第15話 確かな記憶

 * * *



 死後の世界がこんなに静かなところだったとは知らなかった。もっと荒れ狂ったようにうるさくて恐怖に包まれた場所、いわゆる地獄。あるいは妖精が飛び交うような神秘的な場所、いわゆる天国。そのどちらかだと想像していた。良いことも悪いことも目立つほどしてこなかった私は果たしてどちらに行くのかと気になってはいた。

 しかし今、目の前に広がっているのはそのどちらでもなく音の無い、感情の無い、色彩もないようなそんな世界だった。目的地や課された使命があるわけでもない。ここからどれだけの時間が経てば現世と呼んでいた元の世界に再び生まれ直すことができるのか。死んだ後はてっきり案内がついてそれに従って過ごすものだと思っていた私は「無」という他ないこの世界で呆然と立ち尽くした。永遠に続く退屈な時間、ある意味ここは地獄なのかもしれない。

 しかし同時に、自分は死んだのか、という根本的な疑問に立ち返った。ここが死後の世界でなければ他に何があるだろう。とにかく前の世界を思い出して手がかりを見つけるしかない。私は出来る限りの記憶を辿った。

 まず思い出すのは肝試しのこと。怪しげな墓地に到着し、莉子、葵、真奈と進んでいく。色々あって気付けば目の前に男がいて何かを話した記憶があるが、よく覚えていない。男が近寄り抵抗できずに顔に触れられた。そしてその瞬間私は元の世界を去った。

 今思い出した部分で私がここにいる理由を説明できる手がかりは無かった。ただ男の言葉の中で気になることが一つあった。莉子、葵、真奈はこの世界にはもういない。そして私も同じところに行くことになる。という趣旨の話だったはずだ。つまり今、私がいるこの世界のどこかに三人がいるということではないか。


 三人を探す手がかりは意外にも沢山あった。なぜならここは元の世界と全く同じ様子だからだ。景観も設備も、流れる時間も。街ゆく人の様子がおかしいのは明らかだが、それを除けば全く一緒、まるで物語に出てくる並行世界のようだった。三人がいそうなところは大体の見当はつく。そこを探してみればいいのかもしない。幸い今いる場所も私の土地勘が発揮できる範囲内、とりあえず学校に向かうことにした。


 電車に乗り学校の最寄り駅までの七駅を通過する間、ふと小学生時代の親友を思い出した。どうしてこのタイミングで頭に浮かんだのか分からなかったが当時のことを回想しながら見る景色は心に染みた。夕日に染められた街、あの頃の私たちはこの時間になってもずっと遊んでいた。それなのに、いつからか、どうして離れてしまったんだろう。

 複雑な気持ちに浸りながら電車を降りた。


 何かが起こりそうな気がしていた。改札から出て、駅から学校までの道を歩きながら過去の記憶を遡った。しかし一人で感傷に浸る私とは対照的にすれ違う人々は皆、やはり「無」だった。高ぶった感情も結局抑えてしまうのはそのせいだ。図らずとも自分を客観視してしまう。

 学校の近くまで来てはいるが、少し疲れたので近くにあったベンチに腰かけた。大きくため息をつく。途端に全身の力が抜けて眠くなってきた。死んだ後でも眠くなるんだ、とおかしくなったが、それよりも眠気が勝ってしまい静かに目を閉じた。夢を見ることはなく何も感じずに時間が経っていく。その時間の経過さえ次第に分からなくなった。久しぶりの感覚で心地よかった。


 あれからどのくらいの時間が経っただろうか。外の様子にそこまで変わりはなく、少し暗くなったくらいだった。しかし変わっていないのは景色だけで、このどうすればいいか分からない状況に困惑していた。体は固まって声も出せない。死ぬ前と同じだ。けれど不思議と恐怖は無かった。


 少し前、私は誰かに肩を軽く叩かれた気がした。深い眠りについていたようで、目が半開きの状態で顔を上げた。するとそこには同い年と思しき男女三人が慎重に私の顔を覗き込んでいる。

「えっ、私……?」

 反射的に声が出てしまい、慌てて口元を押さえるが本当にどうしていいか分からず体が固まった。

「今ちょっと話しても大丈夫ですか?」

「あ、はい。……ん?」

「どうしました?」

「い、いや……」

 私が疑問符を浮かべたのは言うまでもなく、そこに立つ人物に明確な見覚えがあったからだ。見覚えどころの話じゃない。私の直感が正しければ目の前の彼女は昔の親友、絶対に忘れることのない存在だ。

「楓……?」

「え、どうして私の名前を……」

 その一言で私が彼女のことを覚えている逆は成り立たないのだと気付き悲しくなった。死後の世界の残酷さを噛みしめる。あまり馴れ馴れしくならないように心がけようと思った。

「多分、私あなたと小学生、……もしかしたら中学生の時にも仲良くしてた気がするの。違ってたらごめんね。いきなりこんなこと言われても分からないよね」

 死後の世界で莉子、葵、真奈を探そうとしていたら、心の中でそれ以上に求めていた楓に会う。まだこの状況が信じられなかった。だけどやっぱり元の世界から少し設定は変わっているらしい。楓は私の事を覚えていない。いや、知らないのかもしれない。

