Chapter7 青算
第21話 孤独
身体の至る所に違和感がある。動かそうとしても自由に動かせない。あぁそうか。今私は病院にいるんだった。こんなことを脳内で何度ループしたことだろう。それくらい私にとってこの場所は日常と化していて、どの部分を見ても見飽きた場所に思えてしまう。
私は生まれつき病気がちな子供だった。小学校入学後は特にそれが悪化し学校にいる日より病院にいる日の方が多かった。しかしそんな私でも親友と呼べるほどの関係にある人達がいた。楓・美咲・壱希・海斗・颯、学校にいる時は常にこの五人と一緒に過ごしていたし、病院にいる時もほとんど毎日誰かがお見舞いに来てくれていた。無理はしないで、と伝えてはいるがそれでも来てくれるのは本当に嬉しかった。
私を含めたこの六人ならどんなことでも乗り越えられる。いつになっても仲良くあり続ける。そう心の底から真剣に思っていた。他の五人も同じことを心の底から思っていた。
この関係が終わるなんて誰一人として想像していなかった。
* *
小学生だったころの私たち、それは恋愛感情を知らない無垢な少年少女以外の何ものでもなかった。なんとなく恋愛という概念を知っているだけで、それが友達とどう違うのか。友達から恋人になることは有り得るのか。分からないことだらけだった。分からなくたっていいとも思っていた。
でも、ずっと分からないままでいられる訳では無かった。当たり前のように私たち六人にも春が訪れたのだった。
一番初めにその感情に気づいたのは中学一年生の時だった。周りにちらほら付き合い始める人が出てきた時期でもあった。小学生の頃にも何組かいたが私の身近な友達には誰もそうした人はいなかったのでどこか遠い存在だと思っていた節はあった。
しかし中一になって特定の男子と話す時だけ鼓動が速くなったり、顔が熱くなったりという今までの人生経験で説明できない現象が起きた。これまでその人と関わっても何も無かったのにどうしていきなり。いつの間にか私はこの感情を抑えるのに必死になっていた。私はついに恋をしたのだった。青春の最も大きなピースの一つである恋愛のスタートを踏み出したのである。
でも私はそのスタートで大きな過ちを犯してしまった。避けられる過ちではなかっただろう。ただこの過ちさえ犯さなければきっと最悪な結末にはならなかった。
そう、好きになる人が壱希でなければ。
壱希に恋をしてから私は信じられない速さで気持ちを加速させていった。気付けば沢山話しかけるようになっていたし、気付けば放課後呼び出していたし、気付けば壱希に告白をしていた。
「ごめん栞、もう一年待って欲しい」
だから私はその一言で強く落ち込んだ。でも一年後絶対にもう一度告白しようと決意した。
月日が経っても私の気持ちが変わることはなかった。変わるどころかどんどん強くなっていくのを感じていた。周りからは一年は長すぎる、別の人もいる、と散々言われたものだが、結局壱希を好きなまま一年が経過した。そして一年前と同じ場所で同じ言葉で想いを伝えた。どうやってこの返事を待てばいいか分からず、ただ下を向いて待った。しかし私が求めていた言葉は返ってこなかった。
「ごめん栞、もう少し待って欲しい」
それは一年前とほとんど変わらない答えだった。でもその後壱希は「今、頭からトラウマが消えないんだ。」とぼそっと言った。「だからそれを払拭できるまで待っててくれないかな」そう付け加えた壱希の顔に嘘は無かった気がした。だからもう少し待ってみようと思えた。
しかし数ヶ月後私は信じたくない真実を周りから知らされる。
「壱希くん別の子と付き合ってるみたいだけど大丈夫なの?」
「えっ……」
頭のネジが瞬く間に一本、二本と外れていくのが分かった。正常な思考ができなくなる。外れたネジを必死に拾い集めようとするが足元は真っ暗でどこに落ちているのか分からない。
「ちょっ……栞、大丈夫!?」
「……そっか。壱希の気持ちに気付かなかった私が悪かったんだね……」
その場に倒れ意識を失った私はその一時間後に意識を取り戻した。見慣れた真っ白の天井が視界に映り自分の身に起きたことを自覚する。
「琴宮さん、大丈夫?」
「あ、はい……大丈夫です」
保健室の先生はこのベッドの常連となっている私にいつも通りの口調で話しかけた。
皆、私がいつもみたいに体調崩しただけって思ってるんだな。
「一応、お家の人に迎えに来てもらうことになってるから。」
「そんな、わざわざいいですよ」
「でも今回は一時間も気を失ってるのよ?無理はしないことだよ」
「……はい」
