Chapter4 西日の射す海に溺れて

第12話 西日の射す海に溺れて

 俺に青春の記憶など一つもなかった。そもそも青春という言葉自体最近知った言葉だ。

 俺は物心がついた時から周りと自分とは何かが違うことを理解していた。周りの人間は皆一人を好み、接触をせず淡々と自分のすべきことをこなす。はじめはそれに合わせていたが頭がおかしくなりそうでやめた。時々学校を休んだりもしたが、感情が失われた彼らの目は、

「休むなんて、どうしてそんな非効率なことをするの?」

 と訴えてきているようだった。


 俺には小学生から中学卒業までの記憶が全く残っていない。小学校入学前の記憶もほんのわずかに過ぎず、断片同士を繋げ合わせるにも至らないほど記憶のピースは少なかった。要するに生まれて、気づいたら高校生になっていたということだ。

 しかしそのピースの中にある友達と一緒に過ごした、やりたいことを好きなだけやった、全力で楽しんだ記憶が今、俺の行動を司る幹となっていることは確かだった。だからこそこの生活には違和感しかないし、まだ夢の中にいるんじゃないかという希望を胸に抱こうとする時もある。誰にもこの悩みを打ち明けられないまま、ただ時は過ぎた。高校入学から二年経ちやがて俺の心に感情が宿ることは無くなった。


 * *


「海斗、海斗!」

 どこか聞き覚えのあるようなないような声が俺の名前を呼んでいる。しかし視界が真っ白で目を開けられない。

「誰だ……」

「私たちのこと覚えてないの?」

 これは夢だろう。ならば今、視界の向こうにいる声と会話する必要は無い。だけど自然と口が動く。

「顔が見えないから分からないんだ」

「顔が見えなくても前は声だけで分かってたじゃん」

 声が複数聞こえた。不思議なことにその全てが聞き覚えのあるものだった。今俺は夢の中にいるのか?自分で言葉を発することができる状態は夢とは言い難い。でも自由に体を動かせるわけでもなかった。

 それに、前提としてこの世界は皆無感情であるはずなのにどうしてそんなに明るいんだ。高校生になって以来夢を見なくなっていた。ただの休息の時間でしか無かった。それが今は夢のようなものを見ている。明るい五人の声を前に俺はどうすればいいか分からず、怖くなって思わず目を閉じた。

 すると同時に視界が明るくなって気付くと自分の部屋にいた。夢で目を閉じて、現実で目を覚ますという現象に混乱しながらも、やはりあれは夢だったのかと考えが落ち着く。それにしても久しぶりの夢で、どこかメッセージ性が感じられるものだった。俺の根底にある無感情に対する不満が再び呼び起こされたような気がした。

 今日は何かあるかもしれない。


 憂鬱な日々を朝まで同じように過ごしわずかな非日常への期待を込めて学校に入った。すると変化はすぐに分かった。変化と言っても全体的に変わった訳ではなくほんの一部分だけの話である。

 朝、教室に入ると例のごとく全員ただ椅子に姿勢よく座り、前を向くか、何か作業をするかしていた。しかし、机に伏せたり猫背になったりとやけに緊張感のない生徒が一人いた。

 同じクラスにこんな人いたっけ……?

 他の生徒を皆同じ機械人間のように見てきたためずっと気付かなかったのだ。いや、もしかするとその人が今日からいきなり変化したのかもしれない。よく分からないが時々彼女が見せる疲れた様子にある種の共感を覚えたのは言うまでもない。あの人は誰だろう。それから彼女のことを目で追う毎日が始まった。


 彼女は寝不足なのか、よく机に伏せていた。以前自分も同じようにしていたことを思い出す。しかし向けられる視線に耐えられなくなりやめたのだ。注意されたり、罰を課されたりすることは決してなかったが、彼女の怖気付かない様子に少し尊敬の念を抱いた。時には人と業務連絡を交わす際、もとの世界の癖が残っているのか愛想笑いが混じっていたりもした。突然話しかけられて笑顔で対応しようとするが相手の無表情を見た途端に頬を強ばらせる。そんな様子が可愛らしい気がしたのはきっと彼女をどこかで見たことがあるように感じたからでもあるだろう。


