第19話 改造装置

「……ずっと疑っててごめん、栞」


 栞はしばらく俯いていた。「いきなりどうしたんですか?」そう言われてもいいと思った。だって目の前の女は俺の大切な幼馴染、琴宮栞に間違いないのだから。

 しかし、なぜだか彼女のことをたった今までほとんど忘れていた。それどころか美咲との小さい頃の思い出も消えかけている。あれ、俺の幼馴染って二人だけじゃなかったよな……。その周辺の思い出もほとんど回想できない。気づけば俺の幼少期の記憶はポツポツと点滅し始め、闇の中に溶けていった。

 いや、そうじゃない。今消えているんじゃない。その記憶が知らないうちに薄れていることに、ようやく今気づき始めたんだ。

 いつからだ?いつから、昔の遠い記憶が消え始めた?考え始めてすぐそれを考えることの無意味さに気づいた。

 栞との思わぬ再会はそれ自体の喜び以上に遠い思い出の喪失感を俺に残していく。俺は悲しかった。でもそう思えば思うほど、ひとつまたひとつと霞む記憶に気づいてしまう。


「だからよく分かるんだよ、颯の気持ちが」

「うん」

 長い沈黙は一度口が開かれれば無かったかのように忘れられていく。

「昔のことよく思い出したね」

「栞と話す時、たまに懐かしい感じがしたんだ。冷たい態度が混じっていたから判断しかねたけど」

「露骨に真実を明かすなんて面白くないでしょ?」

 そう言って作り気のない笑顔を浮かべる栞を見て安心した。

「でも、そのせいでこの話を無かったことにしようとしたんだから」

「そうだね、それはごめん」

 こうして話すのは何年ぶりのことだろう。そんな余韻に浸っている暇は無いと知っていながらもずっと話していたかった。

「話しづらかったら答えなくてもいいんだけどさ」

「うん」

「どうしてこんなことしてるの?」

「どうしてって言われても……」

 言葉を丁寧に選ぼうとしているようだったが少ししてから「そうしなければいけなかったからかなぁ」とこぼした。

 やっぱり何かあったのだろうか。

「でも栞がそうしなければいけなかったなんて考えられない」

「そうだよね、でも当時の私じゃなくて今の私でも多分同じようになっちゃうと思うな」

 話が続かなくなりそうだったのでこれ以上の深掘りはやめた。向こうもその話を避けているように見えた。

 会話の途切れをどちらも上手く繕えず黙り合ってしまい、気まずい空気の中お互いに目線を逸らして遠くを見つめた。

 隣で栞のくしゃみが聞こえる。もう二十三時時は近い。


「颯、ちょっといい?」

「うん」

「詳しいことは言えないんだけどさ、私と颯がこうして喋ってるのを見られると色々問題があって。とりあえず説明の続きさっさとしちゃうね」

 そうなるだろうとは思っていた。これまでの距離を感じさせる話し方の理由がその色々とある問題なんだろう。「じゃあよろしく」とだけ言って説明を促した。

「まず今回の颯の担当は美咲を含む四人の女子高生ね。大変だとは思うけど颯だって気づかれないようにやって欲しい。具体的な手順としてはこの機械を持って対象者に近づいて一定の距離まで来たと思ったらスイッチを押す、みたいな。これだけだから特に難しいことはないと思うんだけど、何かあったら誰にも見られないように私のところに戻ってきて。近くにはいると思う。あとさっき言ったように美咲が一人になった時を狙ってね。ここまでで聞きたいことある?」

 機械の話は初めて聞いた。どういう仕組みで並行世界との移動が行われるのか見当もつかなかったが、いざ機械を見てみると思っていた以上に分かりやすい設計のようだった。なるほどこれがスイッチか。

「間違えて先にスイッチ押しちゃったらどうすればいいの?」

 俺の中でそれが一番の恐怖だった。しかし栞によれば人が近くにいないとスイッチは押せないらしい。それに加え俺や栞のようにに携わる人には反応しないようになっているため安心してよいとのことだった。かなり不安要素は消えた。あとは待つだけか。その時、ふと率直な疑問が浮かんだ。

「ねぇ栞、これで最後だけど、一定の距離まで近づくってどのくらいのことを言うの?」

「私がやった時も正確な決まりはない感じだったから、よく分からないんだよね」

 そこに正確さが求められていないのだとがっかりする気持ちもあったが、それ以上に栞もこの仕事をやったことがあるという事実に驚いた。そして勝手に安心感を抱いた。

 すると栞がおもむろに俺の方へ近づいてきて、そんな安心感もどこかへ行ってしまった。……えっ、いきなりどうした?

