陰謀のうた
海斗はひとり歩きながら、様々なことを考えていた。
そうしているうちに、孤児院へと到着していた。庭では、いつものように数人の子供たちが遊んでいる。
さらに、ウサギ小屋の前には明日菜がしゃがみこんでいる。これもまた、いつも通りの平和な風景だ。ウサギは鼻をヒクヒクさせながら小屋の中でひょこひょこ動き回り、その様子を明日菜は楽しそうに見つめている。
「よう明日菜、海斗お兄さんと遊ぼうか」
海斗が声をかけると、明日菜は顔を上げた。すると、満面の笑みを浮かべる。
「ウサギさん、海斗が遊びに来たの。また明日なの」
小屋の中のウサギにそう言うと、明日菜は立ち上がった。ぱたぱたと駆けて来る。
「海斗、今日は何して遊ぶの?」
「そうだなあ。とりあえず、ルルシーの所にでも行くか?」
海斗の言葉に、明日菜は首を横に振った。
「ルルシーさんには、お姉と一緒に会いに行くの。お姉と約束したの」
「そうか。じゃあ、今日子ちゃんが帰って来たら、三人で一緒に行くか」
「うん、三人で一緒に行くの。みんなで、ルルシーさんと遊ぶの」
その声の直後、今日子が帰って来たのが見えた。すると、明日菜の顔に笑みが浮かぶ。
「あ、お姉なの。お帰りなさいなの」
「明日菜、ただいま」
今日子の顔にも、笑みが浮かんでいる。その時、海斗の中に後ろ髪を引かれるような思いが掠めた。出来ることなら、この二人の成長をもっと見ていたかった。せめて、今日子が中学校を卒業し就職するまでを見届けたかった。
だが、それは出来ない。自分がこのまま居続ければ、孤児院のみんなにも迷惑をかける事になるかもしれない。あの庄野はしつこい男だ。もし万が一、海斗が庄野に目を付けられたなら……奴は、子供が相手でも容赦しないだろう。
「いつも明日菜がお世話になってます」
そんな気持ちをよそに、冗談めいた口調で明るく挨拶する今日子。海斗は、暗い気持ちを押し隠して微笑んだ。
「今日子ちゃん、これから三人でルルシーの所に行かないか?」
「えっ、いいですね! 行きましょうか!」
三人は喋りながら、町を歩いていく。相変わらず物々しい雰囲気ではあるが、この時間帯ならまだ大丈夫だ。
やがて、廃工場に到着した。海斗が懐中電灯を点け、ひとりで先に進んで行く。今日子と明日菜は、後に続いた。
「ルルシーさん、いるの? 出ておいで」
明日菜の言葉に、にゃあという声が応えた。直後、二つの小さな目が闇に浮かぶ。
「ルルシーさん、おいで。美味しいご飯、持ってきたの」
明日菜の声に、またしても「にゃあ」と応える声。やがて黒猫は、のそのそと歩いてきた。心なしか、少し太ったような気もする。
「ルルシーさん、今日はチーズと煮干しを持ってきたの」
明日菜は自身の手のひらに煮干しを乗せ、ルルシーの前に差し出した。
ルルシーはふんふんと匂いを嗅ぐと、美味しそうに食べ始める。そんな少女と猫の姿を、微笑みながら見つめる海斗と今日子。
「ルルシー、本当に可愛いですね……人にも馴れてるし。あんな猫、どうやって見つけたんです?」
「あ、ああ。この辺りで仕事をしてる時に、偶然見つけたんだよ。連れて帰りたかったけど、ウチはペット禁止だからさ」
思わず、適当な作り話をした。瑠璃子の話は、さすがに出来ない。その時、今日子がすっとんきょうな声をあげる。
「うわ! ルルシー可愛い!」
見ると、ルルシーは仰向けになり、喉をゴロゴロ鳴らしている。明日菜はニコニコしながら、ルルシーの腹を撫でていた。
その光景を見て、思わず笑みがこぼれる。その時、明日菜が顔を上げた。
「ねえ海斗、小林のおじさんは、もう来ないの?」
無邪気な一言だったが、海斗の胸を抉るには充分であった。自身の動揺を隠し、無理やり微笑んで見せる。
