第3話 破裂

 後日、母が私を呼んで話がある、と言い椅子に座らせた。

「楓、この前ね、保育園の先生から電話があったの」

「電話?どうして?」

「楓の腕がどうこうって、ちょっと分かりにくい話をしていたわ。金魚鉢をすり抜けたとか、怪我はないかとか、何か心当たりある?」

「腕のことね。おかあさん、私すごいことできるんだよ。ほら見て」

 母が不思議そうに何するの、と聞いてきた。

 いいから見てて、と私は言って壁に向かって腕を引いた。

「ちょっとまって楓。女の子なんだから壁を殴るなんておかしなことはやめなさい」

「なぐったりなんてしないよ、私の腕はここをすり抜けられるんだから」

「すりぬけるって、全くどうしたの。早くこっち戻ってきて」


 母の言葉には少しも耳を傾けず、私は壁に向かって腕を伸ばした。母は半ば呆れ顔である。それでもゆっくり壁に触れて私は母の方を振り向いた。そして自分の手が静かに沈んでいくのを実感していく。


「おかあさん、見て!」

 コツを掴めたのだろうか、二連続で成功するなんて初めてのことだ。もしかしたらこの能力を自分の中でコントロールできるようになるかもしれない。そんな妄想も少し浮かんだ。単純かつ使い道の限られてそうな能力だが、自由に使えるようになれば楽しいに違いない。心が上の空な私は、しかしながら自分が犯した過ちに気付くことができなかった。


「楓!やめなさい!」


 明らかにさっきまでとは違う母の語調に私の腕は止まった。

「あっ……」

 その大きな過ちに気づいたのは、母がしばらくしてすすり泣き始めたからだった。私はその壁の裏側に何があるかを思い出した時、本当に手が凍りついた心地がした。

「あなた、ごめんね……私がちゃんと育ててあげられなくて」

 母はこの言葉を今は亡き夫、私の父に向けて発していた。そして身体を小刻みに震わせながら、ごめんね。ごめんね。と何度も謝っていた。

 私は胸が痛んで仕方がなかった。天ノ川色の絵の具をショーケースから取ったあの時以上に確たる罪の意識は残り続けた。

「おかあさん……ごめんなさい」

「楓、あなたが謝ることじゃないわ。私が悪いんだから。ねえあなた、どうすれば許してくれる?ねえ、ごめんなさい。ごめんなさい。」


 私は父の遺影や遺品が置いてあるところの壁を貫いてしまったのだ。母にとって最愛の人との思い出を娘に切り刻まれたことへの気持ちは、言葉で形容することのできないものだった。あれから母はおかしくなってしまった。日常生活ではずっと亡き父に謝り続け、そして突然泣くようになった。どれだけ謝っても「私が悪いんだから」の返答しかない。この状況を解決する術は何も持ち合わせていなかった。

 とにかく忘れてもらうしかない。

 私はこの能力を一生使わないと違った。

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