 毎日彼女を見ているともとの世界ではなんて心の広い人だったのかと思う。最近は慣れてきたのかあまり人間らしさを見せることはないが、それでも彼女は常に他者への思いやりを欠かさなかった。その思いやりが必要ないと分かった後でもやはりそれを続けた。


 話してみたい、そう強く思った。彼女と思っていることを共有して、そして一緒にこの不可解な世界を乗り越えていきたい。目も合わせたことのない彼女にこんな気持ちを抱くのはおかしな話だ。でもそれだけ「曖昧」な六年間と「空白」の九年間と「無」の二年間が俺を縛りつけていたのだ。その縛りから解放されつつある今、何を隠そう、俺はまさに運命と言うべき出会いを果たしている!

 ふと我に返りこれ以上感情が進まないようにブレーキを踏んでおくことにした。


 彼女の名前は夢咲楓というそうだ。この間彼女が担任にその名前で呼ばれていたのだ。

 西園寺海斗、向こうは俺の名前なんて知りもしないのだろうと思うと悲しくなった。お金持ちっぽい、とかでも思ってくれてないかな、なんて妄想してみる。

 そういえば楓さんは初めて出会う前夜に見た夢で聞こえた声とそっくりの声をしている。「夢咲」さんだから、俺の夢にわざわざ花を咲かせにきてくれたのかな、とまた都合のいい妄想が浮かんだ。いや、既に現実で花を咲かせてくれているじゃないかと余計なことを考えたりもした。


 ある日の朝、教室に入ると決まって机に突っ伏している楓さんの姿がなかった。休みでは無いだろうからきっといつもより遅く家を出たのだ。でも俺がそもそも来るのが遅いのに今来てなくて間に合うのか?

 しばらくボーッとしてみたがやはり心配になってしまい席を立った。もう校舎にはいるだろうか、いないなら玄関からでも楓さんを確認しておきたい。勢いに任せて廊下へ出た。


 あれ、楓さん?


 廊下の先には楓さんの姿があった。ちょうど今階段から上がってきたところなのだろうか。安心して教室に戻ろうと思ったが、よく見るとそばにもう一人生徒がいた。

 男? 見たことのない顔から楽しそうな笑顔がこぼれる。その笑顔を見て彼にも自分と同じようなものを感じた。楓さんを初めて認識した時と似ている感覚だった。


 チャイムの鳴る時間が近づき二人の会話は間もなく切り上げられた。俺も慌てて教室に戻ったが、何か変なものが心に残ったままだった。

 一時間目はほとんどの授業の音が右から左に流れていった。思考が止まった状態で聞く授業はこんなにも無意味なものなのかと思い知らされた。


 一時間目が終わり、気分転換に廊下に出て意味もなく手を入念に洗った。そしてゆっくり歩きながら教室へ戻った。ふと、前から楓さんが歩いてくるのが見えた。勝手に気まずく感じてわざとらしく視線をずらしてすれ違う。

 何も起こらなかった。そもそも向こうはこちらのことを知らないし、どうしてここまで意識してしまうのか自分でも分からなかった。悔しくてつい後ろを振り向いてしまう。


 ……えっ?


 振り向いた先にあったのは同じように振り向いた楓さんの姿だった。互いに目が合って一秒もしないうちに少しうつむいたが、何度見てもそれは楓さんで、彼女が見る対象は俺だった。嬉しさより恥ずかしさが勝ってそれからすぐ歩き出してしまったが心は大きく浮ついていた。

 何が起きている……?