「小林のおじさんはな、いろいろ忙しいんだよ」
「ふうん。小林のおじさんにも、ルルシーさんを見せてあげたかったの」
言いながら、ルルシーを撫でる明日菜。海斗は切ない気分になりながらも、その光景を見つめていた。
・・・
その頃、沢田組の幹部である庄野政弘は地下駐車場にいた。今はジャージを着て、冷酷な表情を浮かべ下を向いている。
庄野の視線の先には、両手両足をダクトテープで縛られた男が床に這いつくばっている。顔は血まみれで無惨に変形し、髪はボサボサに乱れている。その口からは、途切れ途切れに呟くような声が洩れていた。
顔の見分けもつかない状態だが、彼こそが
ところが、向井の友人は恐ろしく薄情な男だった。自宅に向井が潜伏していることを、知り合いの沢田組の組員に密告した。あっさりと、何のためらいも無く即座にバラしたのだ。
チンピラ同士の人間関係など、しょせんはこんなものである。こういった人種は普段、友だちだの仲間だのといった関係を重視する。しかし、その実は利益がない限り、真っ先に裏切るものなのだ。
こうして向井は、駆けつけた組員たちに身柄を確保されてしまった。その後は、庄野から長時間に渡る凄まじい暴行を受け続け……今となっては、意識すらはっきりしていない状態だ。
「さて、俺の前から逃げ出そうとした大バカ野郎を、こうして無事に確保することが出来た。これも、忠実かつ勤勉なるお前らの働きのお陰だ。ご苦労」
言いながら、庄野は顔を上げて周りを見回す。そこには、数人の男たちが立っていた。みな年齢や服装はまちまちだが、明らかに堅気でない雰囲気の持ち主ばかりだ。神妙な顔つきで、庄野と向井を交互に見ている。
「この、どうしようもないバカの始末は後で考えるとして……お前ら、ダンプは用意できたのか?」
「はい。知り合いの土建屋を脅して、ダンプを手配しました。その土建屋は明日か明後日、盗難届けを出す手筈になってます」
庄野の問いに、ひとりの組員が即答した。地味なスーツを着た、鋭い目つきの若者だ。顔つきからすると、まだ十代の後半だろうか。少年といってもおかしくはない年齢だろう。頭のキレそうな雰囲気を漂わせている。
ただし、不思議なことに髪は真っ白であった。顔つきや肌の色などから察するに、まだ若いはずだ。それなのに、まるで白く染めたかのように綺麗な白髪頭である。
庄野は無言で、その不気味な少年をじっと見つめた。すると、少年はさりげなく目を逸らす。野性と知性とを兼ね備えた、実に不思議な雰囲気を醸し出している。
僅かな間の後、庄野は彼に近づいた。肩をポンポンと叩く。おもむろに口を開いた。
「そうか、ご苦労さん。ところで、お前の名前は?」
「はい。
「平田銀士だな、覚えておくぜ。いや、大したもんだよ。仕事の早い男はいいもんだな。お前は出世するぞ。こんな所に置いとくのは、もったいないな。組長に連絡しとくぜ」
そう言って、庄野はニヤリと笑った。他の組員たちの顔を見渡す。
「じゃあ、さっそく明日やるとしようか。士想会の連中にも、そろそろ分からせてやらねえとな……誰に喧嘩を売ってるのか、ってことをよ」
そう言うと、不気味な笑みを浮かべる。だが次の瞬間、床で転がっている向井を蹴飛ばした。
またしても、向井は呻いた。だが、庄野に止める気はないらしい。不気味な笑みを浮かべ、なおも蹴り続ける。
今の向井には、もはや悲鳴を上げる気力すら残されていない。されるがままになっている。
地下駐車場では、肉を打つ音がしばらく響き渡っていた。
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