぶりだろう。

「きれいだな」

「ねぇ海斗?」

「ん?」

 私はここで切り出そうと思った。この話は海斗にしか打ち明けられなかった。

「もしさ、自分が好きな人が誰かと付き合ってて、その人があんまり彼氏と合わないって相談してきたらどうする?」

 あくまで第三者の話ではあるがやはり海斗には違和感が残るらしかった。

「なんで……そんなこと聞くの?」

「なんか私の知り合いが同じ状況になってるらしくて、私よく分かんないからさ」

「俺だったら……『そんなやつやめて、俺にしろよ〜』って言う」

「さっすが海斗、かっこいいね」

「絶対馬鹿にしてんだろ、それ。」

 私は特別な理由もなくほっとした。このやりとりで何かを変えようとした訳じゃない。ただそんな展開も世の中にはあって、必ずしも一人で抱え込むことはないんだと思い込めればそれでよかった。


 雪は段々強くなってきた。手の平を広げれば次々にその上に乗り、そして溶けてゆく。永遠に降り続きそうなこの雪は時の流れを忘れさせた。

 しばらくして昼休みの終了五分前を告げるチャイムが校内に流れるのが聞こえた。

「そろそろ行こっか」海斗に声をかけた。そういえばさっきから海斗は何も発していなかった。動く様子のない海斗を見て「ほら、行こ」と言って先に歩きだした。

 すると後ろからそっと腕を掴まれた。

「……海斗?」

 慌てて後ろを振り返る。


「……俺にしろよ」

「えっ……?」

「えっ……」

 海斗も無意識に言葉が出てしまったようで戸惑っていた。もちろん私の方が戸惑っていたのだけれど。

「べ、別にさっきの発言が栞のこととは限らないと思う。けど俺の、まあ好きな人は栞だから……」

「ち、違うよ。そんなつもりで言ったんじゃないの……」

 海斗が何か気を使っての言動ならちゃんと謝らないと。たしかに私の言い方はこの展開を求めているように思われるかもしれなかった。

「ごめんね海斗、変な相談しちゃって……」

「……ずっと前から栞のことが気になってたんだ。俺さ全然上手く言えないんだけど、トラウマのことなら全部良い思い出にしてやるから。栞が『あの時話して良かった』って本気で思えるようにするよ。だから……一番近くにいて欲しい」

「海斗、本気で言ってるの」

「ああ俺が絶対に守るから」

「絶対に?」

「うん、どんなことがあろうと絶対に」

 ここまで言われても私は怖かった。誰かにまた裏切られてしまうのではないか、と。颯にも何と説明すればよいか分からなかった。そしてふと思う。私の方が颯を裏切ろうとしているのではないか、と。海斗のことも同様に。

 それでも色々なことがものすごいスピードで目まぐるしく変化していく。私が止められるようなスピードではなかった。私は必死にブレーキを踏む。後ろに戻れないか試したりもする。けどそれが叶わないところまで来ているのだと気付かされるのだった。

「私のこと好きでも後悔しかないよ……」

 ぼそっと呟くつもりが海斗も聞こえてしまった。

 でも優しい海斗は「そんなことないよ」と背中を撫でてくれた。

 私は駄目なんだ。

 やっぱり孤独が一番なんだ……。


 * *


 海斗から気持ちを伝えられたあの日からまた四ヶ月という時間が流れた。まだ中学生活最後の春が来るなんて信じられないくらい寒い。

 この四ヶ月間私の知らないところで私たち六人の関係はさらに大きく変わった。それぞれがそれぞれの思惑を果たそうとした。そしてそれらは沢山すれ違った。ただ自分のことを恨み颯と海斗に罪悪感を抱くだけの私は新たな学年が始まるこの日まで何も知らなかった。


 雨の降りしきる始業式の日、午前帰りでテンションの上がる生徒たちの中傘をぶつけながら私は下校していた。すると後ろから聞き覚えのある声がした。

「栞、おつかれー」

「あ、楓じゃん。おつかれ」

 幼馴染の一人楓は、私が皆と距離をとった後もこうして時々話してくれる。しばらく冬休みの過ごし方や課題の話、といった世間話をしたが会話が落ち着いてきたところで楓が「そういえばさ」と深刻そうな顔で話を切り出してきた。

「……颯と美咲のこと知ってる?」

 颯、その名前が出された時私はどこか嫌な予感がした。

「え、知ってるって、何が?」

「あの二人……付き合ってるっぽいんだけど」


 そこで私の時間は百分の何秒か完全に止まった。

「え、ちょ栞、大丈夫?」


 楓の声を聞いて何とか時間の流れを再開させた私は急いで取り繕おうとした。

「ごめん知らなかったから驚いて」

「な、なんだあ。良かった……」

 それが無理やりの理由付けであることは楓もきっと分かっていたが、とにかくこの空気を変えようと必死になっていた。


 そっか結局こういうことなんだな……。

 どれだけ生きても続く絶望のループ、それは全て私自身のせいだった。この時にはもう今夜の行動は決まっていた。楓に別れを告げると、その準備に取り掛かった。

 

 夜。昼間よりまた一段と強くなった雨と風が荒れ狂う中、私はある場所へ向かっていた。

 私は思う。私たちは最強の六人だったと。確かに最強だった。小学生の頃までは。そしてその最強の輪を内側から壊してしまったのは私だった。

 私が壱希に恋心を抱かなければ。一度断られた時に潔く恋を終わらせていれば。颯に壱希の件の傷の埋め合わせを求めなければ。颯に窮屈な思いをさせなければ。変に海斗に頼ったりしなければ。

 もう何もかも今となっては過ぎ去ったことで取り返しがつかなかった。


 空を見上げると大粒の雨が顔に容赦なく打ち付けた。

 あぁ……私なんていなければ……

 そう一人呟いて足元に目をやった。

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