悲劇のうた

「やあ海斗くん。こんな所で何やってるんだい?」


 町中で、後ろからいきなり声をかけられた海斗。振り向くと、目の前には営業マンの崎村が立っていた。仕事中らしく、地味なスーツ姿で革のカバンを片手に持っている。会えたのが嬉しくてたまらない、とでも言いたげな様子で、ニコニコしている。

 海斗も、微笑みながら頭を下げた。


「ああ崎村さん、こりゃどうも。俺もそろそろ、この町とおさらばしようかと思いましてね。平和な昼間のうちに、あちこち見て回ってるだけですよ」


 そう、海斗は久しぶりにのんびりと町を散歩していた。改めて、この町にたくさんの思い出があることに気づかされる。幼い頃から、ずっと暮らしていた真幌市。だが、その思い出の大半が悲しい記憶となってしまった。今は楽しさよりも、つらさの方が大きい。

 無論、今日子と明日菜の存在を忘れた訳ではない。出来ることなら、あの姉妹の成長を見届けてから去りたかった。それだけが、今の唯一の心残りである。


「そうか。俺も、それがいいと思うよ。欲を張らず、地に足の着いた生き方をするのが一番さ。真面目に生きるのも、やってみると意外と楽しいもんだよ。君も、自分なりの生き甲斐を見つけるといい。そうすれば、今よりずっと実りの多い人生を送れる。人生、金だけじゃないんだよ」


 そう言って、崎村は笑みを浮かべる。


「そうですか。俺に何が出来るかは分かりませんが、まずは真面目に働いてみますよ」


「うん、それがいいよ。海斗くん、君なら何だって出来る。とにかく、ヤクザなんかと付き合ってちゃダメだ。ヤクザには、いい人なんかいない。悪い人と、もっと悪い人がいるだけだ」


 崎村は、真剣な表情で訴えている。この男は、本気で海斗のことを心配してくれているのだ。

 海斗も、思わず微笑んでいた。この崎村という男は、本当に性格のいい人だ。会社でも、優しい男で通っているのだろう。

 だが、こういうタイプは出世街道から外されるものだ。優しいがゆえに、人の頼みを断ることが出来ない。挙げ句、こんなヤクザがドンパチするような町に送り込まれてしまったのではないか。いかにも有りそうな話だ。


「本当ですね。ヤクザなんか、本当にクズですよ。てめえらで殺し合う分には勝手ですがね、何で無関係の人を巻き込むのか分かりませんよ。戦争やるなら、サバイバルゲームみたいにひとけの無い場所でやって欲しいですね」


 言いながら、海斗は小林のことを思い出した。本当に優しく、強い男……いや、強い人間だった。今まで、何度助けられたか分からない。小林こそ、海斗にとって友人であり、よき兄貴であり、さらには姉でもあった。

 その小林も、今はもういないのだ。


「海斗くん、君は心の真っ直ぐな優しい人間だ。俺にはわかる。君は、ヤクザには向いていないよ。そもそも、ヤクザなんかと関わっちゃいけない」


 崎村の言葉に、苦笑する。かつて、同じことを言っていた人がいた。


「小林さんからも、前から何度もそう言われてましたよ。俺も最近になって、ようやく気付きました。俺は、この業界には向いてないです。それに、この一連の出来事を見ていて、ヤクザと関わるのが心底から嫌になりました。奴らは、本当にクズです」


 しみじみと語る。そう、彼はヤクザが心底から嫌になってきた。もともとヤクザになる気などなかった。ヤクザを上手く利用し、この業界で生きていく。そんな虫のいいことを考えていたのである。

 しかし、今では関わるのも嫌だ。自分の認識がいかに甘かったか、この一連の事件を通じて思い知らされた気がする。


「小林さんは、本当に君のことをよく理解していたんだね。でも、俺もそう思うよ。君は、あんな連中と関わっちゃいけない。君はまだ若いんだ。これから、何だって出来る。君も、自分の進むべき道を探してみるんだ。自分の道、それは金よりも大切だよ」


 熱い口調で語っている。普段の海斗なら、うっとおしいと感じていただろう。だが今は、崎村の言葉を真剣に聞いていた。


「そうですね。しかし、俺の進むべき道かあ……いったい何だろうな」


 言いながら、考え込む海斗。これから、果たして何をすればいいのだろうか。

 その時、明日菜の発した言葉を思い出した。


(なれるの。海斗はいつか、ライガーマスクみたいになれる……カッコいい正義のヒーローに。あたしは、そう思うの)


