第23話 誤解
二十分後、私は目的地に到着していた。孤独になってから見つけた私だけの居場所、海斗が初雪の中思いを伝えてくれた場所。昼間と違って夜になると、近くに明かりがなく何も景色ははっきりと見えない。ふと地面を見ようとするとこれもまた暗すぎてはっきりと見えない。まるで底なし沼に落ちていくような気持ちになった。
依然として雨風の音は強く、このまま飛ばされてしまいそうだった。
最後に楓と話しておきたかった。楓なら電話に出てくれるという確信があった。濡れた左手でポケットの中のスマホを取り出す。何とか画面上の水分を拭き取り楓に電話をかけた。かけて一呼吸おこうと思ったが、そんな時間もなく応答の表示になった。
「もしもし栞?……どうしたの?」
既に何かを察しているような楓の声は第一声から震えていた。自分でかけておきながら何も言葉が出てこなかった。代わりに雨が激しくなってくる。
「ちょっと栞!?もしもし……?」
どうしてここまで心配してくれるのだろう。私は皆から離れた側なのに。
「……楓っ……ごめ……ん。私……」
自然と口から謝罪の言葉がこぼれた。しかし繋げようと思った言葉は上手く発することができず詰まってしまった。それでも楓は口を挟むことなく途切れ途切れの私の言葉とその間に聞こえる激しい雨音を聞いている。私はやっとの思いで言葉を取り出した。
「……あのね、本当はずっと前から罪悪感があったの……」
ここ数ヶ月、いや五人と離れてしまった一年以上前の当時から私は確かに罪悪感に苛まれていた。
「え?」
「でもね、今日の話を聞いて分かった。私はそういう思いをさせてたんだなって……だから、」
颯も海斗もきっと良い心地ではなかっただろう。本当にごめん。
「ねぇ話の内容が掴めないよ!?どういうこと?」
楓には伝えておくべきだったかもしれない。けれどもうそんな気力は残っていなかった。私は黙る。楓の安否確認の声が電話越しに聞こえる。
しかし不幸なことに私の左手は風に煽られてスマホを離してしまった。数メートル先に放り投げられたスマホからはわずかに音が聞こえている。楓が何か言ってくれているのだろう。その言葉受け取れなくてごめん……。
私はゆっくりとスマホのもとに寄り楓に最後の言葉を残した。
「ありがとう、楓。さよなら。」
またもう一段と雨が強くなってきた。慣れた私の耳でも塞ぎたくなるほどの音だった。すぐに電話を切ろうと思ったが楓の方から聞こえる物音に耳を澄ませると、雨の音が聞こえた。私は思わず電話を切る。
楓、どうしてあなたはそんなに優しいの?来なくたっていいのに……。
突然楓に対して申し訳ない気持ちになった。ここまで心配してくれている人がいても私は自ら命を絶つのだろうか。それこそ死んだ後に罪悪感に苛まれるのではないか。色々なことが頭に浮かび、気づけば私は死ぬ気力を失いつつあった。
屋上は眺めの良い場所だった。夜は明かりが無いところは何も見えなくなってしまうが、目が慣れると段々昼間のような景色が見えてくるようになる。よく見ると今まで知らなかっただけであらゆるところに小さな明かりが灯っていた。そのちょっとした灯りにそれぞれ照らしている対象が存在していて、その対象を暖めているのだった。
私は写真にそれらを収めようとスマホを手に取る。もちろん真っ暗な写真しか撮れないが私にとってその写真は様々な意味が込められていた。アップして写らないだろうかと屋上の端ギリギリのところまで前進したが、当たり前のように遠くのその光をカメラが吸収することは無かった。
スマホを持つ手を下ろし、訳もなく雨と風を感じた。
あ……
地面に目をやった時、人らしきものが移動しているのが見えた。こんな時間にこんな天気の中で、何も持たず一心不乱に走る。その走り方といい、服装といい、思い当たるのは一人しかいなかった。
……楓。
楓はもう校門をくぐりぬけようとしていた。これまでどれほどの距離を走り続けてくれたのだろうか。もうとっくに疲れ果てているだろうに……。
楓が来たら謝ろう。「心配かけて、ごめんね」と。そしたら楓は「大丈夫なの?」と何度も聞いてくるだろう。その度に私は楓の温かい気遣いを感じ安心感に包まれるのだろう。あぁ生きてて良かった。そう思える日が来るのだろう。
しかしそんな妄想は本当にただの妄想でしかなかったんだと次の瞬間思い知らされる。
嫌な予感がした。直後今までに経験したことないくらいの強風が背中に吹き付けた。巨大扇風機の前に立たされたような感覚だった。
……待って、風強すぎ……!