 二時間目は刹那のごとく過ぎ去っていった。

 一時間目終了後とはまた違った意味で気分転換が必要だったので同じように手を洗いに行った。

 すると誰かに肩をたたかれた気がした。後ろを振り向くとそこには楓さんがいて再び彼女と目を合わせることになってしまった。あまりに唐突で逃げ出しかけたがなんとかこらえた。

「何かありましたか?」

 この休み時間はほとんどの生徒が教室にいるようで廊下には誰もいなかった。

「いきなりごめんなさい。とりあえず話したいことがあるから昼休みついてきてくれないかな」

 楓さんは俺の顔色を慎重に窺っていた。同じ種類の人間なのかまだ判断しかねているのかもしれない。

「何の話ですか」

 俺はあくまで無感情を演じた。もし何かの罠だった場合を考えると気を許すのはまだ早い。いくら楓さんだとしても。

「その……、この世界おかしくないですか?っていうような話を……。そっかまだ自己紹介してなかった。私は夢咲楓です。海斗くんだよね、勝手に認知しててごめん。教卓の上にある座席表見て確認したんだ。もし信用してくれるなら、昼休みとかに……」

 俺も勝手にあなたの名前を認知していたんだけど、そう思ったがここまで親近感のある話し方は高校に入ってもちろん初めてだった。遠い昔の記憶にこんな話し方の人がいたような。

 この世界おかしくないですか?

 俺が一番求めていた共感だった。疑って申し訳なくなった。

「あの、昼休みついていきます。どこに行くんですか」

「ほんとに?ありがとう。とりあえず場所はまだ秘密で。もう一人同じ境遇の人がいて、壱希っていう名前なんだけど、その人と私で先に行くから。海人くんはそのちょっと後をついてきて欲しい。人数多いと目立って危険だから。あと誰にも見られないように来てね。絶対だよ。」

「分かりました」

「それじゃ、また後で」


 壱希という人物はきっと朝話していた男子のことだろう。心臓の拍動がまだおさまらない。昼休みはどんなことを話すのか、どこで話すのか、楽しみだった。まともに人と話すのは久しぶりで、上手く話せるか少し不安だ。色々な感情が混ざる中、三時間目もすぐに終わりを迎えた。昼休みの始まりを告げるチャイムと同時に席を立つ。楓さんが教室から出る前に目を合わせた。彼女の背中を見失わないギリギリの距離を保ちながら後に続いた。


 楓さんと壱希くん、二人はごく自然に合流し、一緒に歩き出した。壱希くんはやっぱり朝見た男子だった。階段を降りて少し歩き二人は玄関の近くにある生徒用ではない出口から外に出た。

 外……?てっきり校舎内だと思っていたが、正直外で大した場所はない気がする。一体どこに行くつもりなんだろう。周囲に人がいないか確かめながら、謎の目的地にむかっていく。


 前の二人が螺旋階段を登り始めた時、ようやくその目的地が屋上だと理解した。この学校に立ち入り可能な屋上があるとは聞いたこともなかった。足場の隙間から地面がよく見える螺旋階段に怯えながらぐるぐると登っていく。


「あ、来たきた!こっちだよー」

 手を振る楓さんと少し困惑する壱希くん。俺が来ることは知らされていなかったようだ。それから三人で自己紹介とアイスブレイクを行い、この世界に対して思っていることや新たに判明した事実、様々なことを話した。聞けば壱希は昨日楓に会ったばかりだという。

 初対面で心を許していいのか不安だった午前中の自分とは違い、今は久しぶりの他愛ない会話を心から楽しんでいた。午後の授業はあっという間に終わり、折角だから駅まで一緒に帰ろうという話になった。待ち合わせは玄関から出てすぐのところ、他の人達がある程度帰ってから集まることにした。

 これからどうなるんだろう。ここ数日の出来事から今日の出会いまで全てが必然性を帯びているように感じた。


 三人揃ってダラダラと歩き始めた。周りに人はいない。話題が尽きることもなく自由な気持ちでいられた。しばらくそうして歩いていた。

 駅までの道のりを半分くらい歩いたところで急に楓が立ち止まった。壱希と俺は心配そうに見る。楓の顔色が読めない。

「あの人、色ついてる……」

 少しの間を空けて楓はそう口にした。

「えっ……」


 そうだよな、たしかに三人じゃ足りないよな。

 壮大すぎるストーリーを前にして足がすくみそうになった。そんなストーリーの中心人物に何で俺が選ばれたんだ。とても務まりそうにない、そう思ってまた一段と足の力が抜けていった。

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