抗争のうた
何もかも面倒だ──
その日、海斗は朝から自宅にこもっていた。何をする気にもなれず、部屋に寝転がりテレビを観ている。
もっとも、放送されていた番組の内容は、何ひとつ頭に入って来ていなかった。テレビの映像と音声は、様々な情報を一方的に伝えてくる。しかし、それらの情報は心にまでは届いていなかった。
今の海斗の心には、ぽっかりと大きな穴が空いてしまっていた。言うまでもなく、瑠璃子と小林の抜けた穴だ。その穴から、何もかもが洩れていく。そんな、ひどく虚しい気分だった。
これから何をすればいいのかわからなかった。もう、生きるための目標すらない。
いつもなら、海斗はあちこち出歩いていたはずだった。様々な店に顔を出し、情報を集める。最近ではもっぱら、小林の経営する『猫の瞳』に入り浸っていたが……そこでも、きちんと情報収集はしていた。耳をすませ、嗅覚を研ぎ澄まし、金になる情報を探していたのだ。
夜になると、瑠璃子に会いに行った。廃工場で、夜が明けるまで彼女と語り合ったこともしばしばだ。海斗は、出来るだけ話し相手になってあげようと努めていた。彼女には、他に友だちがいない。せめて自分がそばに居てあげようと思っていたのだ。
ひょっとしたら、海斗のその気持ちが、瑠璃子にとって重荷になっていたのかもしれない。もし逆の立場だったなら、彼女に負担をかけまいとしていただろう。
結果、瑠璃子の前から姿を消していたとしても不思議ではない。
そんなことを考えながら、テレビの画面を見つめる。
今さらではあるが、ここしばらくの瑠璃子の態度はおかしかった。不機嫌な状態が続いていたかと思うと、最近は急に優しくなっていた。その翌日には、姿を消していた。
もしかしたら、本人の中ではだいぶ前から決まっていたことなのかもしれない。それに気づけなかったとは、なんと愚かなのだろう。
海斗は虚ろな表情で、己を責め続けていた。自分が、もう少し違う付き合い方をしていれば、こんなことにはならなかったのかも知れない。
その時だった。
(今日の午前三時ごろ、真幌市の風俗店に、拳銃が撃ち込まれました。三発の銃弾は、壁や窓ガラスに当たりましたが、怪我人はなかった模様です)
不意に聞こえてきた、テレビからの声。海斗は体を起こし、テレビ画面を見つめる。
画面には、けばけばしい外装の風俗店が映し出されている。その店には見覚えがあった。確か、士想会の息のかかった店のはずだ。そこに銃弾が打ち込まれた……つまりは、本格的な抗争に突入したということだ。
海斗は思わず顔をしかめる。この連鎖は、もう止められない。藤原の後釜としてやって来た庄野は、典型的な武闘派である。それも、ただの武闘派ではない。
今回の事件は、ほんの挨拶代わりだろう。風俗店に銃弾を撃ち込んだ、その程度のことで済ませるはずがない。さらなる過激な手段に打って出るだろう。
あの男は、本物の狂犬だ。相手を完全に叩き潰すまで、徹底的に噛み続ける。
結果、抗争は激しさを増していく。沢田組としても、そのつもりで庄野を送り込んで来たのだ。ああいうタイプは、抗争のような状況以外では使い道がない。上からストップがかかるまで、庄野は徹底的にやるだろう。いや、それすら無視して攻撃し続けるかも知れない。
結果、また無関係な人間が巻き込まれて犠牲になるのだ。小林の時と同じように──
息が詰まりそうな気分になり、海斗は表に出た。このまま家にこもっていたのでは、嫌なことばかりを考えてしまいそうだ。彼は、あても無く町を歩いていた。
その時、後ろから声をかけられる。
「おい海斗、何やってんだよ。こんな時に、町をフラフラしてんじゃねえ。逮捕されちまうぞ。それともアレか? 刑務所で保護してもらうか?」