この風が数分前にやってきていたら私は幸せだったのかもしれない。でも今、せっかく生きると決めたのにどうして……。
信じられないほどの強風はなかなか止まなかった。屋上の縁にいたことも相まって私は今すぐにでも落ちてしまいそうだった。慌てて近くの柵に掴まるが気づけば私の両足は屋上から離れていて柵に掴まる両手も雨のせいで滑り始めた。……駄目だ。もう力は残っていない。
そして私は強風と重力に身を任せ来たるべき衝撃を覚悟した。こんなはずじゃなかった。そう思いながら。
数秒後身体への強い痛みを感じるとともに楓の悲鳴を聞いてその記憶は幕を閉じた。
* *
どれほど眠っていたのだろうか、私は目を開けると見慣れた、いや見飽きた病院の真っ白な天井が映り、自分は死ななかったのだと理解する。
少し動こうとすると体のあちこちが痛み、あの夜の出来事は夢じゃなかったんだと認識する。見る限り私の身体にはこれでもかというほどの包帯が巻かれていて、いかにも重症患者だった。
タイミングよく病室に入ってきた母親は意識を取り戻した私を見てすぐに駆け寄り私のこと優しく抱きしめた。素直に嬉しかった。
ありがとうお母さん。ありがとう楓。
数日後、自力で歩けるようになった私は病院のラウンジに来ていた。丁度ニュースの時間で、特に何も考えず最近の世の中の動きが報道されるのをながめていた。しかし私はこのどうでもいいような時間潰しで最悪の事実を知る。それはあまりにも不意をついて来て、とてもすぐには反応できなかった。
『あの日から数日、未だに行方不明の中学生五人は見つからないままです。警察は今日も朝五時からこの地域の森林地帯の捜索にあたっていますが、依然として進展は見られていません。五人は同じ中学校に通う友人同士であり、警察は行方不明に至るまでの経緯や目撃情報などの捜査にも力を尽くす。と話しています』
そこに映し出される五人の名前は漢字も全て私の大切な五人に一致していた。全てを悟った私は病院のラウンジを飛び出すとグルグル巻きの包帯を纏いながらあの場所へ走り出した。
私には屋上以外にもう一つ居場所があった。そこはかつての六人で毎日のように通いつめた、秘密基地。大人には絶対にばれないような町外れの小さな山奥に位置していた。もし本当に五人が何日も行方をくらましているのなら、そこしか考えられない。そしてあの場所は長時間留まれるような場所ではない。ということは五人はもう既に私の知らないところで決断を下したのかもしれない。身体中がズキズキと痛む。腕の包帯が徐々に緩み始めヒラヒラと舞う。他人の目は全く気にならなかったが見た人からしたら通報ものだろう。 そんなことを考えながら、ただひたすらに走り続けた。
ここだ……。秘密基地を訪れたのは何年ぶりだろう。五人と疎遠になってから、ここに通うこともすっかり無くなってしまった。昔の賑やかな思い出がほんのり蘇る。しかし今はそんな雰囲気が全く感じられなかった。私ははしごを登った先にある光景を思い浮かべた。それがすべて空想に過ぎないことを願って一つずつはしごの段を上がっていく。一番上まで登ると手作りのドアに手をかけ、そっと開けた。
そこには不幸なことに予想通り冷たくなった五人がいた。静かに目を閉じる五人を見て強ばった肩の力が一気に抜けていった。その場に崩れ落ちるように膝をついてしまい、脆い床がミシミシと軋んだ。事の発端が私にあることは分かりきっていた。私の恋で六人の関係性は歪み始め、私自身も苦しんだ。それでも私は留まることができなかったのだ。
とっくに枯れたはずの涙が気付けば再び流れていた。部屋の隅に転がる薬瓶を見て、皆それぞれの思惑の中で苦しみ、これを口にしたんだなと思った。苦しかったのは私だけじゃない。なのに私は勝手に自分の命を絶とうとした。皆の引き金を引く決定打を打ってしまった。運悪く私は死に損ねた。一人先立つつもりが一人だけ取り残されてしまった。
せっかく繋ぎ止めた命、しかし生きていてはいけない命でもあった。もう終わりにしよう。そう思ってもう一度薬瓶を見る。
これはきっと楓が持ってきたんだろうな。この薬で償いをしようとか、いかにも楓が考えそうなことだ。そんなこと本当はしなくてよかったのに。
私も瓶から薬を数粒取り出す。もう少し何かが違っていればこうはならなかっただろう。私はこの状況の責任を取らなければいけない。そう思って薬を口元に運んだその時だった。
……ガサッ
雑草を掻き分ける音が聞こえた。
え、誰か来てる?足音は次第に大きくなってくる。どうして私たち六人以外がここにいるの?どうしよう、このままだと見つかっちゃう。
