哀愁のうた

 その日、海斗は近くのスーパーへと買い物に行っていた。

 特売品のコーナーを見て回り、カップラーメンや駄菓子などを大量に買いこむ。そもそも、この男は自炊などしない。今までは、小林をおだて上げてご馳走してもらうか、あるいは孤児院でご馳走になるか……いずれにしても、自分で作る必要などなかったのである。

 だが、これからはそうもいかない。もう、この町を去るのだから……。




 買い物を終え店を出ると、目の前の通りを、見覚えのある男がうろうろしていた。誰かと思えば沢田組の組員、浦川真である。強面だが、気のいい男だ。もっとも、「気のいい」という部分はヤクザとしてはマイナスなのだろう。

 安物のスーツ姿でキョロキョロしながら、何かを捜している様子だ。海斗の姿を見るなり、しかめっ面で近づいて来た。


「よう海斗。お前、向井ムカイを見てねえか?」


「へっ、向井? 向井って誰でしたっけ?」


「誰って言われてもなあ。最近、ウチの組員になったばかりの金髪のデブだ。シンナーやってて、前歯がボロボロだった奴だよ。見てないか?」


 浦川の説明を聞き、ようやく海斗は思い出した。金髪のデブ……確かに、そんな奴を見た記憶がある。

「ああ、あいつですか。あいつ、何かやらかしたんですか?」


 聞き返す海斗。髪を金色に染め、前歯がところどころ欠けている肥満体の向井は、どうしようもない小者という印象しかない。最近、沢田組の組員になったばかりで、やたらと横柄な態度だったのは覚えている。事務所にて、ふてぶてしい態度で海斗を睨んできた記憶もある。

 もっとも海斗は、そんな奴を相手になどしない。適当にあしらい、すぐにその場を離れた。小者のチンピラ、それ以上でもそれ以下でもない。ヤクザになっても出世しないだろう、と思っていた。

 しかし今では、事情が異なるようだ。


「ああ、やらかしたんだよ。あのバカ、組から逃げ出しやがったらしい」


 浦川は、吐き捨てるような口調で言った。


「ええっ、そりゃ大変ですね」


 口ではそう言ったものの、実のところ海斗は何とも思っていなかった。本格的な抗争が始まれば、組員が逃げ出すような事態も起きる。当然のことだ。訓練されている兵士ですら、戦争が始まれば脱走する者もいる。ましてや、上にいるのが庄野のような狂犬では、やる気も失せるだろう。

 いっその事、双方の組員が全員逃げ出してくれれば、抗争は終わりなのだが……あいにくと、そうもいかないらしい。


「いやあ、参ったよ。庄野さんは、本当におっかねえしな。この抗争が終わる前に見つけろ、なんて言ってるんだよ。どうやら、鉄砲玉に仕立てるつもりのようなんだがな。鉄砲玉として使えなければ、捜しだしてマグロ船に乗せろ……なんてことまで言ってるんだよ。逃げ出した奴なんか、ほっときゃいいのにな。あんな奴、見つけたって何の役にも立たねえのにさ」


 浦川は、吐き捨てるような口調で言った。その口振りから察するに、相当ストレスが溜まっているようである。

 彼の言うことも、もっともな話だ。向井のようなザコを捜し出したところで、誰も得はしない。ただし、ヤクザの場合はまた別の損得勘定が存在する。逃げ出した組員を放っておいた……そんなことが他の組に知られたら、沢田組にとってマイナスになるのは確かだ。


「確かに、あの庄野さんはしつこそうだからね」


 海斗が答えると、浦川は顔をしかめて頷いた。


「まったくだ。あの人は本当にたち悪いな。藤原さんはまだ、アメとムチを使い分けるような部分があったけどよ、庄野さんはムチしかねえからな。いやムチどころじゃねえよ。あの人が来てから、何人の組員が病院送りになったか……」


