第20話 死刑執行人

 女子高校生四人組の姿は想定より早く見つかった。もちろんその中に美咲もいた。一時間近くいて慣れてしまったが、改めてこんな所にわざわざ来ようとする気持ちが理解し難い、と思った。美咲はしょっちゅう肝試しに付き合わされてどんな気持ちなのだろうか。俺からすれば気の毒だと思う。本人は好きで行っているのか分からないがそうでなければただ疲れるだけだろう。

 そんなことを考えながら見ていると何やらさらに理解し難いことを始めようとしているらしかった。

「葵」と呼ばれている物好きそうな女子と美咲が目隠しをされその状態のまま奥に向かって歩いていこうとしている。どれだけスリルを味わいたい性格なのだろうか、美咲が葵という女子に半ば強制される形でやっているらしいが、その子もなかなかすごいことを思いつくものだ。


 そんな四人の様子にかなり見入ってしまったが、ふと我に返り自分の任務を思い出した。早速好機が訪れたのではないかと思い、密かに四人に近づいていった。

 二人一ペアで歩いているようだったので、美咲が含まれていない方のペアを先に向こうへ送ろうと思った。

 しかし突然俺はこの二人の記憶を消し、ある意味、人生を終わらせてしまう。すなわち殺すと同然のことをしようとしているのだという気持ちに襲われた。こんなボタン一つで一瞬にして彼女達の将来を無かったことにしてしまうのだ。考えるほど身体は動かず一歩を踏み出せなくなっていった。

 いや、でもこのリモコンは結局何でもなくて並行世界なんて存在しないし、記憶が失われることもない。そういう可能性もあった。実際に栞に説明された世界観を受け入れる根拠となる光景は目にしていない。

 こうなったらいっそのこと全部作り話と思い込んでこの場をやり過ごそうではないか。それが最も賢明な判断だろう。考えていても何も始まらないし、何も始めなければ広い意味で俺の中の世界は変わらない。意を決して忍び足の速度を上げていった。



 二人の背中に忍び寄る。そっと肩を叩く。叫び声を出しそうな後ろの女子の口元を押さえる。前の女子はこの奇抜な提案をした「葵」だった。まだ気づいていない。栞から聞かされていた四人の名前を思い出す。今俺が口を押さえているのは「真奈」だと理解する。

 今まで自分の中にしまいこんでいた罪悪感がこの状況に抗うかのように必死に飛び出そうとしてくる。これは出鱈目だ。そう言い聞かせる。スイッチを押しても何も起こらなかった時のことを考える。暗闇に紛れて走って逃げようと脳内で再現する。祈る。何も起こらないことを。彼女達の将来を無にしてしまわないことを。俺が殺人犯にならないことを。祈る。……祈る。


 そしてスイッチを押す。


 触れていた顔の感触が消えていく。目の前にいるはずの人影が暗闇に溶けていく。祈りが届かなかったことを悟る。全てが栞の説明通りになったのだと絶望する。次の移るべき行動が分からなくなる。

 身体の力が抜けていった。



 それから俺は何も考えず美咲と「莉子」という女子のペアの元へ向かった。「莉子」のことは美咲から離した所で移行させる必要があったため、先程同様口元を押さえた後、ゆっくり美咲の目から「莉子」の手を取り外した。幸い、美咲は気付かずこの隙に「莉子」のことを離れたところに連れていきスイッチを構えた。一度も話したことは無いが謝らなければいけないと思い小さく「ほんとにごめんなさい」と残しスイッチを押した。そして同様に触れる感覚が薄れ、やがて姿も完全に消えてしまった。

 栞には美咲が一人になったタイミングで接近することを言われていたが結果として無理やり一人にした形となった。未だに死刑を執行する人になった感覚が消えなかった。彼女達の人生は終わっていない。でも彼女自身が築き上げてきた人生は終わってしまったのだ。人が目の前で消える。こんな科学を真っ向から否定するような現象を間近で見て、とても生きた心地はしなかった。


 立ち尽くしていると美咲が三人を呼ぶ声が聞こえてきた。そうだまだ美咲がいる。美咲を今移動させてあげないと次の担当者は誰になるか分からない。普通に記憶を残さずに移動させる可能性は高いだろう。だったら今やる以外に方法は無い。

 美咲は何度も友達の名前を呼んでいるようだった。そのせいで俺の足音には気づいていない。ようやく気づいた時にはもう俺はすぐそこまで接近していた。一歩一歩足音をコツコツ鳴らしながらゆっくりとさらに近づいていく。美咲は目を隠して歩く時とは全く違って恐怖に包まれているのが分かった。