 さすがにライガーマスクは無理だとしても、孤児院にいた子供たちを助けられるような、そんな仕事がしてみたいという気持ちはある。

 そのためには、何が必要なのだろうか。


「まあ、とりあえずは高卒の資格でも取ってみますかね。今の俺は、ただの中卒ですから。何の資格もないですし」


 海斗の言葉に、崎村は笑顔で頷いた。


「それはいい考えだと思うよ。学歴があれば、君の世界もぐんと広がる。視野も、これまでよりずっと広くなるはずだ」


「そうかもしれませんね」


「少なくとも、これだけは自信を持って言えるよ。あのヤクザの庄野なんかよりは、ずっとマシな人間と出会えるから」


 なおも熱く語っている。海斗は頷いたが、その時ふと違和感を覚えた。この男は、庄野のことをどうやって知ったのだろうか。堅気の営業マンである崎村が、ヤクザの幹部である庄野と知り合いだとは思えないが。


「ところで崎村さん、あんた庄野のことを知ってたんですか?」


「えっ? あ、ああ……小林さんから聞いたんだよ。小林さんも、あれには困らせられていたみたいだからね。会う度にぼやいてたくらいさ」


「ああ、小林さんからですか。いや、あの庄野は本当にとんでもない奴でしたよ。狂犬ですね、あいつは」


 言いながら、海斗は顔をしかめた。

 その時、またしても違和感を覚える。僅かではあるが、どこか引っ掛かる点があった。具体的にどこなのかは分からないが、何かがおかしい気はする。その違和感の正体は、いったい何なのだろうか。

 しかも、小林は他人の情報を安易に喋るような人間ではないはずだ。


「ところで、君はいつ旅立つんだい?」


 崎村の問いに、海斗は我に返る。そう、今さらどうでもいいことだ。崎村は無害な男であり、ここを離れれば、もう会うこともないだろう。些細な違和感など、気にしても仕方ない。


「そうですねえ……いろいろ準備はありますが、遅くとも来週には、ここを離れますよ」


「そうか。元気でやるんだよ。ここで君のような若者に出会えて、本当に良かったと思っている。君自身が変われば、君を取り巻く環境も変わる。周囲にいる人間も変わる。大切なのは、君自身が変わることだ。それを忘れないでくれ」


 そう言うと、崎村は去って行った。


「君自身が変われば、か」


 去り行く崎村の後ろ姿を見つめながら、ひとり呟いた。確かに、自分は変わった。だが、変わりたくて変わったのではない。

 変わらざるを得なかったのだ。周りを取り巻く状況が大きく変化し、自分も変化せざるを得なくなった。

 海斗自身は、変わりたくなどなかったのだ。

 真幌市をうろつき、小林の店に入り浸り、夜は瑠璃子に会いに行く……そんな生活が、いつまでも続くはずだった。

 改めて、今までの生活がどれだけ幸せなものであったかを思った。




 夕方になり、海斗は孤児院へと向かう。この町にいられるのも、あと少しの期間だ。孤児院の子供たちには、出来るだけの事はしてあげたい。特に、今日子と明日菜の姉妹とは今のうちに出来る限り触れ合っておきたかった。

 孤児院に到着し、周りを見回す。庭では、子供たちが楽しそうに遊んでいる。だが、明日菜の姿が見えない。いつもならば、ウサギ小屋のそばでしゃがんでいるはずなのに。もしかしたら、またひとりでルルシーの所に行ってしまったのだろうか。


「おい健太郎、明日菜を見なかったか?」


 海斗は、庭で遊んでいる健太郎に声をかけた。すると、健太郎はこちらを向いた。


「ああ、宮田明日菜か。さっき姉ちゃんと手を繋いで遊びに行ったけど。ああ、そういや伝言を頼まれてたんだ。海斗が来たら、先に行ってるって伝えてくれって」


「えっ、今日子と明日菜がか? 先に行ってる?」


 海斗は考えた。二人そろって出かけた。しかも、先に行ってると伝えてくれとは……ひょっとしたら、廃工場にいる野良猫のルルシーに会いに行ったのかもしれない。

 いや、かもしれないではない。間違いなく廃工場であろう。


「何だよ、しょうがねえなあ。だったら、ちょっと行ってみるか」


 そう言って、歩き出そうとした時だった。健太郎に腕を掴まれる。


「なあ海斗、どこ行くんだよ。たまには遊ぼうぜ。プロレスやろうよプロレス」


 言いながら、海斗の腹に逆水平チョップを見舞ってくる。

 だが、海斗は迷っていた。もし万が一、あの姉妹に何かあったとしたら?

