Chapter6 風立ちぬ
第16話 人工知能
忙しい高校生活は俺に時の流れを忘れさせた。勉強も部活もバイトも学校行事もそのすべてが俺にとっては大切なもので欠かすことはできなかった。中学生だった時はあれだけ高校生の楽しい生活を夢見たのに今ではより自由を求めて大学生活を夢見ている。このままではきっと大学生になっても社会人を夢見ることになるだろうなと考える。今日も学校が終わると部活に出て、終わり次第急いでバイト先へ向かった。
高校生活最後の年の部活は皆熱が入り、練習の疲れが今まで以上に残る。その中バイトも継続が報われホールスタッフのチーフに任命された。よってシフトの数も自然と増えていく。入学当初から比べると想像もつかないくらい忙しく充実した日々を過ごしている。俺の身体がなんとか持ちこたえていることに我ながら驚く。いつか突然壊れてしまうような気がしていた。
だから今より少ないシフト、シフトというより仕事量で数倍のお金が稼げるという話を聞いた時には冷静を保ちたくても保てない自分がいた。俺がバイトをしているのは遊びのためではない。自分の学費を少しでも負担しなければならないと思ったからだ。特別貧乏な家庭ではなかったが、兄弟が多く家計に余裕があるとは言えない。親が楽になればいい。その思いだけで十分熱心に働く動機にはなった。
俺が部活後のバイトで三時間勤務した後時計は十時を指していた。全くいつも通りのことで、今日も丁度いい電車に乗って帰ろうとした。しかしそんな俺を後ろから誰かが引き止める。
「川上颯さんですか?」
無視しようかと思ったが体が勝手に反応して足が止まった。再び歩き出すのも変な感じがして、仕方なく後ろを振り返った。
「はい、そうですが」
そこには一見大人びているがよく見ると自分と同じくらいの年に見える女が立っていた。制服を着ている訳でもなく実際同じくらいかは分からなかったが、何故かその女をずっと前に見たことがあるような気がした。恐る恐る顔に目をやると丁度目が合ってしまい慌てて目を逸らしたものの空白の時間が流れた。
「で、何の用ですか?」
「……今、お金に困っていませんか?」
質問に質問で返してくる典型的なやりづらいタイプの人だと感じ、無意識に身構える。
それに質問の内容も内容だ。ここまでストレートに個人の問題に踏み入ってくる質問はそう経験したことがない。何を答えればよいか分からなかった。
「お金……、一応不自由ない暮らしはできてますけど」
ぼかした返事で女の様子を窺う。しかし探る間もなく次の質問をされた。
「では、もっとお金が欲しいと思いますか?」
「……まあ給料が増えればいいなとは思いますね。でもこれ以上シフトは追加できないし、今が稼げる最高額ですよ」
少し喋りすぎたと思ったが、女は表情を変えなかった。よく見ると手に持っている端末で何かを確認しているようにも見える。
「兄弟で他にアルバイトをしている人はいませんか?」
「まだ高校生になっていないので」
すると突然女は、雰囲気を変える。
「親の月収は平均よりやや高め。兄弟四人のうち三人は生産年齢に達しておらず、生活はできるが親子ともに我慢を強いられる毎日。親への財政的援助を口実に働くが、少なからず自分の懐を潤わせている。果たしてそのお金は何に使うのだろうか……」
「はぁ……?」
テンポよく流れる女の声に何も感じなかったが、よく考えれば何かすごいこと言っていないか?親の月収とか、世帯構成とか、なんで知ってる?適当に言葉を放っているだけだろうか。
「すみません、冗談です。」
「…………はぁ??」
冗談だとか言う女の顔が真顔なのは違和感しかない。折角反応したのに逆に呆れられた気がした。こっちの方が呆れているというのに。
「どこまでが冗談なんでしょう」
「私にもよく分かりません。」
解読不能なことを言われた人工知能のような返事をされたが、一体この女は何者なのだろうか。
「あの……それ何ですか?さっきからチラチラ見てるそれ」
俺は気になっていた端末のことを尋ねる。
「これですか?これは、普通のタブレットですよ。」
「その、何を見ているのかなって……」
「見たいですか?」
「まあ、できれば」
「じゃあその前に私の提案を聞いてください。その後に見せます。」
「……提案」
「そう、提案です。」
「内容次第ですけど……」
「分かっています。私がこれを見せるのもあなた次第なので。」
「……」
ところどころ言い回しが鼻につく。突き放すような、呆れるような、見下すような口調だ。同じくらいの年齢の人にそうされるのは少し悔しかった。時々言い返したくなるが、またその次に何か言われることを想像すると言い出せない。喉元がむず痒かった。
「で、提案って何ですか?」
「まあ話の流れで何となく想像ついているかもしれませんが、最近人手を必要としているアルバイトがありまして、そのお誘いということです」
「あ、そんなことですか……」
正直もっと面白くて衝撃的な話があるものだと思っていた。初対面とはいえ、同年代らしき雰囲気に期待しすぎていた。よく考えれば今の状況は闇バイトへの勧誘そのものじゃないか。こんなこと自分と同じ年齢の女性がさせられているとは……。世界は広さを実感すると同時に目の前の女を気の毒に思った。
「反応が適当ですね。」
「あ、すみません。でもあまり魅力を感じなかったので」
「まあ聞くだけ怪しいですもんね。」
「あの、こんなことを聞くのもあれですけど……大丈夫ですか?その、危険にさらされてるとか、お金に困ってるとか」
「優しいんですね。やっぱり」
「やっぱり、とは?」
「いえ、顔が優しそうだと思っただけです。」
「そうですか」
「でも残念ながら私は大丈夫です。あなたに情けを求める気は全くありません。それより今は自分のことを考えたらどうです?とても人を救うほどの余裕があるようには見えませんけど。」
少しの歩み寄りが見えた気がしたが、決してそんなことはなかったようだ。この女は人と話すのが苦手なのか、元々冷たい態度しか取れないのか正直扱いづらい。どちらにしても俺の中で彼女の印象は悪いままだった。
「すみません、もう夜も遅いし帰りますね」
俺はこれ以上進展がないと見て切り出した。しかし彼女は何も言わずに端末を覗いている。この場から離れていいのか分からなかったが、もうやれることはないと思った。軽く会釈だけして身体の向きを反転させ、彼女を背後に歩き出した。その時だった。
「三十万」
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