 そう言った後、慌てて周囲を見回す。


「おい海斗、余計なこと言わせんじゃねえよ。もし聞かれてたら、俺も病院送りなんだぞ」


「本当に大変そうですね。浦川さん、あんたもさっさと逃げ出したらどうです? ヤクザなんかやってても、大して儲からないでしょう。そろそろ、警察も本腰を入れるって噂ですよ」


 真幌市の暴力団抗争に対し、警察が本格的に乗り出してくるという話は、既にニュースなどで報道されている。

 実際の話、この真幌市で既に何人もの死者が出ている。しかも、うちひとりは元プロレスラーであり堅気の商売をしていた小林昭一なのだ。世間の注目を、否応なしに集めてしまっている状態である。


「バカ野郎、冗談じゃねえよ。辞められるもんなら、とっくに辞めてる。まったく困ったぜ。とにかく、向井を見つけたら教えてくれよ。それなりの礼はするから」


 言った直後、浦川は慌ただしい様子で消えて行った。

 その後ろ姿を見ながら、海斗は溜息をつく。

 浦川は、何故ヤクザになどなってしまったのだろうか。あの男は自分と同じく、ヤクザには向いていない。いい加減、見切りを付けた方がいいのに。

 逃げ出した向井という男は、海斗の見る限り頭は悪いし性格も歪んでいた。ヤクザにすらなれないような半端者である。

 ただし、自己防衛本能だけは見上げたものだ。危険と見るや、さっさと見切りをつけ、恥も外聞もなく逃げ出す。この状況では、それが正解であろう。少なくとも、庄野という男は命を張ってまで従うような人間ではない。

 恐らく、浦川もその事実は理解しているはずだ。にも関わらず、逃げずに庄野に従っている。結局、ここでも人のよさが彼自身の足を引っ張る結果となってしまった。

 海斗は改めて、真幌市を離れる決意を固めた。このままだと、自分も浦川のようになってしまうかもしれない。庄野という男は、根っからのヤクザだ。利用できるものは何でも使う。自分もまた、妙なことをさせらされるかもしれない。




 その後、海斗は町中をのんびりと歩いていった。

 町はいつの間にか、ゴーストタウンのように静まりかえっていた。たまにキョロキョロしているマスコミ関係者らしき者や、目を血走らせて足早に歩くヤクザ風の若者とスレ違うくらいだ。昔から住んでいた地元民たちは、一体どこに行ってしまったのだろうか。

 またしても、溜息をついた。この真幌市は、決してオシャレな町ではない。近くの真幌公園に行けば、小学生たちが遊んでいる横でリーゼントやパンチパーマの中学生たちがタバコを吸いながらしゃがみこんでいるし、ホームレスが昼間から酒を呑んでいる。

 下手をすれば、子供たちの見ている前でホームレスと不良中学生がケンカを始めることもあった。もっとも、子供たちはプロレスでも観るような感覚で両者のケンカを見物していた。

 夜になれば、あちこちで風俗店の客引きが出没する。中には、モグリの売春宿まであるくらいだ。さすがに地元のヤクザには気を遣い、大っぴらな客引きはしていない。それでも、明らかに客引きと分かるような人種があちこちに出現していたのは確かだ。

 そんな町ではあるが、銃弾の飛び交うような場所ではなかった。ヤクザと、地元の一般市民……両者の棲み分けは、きちんと出来ていたのだ。ところが今では、ゴーストタウンのように静まり返っている。

 そもそも、ヤクザというものは根城にしている町が栄えてこそ、懐が潤う仕組みになっているはずだ。実際の話、今までは沢田組も士想会も、町の住民に迷惑をかけるような争いはしなかった。そんな事をすれば結局、自らの首を絞めることになるのを理解していたからである。

 これまでにも、末端の組員同士による小競り合いはあった。しかし、ここまでの大事おおごとにならず、すぐに収まっていたのだ。

 なぜ今になって、こんな本格的な抗争が起きてしまったのだろう。




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