突然倒れてしまった時、毎回親に申し訳ない気持ちになった。病弱な子供に振り回されて精神的にも金銭的にも圧迫される生活。両親はどんなふうに思っているのだろう。しかしどれだけ元気に過ごしたいと思っていても、気付けばこうして気を失ってしまう。私は制御できるはずもなく、知らないうちに親に負担をかけることになる。親の方が絶対辛いに決まってる。そんなこと分かってるけど、私だって私なりに辛かった。
「いつもの症状が出たの?それとも他に何かあった?」
そう聞かれて今回はいつものとは違う、と思った。
「好きな人に裏切られたんです」
「裏切られた?」
「はい。まあ私がその人の気持ちを分かっていなかっただけなんですけどね」
「そっかそっか。詳しく聞かせて欲しいけど嫌だったら大丈夫だよ」
「すみません。まだ気持ちの整理がついてなくて」
「いいのよ。ちゃんと自分で整理することも大切だからね。でもその傷をまた抉るようなことはしちゃだめだよ」
その言葉を私は「壱希と会うことは避けた方がいい」と解釈した。それ以来、私は壱希とすれ違ってもあえて視線を逸らすようになった。やがていつもの六人の集まりにも参加しなくなった。壱希がいるところにはどこにも行かないように。そればかりを考えていた。
そうはいっても他の四人が心配するだろうと思い、距離を置くのは最初だけにするつもりだった。ある程度時間が経てばこの傷も癒えるだろう。そしたら「ごめん忙しくて……」と言ってさりげなく復帰すればいいだろう。そう思っていた。
しかし私の傷はそう簡単には治らなかった。他の四人にも顔を合わせないうちに次第に後ろめたさが募っていった。そして四人のことも避けるようになり、気付けばそのまま半年近くの月日が経過していた。
私は孤独だ。
一人で昼食をとるのが当たり前になってきた頃。寂れた屋上が私の唯一の居場所となってきた頃。一人で帰ることに抵抗が無くなってきた頃。孤独が心地良くなってきた頃。
幼馴染の一人、颯が放課後話したいと私を呼び止めた。今までしばらく避けてきたことでまともに目を合わせることが出来なかった。でも、こんな私を気にかけてくれたのが少し嬉しかった。
放課後帰り支度を済ませた私は教室で一人颯が来るのを待っていた。部活に行く人とすぐに帰る人が丁度いなくなるくらいの時間帯だった。外の景色を見て、もうブレザーだけじゃ厳しそうだなぁと思っていると廊下から足音が聞こえてきた。
「ごめん栞、待たせちゃって」
「大丈夫だよ」
颯は私と同じように窓辺に寄りかかって喉の奥の言葉を取り出そうとした。どんな恥ずかしいことを言おうとしているのだろうか、勇気を振り絞っているように見える。颯が私に勇気を出して言う言葉などあるだろうか?正直全く見当もつかなかった。しばらくしてやっと颯が意を決したようだ。
私は少し構える。
「……好きだよ」
そう言って颯は外を見た。
……え?今なんて言った? ……好きってどういうこと?
私は想定外の言葉に固まってしまった。
「……え……意味分かんないんだけど」
思わずこぼれた本音が颯を傷つけてしまわないか不安になった。
「いや、意味はそのまんまだよ?」
戸惑い気味の颯を見て困らせてしまったなと思った。しかしお互いの言葉は途切れ途切れになり私は何を返せばよいか分からなかった。颯もこの間を上手く繋ぎ合わせられずにいるようだった。
「……私なんかじゃ、だめだよ……」
その言葉には色々な意味を込めていた。半年前まで壱希のことをずっと好きだった自分、そして五人から距離をとってしまった自分、こんな私がどうして颯に好かれているんだ。そんなの、だめだよ……。
颯と私は結局付き合うことになった。それを秘密にするという条件のもとで。颯は「失ってから大切さに気づいたんだ。栞の隣にいて守ってあげたい」と言った。どの部分を切り取ってもそれは私に向けられた言葉とは思えなかった。それでもその言葉は本当に暖かくて、そっと優しく私を包み込んでくれていた。
「後悔しても知らないからね」
私はそれだけ伝えた。当時の私はまだ颯のことを信じられる勇気を持っていなかった。
それから私は颯に本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。颯がいかにも恋人らしい関係を求めているのは承知していた。しかし私にはそれを満たせるほどの余裕はなかったし、他の人の目が気になるとどうしても颯にいつも通り接することができないのだ。
颯、ごめん。私のために色々我慢してくれてるんだよね。でも、私に颯はつり合わないよ……。
結局私は孤独だ。
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