海斗が振り返ると、そこには制服警官がいた。自転車に乗り、疲れたような表情でこちらを見ている。
その顔には、見覚えがあった。
「何だ、あんたかよ。俺なんかに構ってないで、ちゃんと仕事してくれよな。この町は、どうなっちまったんだよ」
吐き捨てるような口調で答えた。
目の前にいる若い警官は高山裕司だ。海斗と同じくらいの年齢で、以前からこの辺りで交番勤務をしていた。海斗とは年齢が近いこともあり、チンピラと制服警官という間柄であるにも関わらず、仲は悪くなかった。口調は荒いが、付き合いやすい男である。
しかし、今の高山の表情は堅い。こちらを見る目には、冷酷な光が宿っている。
「だから、こうやって町を見回って仕事してんだよ。おい海斗、悪いことは言わない。さっさと、この町を離れろ。お前みたいな、お気楽なチンピラの居場所じゃなくなっちまったんだよ、この町は」
吐き捨てるような口調で言った高山。それに対し、海斗は虚ろな表情で笑って見せた。
「確かに、あんたの言う通りだよな。なんで、こんなことになっちまったんだろうなぁ」
「んなこと、俺に言われても知るかよ。とにかく、お前みたいなチンピラは、さっさと消えちまえ。他の町で、足を洗って出直せよ」
言葉そのものは乱暴であるが、声には力がない。高山は疲れた表情で、言葉を続けた。
「ここは小汚い町で、ヤクザやろくでなしも多く住んでたけどな、それでも平和だったよ……ついこの前まではな。ところが、いつの間にか戦場みたいな町になっちまった。こんなふざけた話があるか? たまらねえ気分だよ。何で小林のおっさんが、ヤクザの身代わりに死ななきゃならねえんだ」
顔を歪めながら、警察官らしからぬ言葉を吐いている。海斗には、彼の気持ちがよく分かる。高山は高山なりに、この真幌市を愛していたのだ。
しかし、ほんの僅かな間に変わり果ててしまった。今では、ヤクザと私服の刑事とマスコミ関係者が闊歩する事件現場になってしまっている。
「俺も、いい加減に嫌になってきたよ。いずれ、この町から消えるかもしれねえ。あんたも早く出世して、この町からおさらばしなよ」
海斗の言葉に、高山は顔をしかめて見せた。
「余計なお世話だ。出来ることなら、警官なんか今すぐ辞めちまいたいよ」
そう言うと、高山はニコリともせず、くたびれきった表情で自転車に乗った。海斗は、その背中に声をかける。
「なあ高山さん、あんたにひとつ頼みがあるんだよ」
「金なら貸さねえぞ。俺は仮にもお巡りさんなんだからな」
いかにも面倒くさそうに、言葉を返す高山。
「違うよ。『ちびっこの家』に最近、今日子と明日菜って女の子が入ったんだ。可愛い姉妹だからさ、それとなく見てやってくれよ」
「何だよ、そりゃあ。俺はな、お前の小間使いじゃねえんだぞ。そんな事、やってられっかよ。俺は忙しいんだ。警察官をなめんじゃねえ」
ブツクサ言いながら、自転車に乗り去って行った。言葉遣いや態度は悪いが、高山は付き合いやすい男であった。取り締まるべき悪事と、そうでない悪事の見分けがつく警官だった。肩の力を抜いて仕事をするやり方を、ちゃんと心得ている男でもあった。
しかし、そんな高山も……今回の抗争で、心身ともに疲れ果ててしまったらしい。
一体、この町はどうなってしまうのだろう。そんなことを思いながら歩いていた。
やがて海斗は、孤児院にたどり着いた。自分は、もうじきいなくなる。ならば、ここに居られるうちに出来るだけのことをしてあげたい……その思いから、孤児院へとやって来たのだ。
だが、その時の海斗は何も知らなかった。孤児院で、ちょっとした問題が起きていたのだ。
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