 おのずと心臓の動きが速まる。幼馴染に感じたことのない感情だった。風に揺られる栞の髪が首に触れる。鼓動が聞こえるのではないかと思うくらい近くに来たところで、ようやく栞は「このくらいかなぁ」と独り言のように呟いた。この三秒程度の短い出来事が頭の中で何度も繰り返される。


「あ、待って。……本当にごめん!」

 わざとらしく聞こえるくらいその声は自然だった。

「いや、まあ大丈夫だけど……」

 大丈夫ではなかったが「思い出すのに必死になってた」と栞が説明したので、気にするなと無理やりにでも自分に言い聞かせた。

「その、とりあえずこんな感じで……。大体理解した?」

 苦し紛れの確認に、苦し紛れのオーケーを言うしかなかった。

「あ、あとこれ」

「これが例の機械か」

「そうそう。使い方はもう大丈夫?」

「うん、近づいたらここを押せばいいんだよね」

 最初はかさばると思っていた機械だが、簡単に持ち歩けるようにコンパクトになっていて例えるなら車の鍵から金属部分を取り除いたような形状だ。本当にこんなもので何かが起こるのかと疑問に思うが、栞の存在がその疑念を払拭してくれていた。

「颯、最後にいくつか話さなきゃいけないことがある」

「うん、どうした?」

「まず並行世界について。多分まだ信じきれてないところもあると思うけど、もっと信じ難い意味わからないこと言うからうんざりしないでね。

 とりあえずもう少しでこの世界は閉じることになってる。その理由は今度絶対話すから。で、それに伴って今急ピッチで人々を他の世界に移動させようとしているの。けど移動には代償があってこっちの世界での記憶が消えてしまうの。正確にはこの機械が世界間の移動で記憶をリセットするように作られたんだけど、その話もまた長くなっちゃう。とにかく言いたいのは、この機械を使うと並行世界には行けるけど何の記憶もない人間になってしまうってこと。ちなみに並行世界はこの世界と全く景観の変わらない、でもこの世界と違うどこかで並行して存在している世界のこと」

「あのさ」

 確かに栞の話すことはすぐに受け入れられる話ではない。けどそれに目を瞑っても確認しなければならないことがある。

「まさか美咲もあっちの世界に行ったら記憶が無くなるなんてことないよね?」

「その機械でやれば当たり前のように無くなってしまう」

「そんな、じゃあどうしろと?」

「まあ、そこで活躍するのがこれってこと」

 そう言って栞が取り出したのはさっき渡された装置と同じものだった。

「さっきと変わらないように見えるけど」

「見た目は似せて作ってあるの」

「それで、これはどう違うの?」

「簡単に言うと、これを使えば記憶を失わずに向こうに行ける。けど再利用はできないし、そもそもこの機械は上に認めれてないから本当は使えない」

「バレたらどうなる?」

「バレたら、 殺される以外ないだろうね。」

 栞はさらっと言ったが自分の死がいきなり身近に感じられて思わず栞に渡されたリモコンから手を離してしまった。

「大丈夫?」

「ごめん……」

 栞は無言でそれを拾ってその手を俺に伸ばす。

「どうする?」

 俺はそれをしっかり受け取り、今度こそ強く握りしめた。

「俺が殺されるリスクがあっても美咲が俺たちを忘れる方がよっぽど怖い」

「じゃあ頼んだよ、颯。」

「うん、分かった」

 そう言うと栞は優しく背中を押してくれた。

「あ、そうだ。何回も引き止めてごめん。一応これもう一つ渡しとくね」

 渡されたのは美咲に使う予定の装置だった。

「なんで二つも?」

「なんとなく颯にはもう一つ必要な気がしたの」

「……ピンと来ないよ」

「大丈夫。使えって言ってる訳じゃないんだし。一応渡しとくだけ」

「そっか、分かった」

「いってらっしゃい」

 今度こそ現場に向かって歩き出した。時計は二十三時三分を指している。女子高校生と思われる声のする方へ暗視スコープを装着して急いだ。

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