とりあえず私は物音を立てないように秘密基地の奥で身を屈めることにした。第一に考えたのは偶然物好きがここに辿り着いたという可能性だった。その次に私が跡をつけられていた可能性。そして何者かが最初からこの秘密基地、さらには私たち六人の事情を分かっていてここに来た可能性。
正直一つ目しか考えられないが、そもそもこんなことが起こるなんて思ってもみなかったから他に想定外の可能性があることも考えられる。
あれこれ考えてもどうにもならず、気付けば足音は基地の真下まで到達していた。はしごを登ってくる音がする。今私に出来ることは五人と一緒に死んだふりをすることだった。ドアを開けて入ってきたのはスーツを着た男だった。もちろん見覚えのない人物だ。少しの間入口で立ち止まったが、事態を飲み込んだのか、何かをするということもなく出ていってしまった。
何だったんだろう、と思いながら体勢を戻し、小さなこの空間を見渡した。流石に通報するだろうか。改めて楓の首に触れると鼓動はやっぱり止まっていて冷たかった。私もすぐそっちに行かないと。
一度戻した薬をまた取り出そうとする。しかし次の瞬間突然ドアが勢いよく開いた。
「わっ」
目の前にはさっきのスーツ姿の男がいた。訳の分からぬまま不意に出てしまった声を隠すように口に手を当てた。男としっかり目が合った。
「やっぱり生きてたのか」
「誰?」
「自己紹介の前にこの状況を整理したい。この五人はなぜ死んでいる?」
「そ、それは」
簡単に説明できるような事情ではないが何か言わないと誤解されてしまう。
「君が殺したということであっているかな」
ほら、こんな風に。
「違います。私は殺してなんかいません」
「じゃあ誰が殺した?」
「話が長くなります」
いいから、としつこく催促されたので仕方なく詳しい事情を話すことにした。一通り話し終えると開口一番男はこう言った。
「それって君が殺したってことじゃない?」
「……」
痛いところを突かれた。というより認めたくなかった事実を何の遠慮もなく突きつけてきたことに驚いた。確かに私のせいで楓たちは自ら命を絶ってしまったのだ。許されることじゃないのも分かってる。
「今、世間が君の仲間の死をどう見ていると思う?」
「そんなこと知らないです」
「残念ながら皆これを心中だとは思っていないんだ。何者かに全員殺されてしまったんだ。可哀想だ。いたたまれない。という具合にね」
「別に他の人にどう思われようが関係ないですけど」
「それじゃあ君を犯人にしてもいいってこと?」
「は?」
「さっきも言ったけど世間のこの事件に対する関心は君が想像しているよりずっと大きい。五人を誰かが殺したとすれば、その犯人探しが始まるのは当然だと思わない?」
言われてみれば確かにその通りだった。客観的に考えると私が殺したという推察は正しく思えるだろう。私は自分の置かれた状況が分かっていなかった。
「あの、私は本当に殺していないんです。これ以上家族に迷惑をかけたくないし、私が事の発端って自覚してるけど、だけど、私を殺人犯に仕立てるのはやめてもらえませんか」
「警察だって人間関係を調べたら第一に君を疑うと思うけど?」
「それは……」
言い淀んでしまい、もう言葉は出せなくなった。正直、この男の意図が掴めないでいるが、今まで散々病気のことで迷惑をかけた親に最後まで気を煩わせることは絶対したくない。まあ今病院から抜け出している時点で申し訳が立たないのだけれど……。
しばらく沈黙があった。
「じゃあこれから君に二つの選択肢を提示してあげる」
男はこう言った。
「選択肢?」
「そう。今後君がどう生きていくのかの選択」
私はきっとその時焦っていたのだろう。色々なことが短時間で起こりすぎて、正常な判断が下せなかった。でも何が正解だったのか、後でいくら考えてもやっぱり分からなかった。
男が示した二択は「男が私を殺人犯として通報する」あるいは「通報はしない代わりに私が男の言う条件を飲む」だった。周囲への迷惑のことしか考えていなかった私には後者の生き方しか選べなかった。後から振り返れば近くにはまだ薬瓶が転がっていた。それを服用し皆と命を絶つ選択肢もあったかもしれない。だけどやっぱりそれは最適な選択ではなかったと後に知ることになる。結局私は最初から男の狙い通りに進むしかなかったんだろう。
これは本当に現実なのか。
もう分からないよ。何もかも。
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