 急に美咲と話したいと思い始めた。しかし栞には自分の正体を明かすなと言われていた。そこで結局行きついたのがただ怖いだけの不審者を演じることだった。本当は優しく包み込んであげたいだけなのに。


「リコ、アオイ、マナ」俺はそう口に出す。重々しく作った声が今の美咲にはよく効いたらしく、声で気づかれることはなかった。自分で言っておきながら馬鹿らしくなったが、ここまで来たら続けなければいけない。

「お前の友達か」

 もっと普通に話しかけたいのにどうしてこんなことになってしまったのだろうか。

「あなたは誰ですか」

 そう言われた時、勝手に突き放された感覚に陥った。それから俺がただ怖がらせて、美咲は身構えて、というような会話がいくらか交わされた。

「私を殺してどうするの」

 美咲は死を覚悟しているようだった。しかし同時になぜ自分がこんなことになったのかと戸惑っている様子も見えた。

 俺も戸惑っていた。なぜこんなことをしなければいけないのか、なぜこちらの世界での美咲との別れ際に普通に話せないのか。全てが納得いかなかった。けれど栞が言ったことを信じて突き進むしかなかった。美咲の友達を向こうの世界に送った時からこの世界が壊れ始めていることをつくづく実感した。俺は今、栞を信じる他に何もできない。


「美咲、俺が美咲を殺すなんて有り得ない。でもごめん、俺からは何も言えない。本当はもっと話したい、楽しい時間を一緒に過ごしたい。けど、また会える時が来る、絶対に来るからその時まで取っておく。」

「じゃあね。」


 しかしこんな言葉は当たり前のように喉に引っかかって、体の中に戻っていった。美咲の頭に手を伸ばす。突発的な感情に乗ってぎゅっと抱きしめた。ふと目が合ってしまい、時が止まったような気分になる。それでも何とか理性の部分でスイッチに手をかけた。最後に美咲をもう一度強く抱きしめそのスイッチをついに押した。


「颯。どうして……」

 えっ……?


 美咲はそれだけ言って向こうの世界に旅立とうとしていた。抱きしめる感覚が消えていく。

「待って美咲」

 もうこちらの世界に美咲の実体は無かった。

 あぁなんだ、気づいてたんだ。それなら普通に話せば良かったのかな。もう何が正解なのか考えたくなくなっちゃったよ。

 俺は一人誰もいない墓地の石道の上で大の字に寝転んだ。空を見上げても暗くて何も見えなかった。飛行機の通る音が際立って聞こえる。柳の木が揺れる音もやけに大きく聞こえた。

 俺は大切なものを一つ失った。


 起き上がるしかなくなって何とか起き上がるとズボンのポケットから美咲に使ったものと同じ改造版のスイッチが落ちた。そういえば二つ持たされたんだったな。

 しばらく地面に転がったそれを見つめていた。

 美咲を並行世界へ送り届けた今、とりあえず一回目の任務は果たされたということになる。日給三十万はその日のうちに渡されることになっていた。

 三十万、この金額のためにやってきたのか。どうせこの世界は閉じるというのに。

 もう一度よくそのスイッチを眺めた。すると急に栞の言葉と今の俺の状態が繋がった。


 そっか、そういうことだったのか。


 栞が俺をアルバイトに誘った理由、この場所を任務の場所とした理由、そしてあのスイッチを予備でもう一つ渡してきた理由、すべてはこのためだったんだ。


 俺は急いで栞のところに戻った。

「どうした颯?そんな急いだ様子で」

「栞、とりあえず今までありがとう」

「……。その感じだと、もう気付いているみたいだね」

「うん、多分」

「私はまだで忙しいから見届けるけど、美咲のこと頼んだよ」

「分かってる。皆で待ってるよ」

「すぐ向かうから。……じゃあ、またね」

「うん」


 今まで美咲のことばかり考えていたが、栞はどんな気持ちだったのだろうか。昔から栞は大人っぽくて、俺たちが知らないうちに全部やってくれていた。そして高校三年生となった今もやっぱり俺は栞に助けられることになった。

 ここ数時間で俺の世界の見え方は大きく変わった。ただその中で俺は人々が知らない世界の変化をいち早く実感できた。きっとこれから先、出来事が予定通りに進むことはない。常に新しい何かと向き合わなければいけない。

 二つ目の改造版スイッチに手をかける。

「待ってろよ、美咲」一人でそう呟く。

 激しく立つ風がこの世界での最後の記憶だった。

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