 しかし、すぐに思い直した。これまでの一連のヤクザ絡みの襲撃事件は、全て夜中に起きている。いくらヤクザと言えど、まだ日の出ている内からドンパチやるとは思えない。今回は今日子も付いているし、大丈夫だろう。

 それに、健太郎とももうすぐ会えなくなる。この少年にも、今のうちに出来るだけのことをしてやりたい。


「そうか、プロレスか。じゃあ俺は、ギガント鳥羽だ。ほら、かかってこい健太郎! シュポポポ!」


 奇怪なかけ声を上げながら、海斗はわざとスローモーな動きで両手を挙げた。次の瞬間、健太郎の頭に物凄く遅いスピードの脳天唐竹割りチョップをくらわす。それに対し、健太郎は笑いながら海斗に体当たりを放った。すると他の子供たちも寄って来て、二人の闘いに歓声を送る。

 海斗と健太郎はしばらくの間、庭で楽しそうにじゃれ合っていた。その様子を、楽しそうに見つめる子供たち。さらに園長の後藤も出てきて、その丸い顔に満面の笑みを浮かべながら見ている。

 とても幸せそうな風景だった。


 ・・・


 その頃、今日子と明日菜はというと……仲良く手を繋いで歩いていた。二人の目的は海斗の読み通り、廃工場のルルシーに会うことである。明日菜はニコニコしながら、今日子の顔を見上げた。


「お姉、今日はルルシーさんにパンあげるの。給食のパン、食べずにとっといたの」


 嬉しそうに語る明日菜に対し、今日子は困惑したような表情を浮かべる。


「うーん、ルルシーはパンを食べるかなあ……まあ、試しにあげてみようか」


「もしルルシーさんが食べてくれなかったら、その時はウサギさんにあげるの。ウサギさんなら、きっと食べてくれるの。鼻をヒクヒクさせて、美味しそうに食べてくれるの」


 そう言いながら、明日菜は楽しそうに笑った。


「ふーん。明日菜は、本当に動物が好きなんだね」


「うん、動物は大好きなの。いつか、ルルシーさんと一緒に暮らしたいの。あと、ウサギさんとか犬さんも飼ってみたい。いっぱい飼って、みんなで仲良く暮らしたいの」


「そっかあ。じゃあ、お姉ちゃんはいっぱい働くよ。そして、二人でペットの飼える広いおうちに引っ越そうね。あたし、いっぱい頑張るよ明日菜」


 言いながら、今日子も嬉しそうに微笑んだ。

 やがて二人は、けばけばしい看板が付けられたスナックの前を通りかかった。まだ営業時間ではないため、看板に明かりは点いていない。それでも、その看板の派手さは周囲の店を圧倒している。

 そんな中を、姉妹は言葉を交わしながら、楽しそうに歩いて行く。しかし、そんな二人のそばで悪魔が微笑んでいることには誰も気づいていなかった。そもそも、まだ夕方であるにも関わらず、その周辺には通行人が全く居なかったのだ。

 人気ひとけの無い繁華街において、悪魔の存在に気づくことが出来た者は、ただのひとりも居ないような状況だったのである。




 人通りのほとんど無い繁華街を、ボロボロのダンプカーが走っていた。

 不思議なことに、そのダンプカーにはドライバーがいなかった。助手席にも荷台にも、誰も乗っていなかったのだ。にもかかわらず、凄まじいスピードで町中を走っていた。

 そんな無人ダンプカーの進む先には、ひときわ派手な、けばけばしい看板の付いたスナックがあった。ダンプカーはスナックを目がけて、一直線に走っている──


 もしも今日子と明日菜が会話せずに歩いていたなら、おかしな気配に気づけたかもしれない。こちらに向かい走って来るダンプカーの存在にいち早く気付き、避けることが出来たかもしれなかったのだ。

 しかし、二人はとても仲の良い姉妹だった。母親が事故で亡くなり、父親が蒸発して以来……二人きりで助け合って生きてきたのである。時には喧嘩をすることもあったが、すぐに仲直りできた。今日子と明日菜は、本当に仲の良い姉妹だったのである。

 その時も、二人はお互いを見つめ合い、手を繋ぎ、楽しそうに言葉を交わしていたのだ。

 今日子が接近して来るダンプカーの存在に気づいた時には、既に手遅れであった。

 ダンプカーは、既に姉妹の数メートル先にまで迫っていたのだ──


「あすなあぁぁ!」


 叫ぶと同時に、今日子は咄嗟に明日菜を抱きしめ避けようとする。彼女は必死であった。迫り来る鋼鉄の巨獣から身を呈して妹を守り、逃れようと地面を転がり体をくねらせた──

 しかし、十トンを超す重量のダンプカー……その突進を避けることは出来なかったのだ。

 ダンプカーは猛スピードでスナックに突っ込み、中の物を破壊し尽くした。

 そして、間にいた姉妹も──


 全身の骨と肉とを、巨大なダンプカーの衝突により一瞬で潰され……幼い姉妹は、痛みすら感じる間もなかったであろう。

 だが、その体は無惨な形に変わっていた──





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