「あなたの名前は?」

 私のことを知らない楓がそう尋ねる。

「美咲。私の名前は美咲だよ」

「美咲……。美咲って……東雲!?」

「そう……、そうだよ楓!」

 楓……私のことをまだどこかで覚えていたのか。展開が急すぎる。楓は私をどのくらい覚えているのか、名字を知っているのだから本当に思い出してくれたのは間違えないはずだ。ここはどうしても確認が必要だ。

「どうして私のことを思い出したの?」

「私、小さい頃の記憶がこっちに来てからほとんど無くなっちゃってさ。こうやって外部から情報が入ってこないと思い出せないんだ。でも私の中で相当大きな存在だったんだと思う。だからこんなにすぐに分かったんだよ」

「あの……『こっちに来てから』っていうのは死んでからってこと?」

「死ぬ?」

「ここは死後の世界でしょ?」

 そう私が言うと楓は首を傾げて難しそうな顔をした。

 私は何かおかしなことを言っただろうか、それともここは……

「いや、ここは並行世界だ。」

 後ろの男子がそう言う。あれ?よく見るとその男子も、さらにもう一人も見たことがあるし、もっと言えば彼らだって親友だったじゃないか。

「壱希、海斗……」

「待って俺たちのことも知ってるの」

「うん、昔よく遊んだよね。って言っても分からないだろうからとりあえずこの世界のこと聞きたいな」

「分かった。ここは死後の世界とは全く異なる並行世界なんだ。並行世界っていうのは、元の世界と景色も時間軸も一緒だけど街の人々の様子がおかしいことから俺たちが勝手にそう呼んでるだけ。でも何らかの形で人間は元の世界からこの並行世界に移動して、その移動の過程で何かが起こって一般人の感情が失われたんだと推測してる。俺たちがどうして無感情にならず元の世界の記憶を部分的に残せているのかは見当もつかない。とりあえずこんなところかな。」

「なるほど、じゃあ私は死んだ訳じゃなくて何かが起こってこっちの世界に移動してきたってことね」

「そういうこと」

 ならこちらに来る前、最後に見た人物、颯が私に何かをしたということなのか。殺したんじゃなくて送り届けたんだ。私も莉子たちと同じところに行くことになる。そう言った颯の言葉の真意はつまりそういうことだったのだ。

「で、何で美咲は私のことも、壱希と海斗のことも知ってたの?」

 もう完全に私を思い出した楓が聞いてくる。それに対して私なりの解釈を話すことにした。

「さっき壱希が元の世界の記憶を部分的に残してるって言ったよね。それで私の部分的な記憶っていうのが友達の名前とか個人に関する情報が多く含まれるものなの、多分。けど壱希、海斗の部分的な記憶の中に私のことは含まれていなかった。ただそれだけだと思う。」

「そっか、私たちつい最近出会ったつもりだったけど、本当はずっと前に出会ってたんだ。そんなこと美咲に言われるまで考えもしなかったな」

「ただ覚えていなかっただけ、か。なんか寂しいね。」

「たしかにそういうことなら納得いくかも。けどほんとに何で覚えていないんだよ……」

「私は少しずつ思い出してきてる。海斗はそういう感じしない?」

「分からない。高校の前のことを思い出そうとすると頭が疲れちゃうんだ。でも何となく顔に見覚えある気はする。」

「俺も正直全くと言っていいほど思い出せない。けど楓が昔のことを思い出してきてるし、海斗も見覚えがあるってことだから以前深い関わりがあったのは間違えないと思う。」


 偶発的な出会いから私はあらゆることを知ることになった。まずここは死後の世界ではなく並行世界であるということ。ここで死んだらどうなるのか、今度は天国か地獄に飛ばされてしまうのだろうか。そんなことがふと頭によぎったが、今は考えないでおく。

 そしてこの世界では元の世界の記憶を失い感情を「無」にコントロールされた人間が限りなく百パーセントに近い割合でいるということ。それはつまり私たち四人以外は皆そうだいうことを意味している。

 その後の会話で楓には感情が色となって視覚化される能力があることを知った。私のこともその色を手がかりに見つけたらしい。無感情の人間たちは全身灰色に見えるとのことで、四人でいると彩度が高くまぶしいので目を完全には開けられないそう。

 私がこの世界に来る前の話をすると「やっぱり」と口にする楓。彼女によれば私たちの出会いは偶然ではなく必然。他にもまだ同じ境遇の人がいるかもしれないとのことだった。私は昔いつも一緒にいた仲間を思い出す。

 あと二人……。楓、壱希、海斗の他にまだあと二人いる。そしてその一人は颯。もう一人は……。


 どうして自分がこんな運命を辿ることになったのか。どこが分岐点だったのか。今となっては何も分からない。けれど私は否が応でも何かの使命のようなものを感じずにはいられなかった。そして足がすくみ、自然と膝を地面につく。呆然として空を見上げると東の空に雲がゆっくりと旅をするように流れているのが見えた。今から日が暮れるというのに、その空が何か始まりそうな夜明けを感じさせる。あと二人、きっとすぐに会える。

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